「絶対」の不確かさ
ある日を境に正悪が逆転することがある。
正として尊ばれていたものが悪に変わり
悪として忌み嫌われていたものが正に転ずる。
日本人は1945年8月15日にそれを体験した。
先人の体験がもたらす教訓は
「絶対」の不確かさである。
正と悪は表裏一体
基準ひとつでオセロのようにひっくり返る。
ではどうすればよいか
正であれ、悪であれ
眼前にある事象に惑わされず
広い視野で全体を捉えることであろう。
思いめぐらすべきは、個別の要素ではなく
全体そのものである。
悶悶(もんもん):寛容で大まか
醇醇(じゅんじゅん):飾り気がなく素朴
察察(さつさつ):細かなことまで吟味する
缺缺(けつけつ): 狡猾の意
倚(よ)る:寄る 伏(ふく)す:ひそむ
方(ほう)して割(かつ)せず:四角で分割できないの意
廉(れん)して害せず:刃物のような鋭さで人を傷つけることはない、の意
肆(し):気持ちのままふるまうこと
四行目の「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり」という部分が印象的な章である。
福と禍という両極にある現象も、実は不可知な因果関係でつながっている、と老子は言っている。
福は禍に寄り添うようにやってきて、禍は福のすぐ裏側にある、ということである。
この一文が端的に示しているように、この章は「絶対性」を否定している文章だと思う。
それを「絶対」の不確かさという表現にしてみた。
「禍福はあざなえる縄の如し」と言うが、
禍いと幸福は、寄り合わさって人生という一本の縄となっている。
あらゆる物事には正悪の両面があって、ある日突然正悪がひっくり返ることがあるものだ。
それを、1945年8月15日を境にして起きた価値観の大転換に擬えてみた。
最近の例を挙げれば、ゴーンショック前後の日産自動車にも同じ図式があてはまるのかもしれない。
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