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逆境の意味

怪我の功名、回り道の出会い、負けて勝つ。

無駄や失敗にも、実は意味があるということを教えてくれる言葉が多いのはなぜだろうか。

日の当たらない場所や見向きもされない時々が
それゆえに価値があることを
私たちは知っていたからではないのか。

栄光と挫折は、ある明確な一線を境にして
左右に峻別できるものではない。

どこかでつながっていて、知らず知らずのうちに何度も両方を行き来しながら、私たちは長い人生を生きている。

滝壺に落ちたら、もがいてはいけない。
川底に足が着くまで待たねばならない。

息を吐き切って、ぐっと身体を縮め、力強く蹴り上がるための力を蓄えることだ。

曲なれば則ち全く、枉(おう)なれば則ち直し。窪(わ)なれば則ち盈(み)ち、弊(へい)なれば則ち親なり。少なれば則ち得(え)、多なれば則ち惑ふ。是を以て聖人は一(いつ)を抱き、天下の式と為る。自ら見(あら)はさず、故に明(あきら)かなり。自ら是とせず、故に彰(あきら)かなり。自ら伐(ほこ)らず、故に功あり。自ら矜(ほこ)らず、故に長たり。夫れ唯争はず、故に天下能く之と争ふ莫し。古の所謂(いわゆる)曲なれば則ち全しとは、豈(あに)虚言ならんや。誠に全くして之を帰(かえ)すなり。  
『老子』(益謙第二十二)

曲なれば則ち全く:曲がっているからこそ全うできる
枉(おう)なれば則ち直し:曲がっているからこそ真っ直ぐになれる
窪(わ)なれば則ち盈(み)ち:窪んでいるからこそ満ちることができる
敝(へい)なれば則ち新なり:破れているからこそ新しくできる
一(いつ):いわゆる「道」のことだとされる。ここでは、「曲」と「全」のような対立を含み持ち、それらを平衡させるバランス感覚があることを示唆する。
式(しき):手本の意味

曲りくねっている樹木などは使いづらいから、何の値打ちもない。だから切られる事もなく、いつまでも生き続けられる。窪地には周りの栄養が流れてくるから、肥沃な土地になる。
何事も少なめに欲しがると、手に入り易い。多く多くと望むと、それは無理だとばかり、得られない。得たら得たで、多過ぎるとあれもこれもで迷いは尽きない。
「道」の在り様を自己の在り様とする人は、とてもすごい働きをしたとしても常にへりくだって自慢などせず、自分を目立たせないから、多くの人の手本になる。
自分で自分をPRしようとせず、自分の行いを常に改善点を探して見るようにしているから、自分を最もよく知っている事になる。
自分の行いをよしとせずに、常に客観的に見て反省しているから、どんどん向上して、やがて他人が認めざるを得ない絶対的なレベルに到達する。
いくら業績を上げても自分の業績を誇ることをしないから、その実力も認めざるを得ない存在になる。
自分のキャリアを誇ろうともしないから、その人柄に惚れる人も多くなり、多くの信頼が集まる存在になる。
争い事は、何の益もない。たとえ勝ったとしても、恨みを残すばかりだ。争わない秘訣は他人と争う気持ちを全く持たないで、ひたすら自己向上のみに励むことだ。
いにしえの人が言った「曲なれば全し」とは、どうしてでたらめなものか。
よりよく生きるとは、自分を少々良くして「道」に帰すことだ。
『老子道徳教講義』田口佳史 抜粋

冒頭で列挙している格言風の対比が印象的な章である。
最初の五つ「曲、枉、窪、敝、少」というのは、失敗や無駄等、一般的に欠点とされている事々を象徴する言葉である。

それを受けて続く「全く、直し、盈つ、親なり、得る」という表現で、欠点がプラスに働くこともある、という逆説を展開している。

六つめの「多なれば惑ふ」は、それまでの五つとは逆の言い方で、一見するとよいことでも、それが悩みのもとになる、ということだが、言わんとしているところは同じであろう。

マイナスとされることが、実はプラスに転ずることがあること。
負とされる存在が、見方を変えれば正に変わること。
それを可能にするのが「道」のバランス感覚であり、手本とする生き方である、と喝破しているのである。

考えてみると、私達は、同じような趣旨の格言や言い回しをよく使うことに気づく。

無駄の効用、失敗の価値を、自分に言い聞かせるように、何度も噛みしめるようにして長い道のりを歩むことが人生であることを誰もが知っているのである。

「言い聞かせる」「噛みしめる」という表現を使ったのは、私達の本能的欲求・願望のベクトルは、逆に向いているからである。
誰だって陽の当たる道を歩きたい、他者から誉められ、評価されたい。明るく笑顔で過ごしたい。

しかし、時には、その逆を強いられる場面、時間もある。いや、むしろそういう場面、時間の方が多いのかもしれない。

だとするならば、挫折や不遇、失意の時をどう過ごすのか、どう受け止めるのかに人生の意味があるのではないか、そんな思いを込めて書いた創詩である。

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