欲望の魔力

人間の欲望には限界がない。
美しいもの、美味しいものを眼前に示されると,飽くことなく、尽きることなく求めてしまう。

しかし、欲望を受け止める器には限りがある。
限界を超えて欲望を満たそうとすると、いつの間にか欲の海に溺れてしまう。
私は、そうなった人を何人か見てきた。

しかも、悲しいかな、本人は溺れていることに気づかない。
気づかないまま溺れ死んでしまう。

まずは自分の器を知ることからはじめよう。

五色は人の目をして盲ならしむ。五音は人の耳をして聾(ろう)ならしむ。五味は人の口をして爽ならしむ。馳騁田猟(ちていでんりょう)は人の心をして発狂せしむ。得難きの貨は人の行いをして妨げしむ。是を以て聖人は腹の為にして目の為にせず。故に彼を去りて此(これ)を取る。

『老子』(檢欲第十二) 

五色:青・黄・赤・白・黒。ここではきらびやか色彩の衣装など
五音:五つの音階。ここでは美しい音楽
五味:酸・苦・甘・辛・塩辛い。ここでは口が奢って味覚が麻痺すること
馳騁田猟(ちでいでんりょう):馳騁は、馬を走らせること。田猟は狩猟のこと。馳騁田猟は当時の支配階級にとって無上の娯楽で、没入しがちな趣味の代表

目にもあざやかな極彩色は、目移りして表面的な部分しか見えない。だから内面の主張が人の心に届かない。
さまざまな音色の美しい音も、そればかり聞いていると音色そのものに惑わされて、音楽が語ろうとしているところに耳が行かない。
豪華なご馳走ばかりを口にしていると、素材が持つほんとうの味が恋しくなる。
馬を駆けて獲物を追ってばかりいると、その熱狂の虜になり、いつしか心が狂わされる。
身分不相応な暮らしには、どうしても無理が生じてくる。無理を重ねていると、人間の正しい行いや暮らしが、いつしか見えなくなる。
人生をより良く生きる秘訣は、見栄を張るより実質、飾り立てるより素朴、ごく普通を大切にすることだ。

『老子道徳経講義』田口佳史 抜粋

欲望が持つ「魔力」を指摘した章である。
多くの識者がグローバル資本主義の限界を指摘するようになった。格差を生み出す根源である人間の欲望をどう扱うべきか、ということが、世界的なテーマになっているだけに、2500年も前に、すでに老子が警鐘を鳴らしていたことに驚かされる。

以前も触れたが、欲望というのは、人間を前に進ませる原動力になる、とても大切な本能だが、その魔力に囚われてしまうと、人間を狂わせてしまうことがある。
扱いが難しい、やっかいな対象である。

この章も、単なる禁欲論として読んでしまうとつまらないし、広がりがない。
むしろ欲望の存在を認めつつ、自分が制御できる範囲、欲望を受け止める器を知ることが重要だと考えるべきではないだろうか。
 


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