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セルフマネジメントの難しさ

人間の五感は外に向けて開かれている。
目で見て、手で触れて
相手が何者かを理解することができる。

一方で、自分を知ることはやっかいである。
自分の姿を見ることはできない
自分に触れることはできない
五感を使って
自分を理解することが出来ない。

人間同士の戦いは、半分が勝者である。
勝者が強いとするならば
半分の人間は強者ということになる。

一方で、自分との戦いはやっかいである。
勝ったはずなのに敗者はいない
敗けたと思っても勝者はいない
勝負の結果をもって
強者か否かは判断することが出来ない。

自分を知ること、自分と戦うことが難しいのは
知りたい、勝ちたいという欲望を
相手にしているからだろう。

自分から生まれた欲望の力動は
自分以外の何かに、誰かに投影されて
あたかも意志を持ったかのように動き出す。

自分を挑発し、誘惑し、縛りつけ、苦しめる
実体のないモンスターである。

モンスターの根源が
自分にあることに気づいたならば
投影スイッチを切ればよいだけのこと

スイッチのありかを知り
自由自在に使いこなせる人のことを
真の富者というのかもしれない。

人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力有り、自らに勝つ者は強し。足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志あり。其の所を失はざる者は久しく、死して亡びざる者は壽(じゅ)なり。  
『老子』(辯徳第三十三)

智:明晰な判断力
明:自分のことが分かること 

他者を知っている人は智者である。自分を知っている人は明者である。
他者に勝つ者は、力のある人である。自分に勝つ者は、強い人である。
智・力より明・強の方がもう一段難しいことは言うまでもない。
満足を知る者は富み、力を尽くして行う者は志が遂げられる。
自分のいるべき場所を失わない者は長続きし、死んでも亡びることのない「道」のままに生きた人は寿者である。
『老子』蜂屋邦夫訳注(岩波文庫)をもとに一部改訂

「足るを知るものは富む」という一節があまりに有名だが、あえて、自己理解・自己克服の難しさを深く考えさせてくれる章として扱ってみたい。

人(他者)を知り、他者に勝つことを「智・力」と呼び、自分を知り、自分に勝つことを「明・強」と対比している。
前者(他者を知り、他者に勝つ)よりも後者(自分を知り、自分に勝つ)の方がはるかに難しいことは言うまでもない。

人間の知覚は外部環境を知ることに長けているが、自分の内面(肉体・精神)の変化には鈍感である。
気づいた時には手遅れになっていることも多い。それはなぜか。

私達の ー知りたい・勝ちたいーという欲望は、他者・外部に向かう時に自動発動するからではないだろうか。
他者や外部という投影対象があってはじめて欲望の姿が立ち現れてくる。

自分を知る、自分に勝つということは、ー知りたい・勝ちたいーという欲望のスイッチがどこにあるかを知り、自分の意志でスイッチを入れたり、切ったりすることができるようになることを言うのかもしれない。

自動発動の欲望スイッチを自己の意志で制御できるように変えることは実に難しい。
「足るを知る者は富む」「所を失わざる者は久しい」という老子の教えは、そのことを言っているような気がする。

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