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天の道理と人の道理
「たまたま運に恵まれただけです」
と人はよく言う。
人生の運の量は決まっており
いつか自分にも逆風が吹くことを知っているからだろう。
天の道理には、必ずバランスが働く。
よいことの後には悪いことがある。
「やればやっただけ評価されるべきである」
とよく言われる。
成果に見合う報酬があるのは当然で、努力は報われなければならないと思っているからだろう。
人の道理では、成功は努力の結果であるとする。
天の道理を忘れ、人の道理だけで突っ走ると
社会は転覆する。
人の道理が天の道理に支えられていることを
認識し、運と努力の関係を受け止めることが重要である。
天の道は其れ猶(な)ほ弓を張るがごときか。高き者は之を抑へ、下き者は之を挙(あ)ぐ。
餘(あまり)有る者は之を損(へら)し、足らざる者は之を與(あた)ふ。天の道は餘有るを損して足らざるを補ふ。人の道は則ち然(しか)らず。足らざるを損し以て餘有るに奉ず。孰(たれ)か能く餘有り以て天下に奉ぜん。唯有(ゆう)道(どう)者のみ。是を以て聖人は、為して恃(たの)まず、功成りて處(お)らず。其れ賢を見(しめ)すを欲せざるなり。
天の道:自然の摂理
天の道理は弓に矢をつがえて引きしぼるように、一旦矢の飛ぶ方向とは逆に矢を引っ張ることになる。これが天の道理だ。
高くなる者は、今度は抑える力が働き、低くなる者は、今度は上げる力が働く。
余りある者はこれを減らし、足らない者には、これに与える。
天の道理は余りあるものは減らし、足らない者には加えて補ってあげるのだ。
ところが人間がやることといったらまったく反対なのだ。
足らない者にはもっと減らし、余りある者にはもっと加える。
いったい誰があり余っているものを、天下のために提供しようとするのか。それは、ただ「道」の教えを修得した者だけだ。
したがって「道」に生きる者は、行うべきことをしっかりと行うが、それを頼みにしない。成功しても、そこにいつまでも止まろうとしない。
自分の賢さを、示すことなどしないものだ。
「天の道理」と「人の道理」の対照性をテーマにした文章である。
冒頭の「天の道は其れ猶ほ弓を張るが如く」というのは、弓を引きしぼった際に生じる力の働きを例にとった比喩的な表現である。
「天の道理」というのは、弓を引き絞った時のように、目に見える勢いとは逆の方向に力が働く、ということだ。
一方で「人の道理」はその逆で、目に見えて勢いのある方に、さらに乗っかっていく便乗性にある、といっている。
世界でベストセラーになった『二十一世紀の資本』の著者トマ・ピケティが唱えた法則「r>g」の法則を想起する人もいるかもしれない。
資本収益率(r)は経済成長率(g)を常に上回り、お金はある方へある方へと偏在的に蓄積される。資本主義の富の不均衡=格差は、放置すればどんどん拡大していく、という警鐘的理論である。
どうやら、金融資本主義の法則には、老子の言う「人の道理」と同じで、強い方に乗っかるという便乗性があるようだ。
ピケティは、分配の不均衡を是正していくために、国際社会が連携して累進課税型の財産税や所得税を導入するべきだ、というアイデアを提唱した。
もし、老子が言う如く「天の道理」が勢いとは逆の力の働きだとすれば、ピケティが言うように、富の不均衡を是正すべく国際社会は連携を強めていくはずだ。
はたしてそうなるのだろうか。少なくとも、いまはまだ「天の道理」は動き出していないように思える。
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