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【掌編小説】ヒーロー

公園のしげみの裏に座りこんで、だんごむしをころして遊んでいた。
それを父親に見つかったとき、彼は、
「かみさまのところへ返してあげたんだ。えらいね。」
とぼくの頭をなでて微笑んでくれた。
「ぼく、えらいの?」
「そうだ、きみはヒーローだ。」
彼は、ぼくが小学生になるころには、もう家からいなくなっていた。

      ***

ある日、おなじ行為を目にした母親は、こわい顔をしてぼくに怒った。
「そんな残酷なあそびをしたら、もうごはんをつくらないからね」
ぼくは、だんごむしをころすと母親が悲しむのだと知った。
ぼくは、母親のことがだいすきだった。

      ***

父が家を出なければ、その行為がいいことなのかいけないことなのか、ぼくはじっくりと比べることができたのだろう。
それでも、父は家を出ていった。
愛している父親の言葉を捨て去ることのできないぼくは、
ヒーローのまま、それを母親に隠して生きていくことになった。
ヒーローの誕生なんて、悲しいものなのだ。

      ***

それ以来、ぼくは母とふたりで過ごすことになったが、母の言葉に納得ができないときには、自分の隠しているヒーローの人格が正義をなしていると信じていた。
めんどうくさいやつを殴るとき。なにかを盗むとき。嘘をつくとき。
母はそうした面倒がおこるたびにぼくに怖い顔をし、時にはぼくに手をあげた。
しかし、ヒーローの人格は、理解されない自分を外の世界から守っていた。
そして、理解されないからこそ、正しいと思っていた。

      ***

ぼくは、我慢する状況が苦手だから、人生のいろいろな段階で、とても努力をした。
それは、母に認められるような自分のままでいられる努力、たとえば受験勉強などで発せられることも多かったし、ヒーローの人格でおこなう努力、たとえば暴力、排除、勝利などで発せられることも多かった。
ぼくは常に、集団のなかで上位の人間だった。

      ***

高校生になると、自分のなかから母親に対する不平や不満があふれ出してくるようになった。それは、原因不明のものだった。自分の欲求や鬱屈がエネルギーとしてあふれ出しているようだった。そのエネルギーが、老いはじめた母親に向かっているのかもしれなかった。
毎日母親に向かって暴言を吐いたり、ぼくのためにつくってくれた料理をぶちまけたりしていた。

そして、ある日、そのエネルギーがエスカレートして、暴走して、ぼくははじめて母親に暴力をふるった。
頬をおさえて
「ごめんね」
と笑う母親に、その暴力を、ヒーローがやったんだとはじめて気づいたとき。

ぼくは、はじめて、ヒーローでごめんなさい、と思った。

読んでくださる方がまいにち増えていて、作者として、とてもしあわせです。 サポートされたお金は、書籍代に充てたいと思います。