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ゲームは作るもの

自分が小学生の時代は、まだコンピュータは大きな冷房の効いた専用の部屋の中にあって、白衣を着た人がなにやらクルクルまわる磁気テープを交換しているという時代です。

ですからTVゲームなんてひとつもなくて、ゲームと言えば、将棋に囲碁、トランプに花札が基本ですが、アメリカからやってきたモノポリーや人生ゲームといったボードゲームが憧れでした。ゲームが好きであれば、ドミノであるとかバックギャモン、ダイアモンドゲームといったあたりにも手を出し、オモチャ的な要素があるものであれば、海戦ゲームであったり野球盤ゲームに興じていました。でも、お小遣いには限りが有るのと、モノをいつでも持ち歩いているわけではないので、紙と鉛筆でできる○×であるとか、鉛筆を転がす野球ゲームなどで遊ぶのが日常です。

外出先でも遊園地やデパートの屋上に有るアーケードゲームと分類されるものには、いろいろな射撃ゲームやピンボールやパチンコの亜流のようなもの、そして道路がコンベヤのようにぐるぐる回っているドライブゲームとかがお気に入りでした。

ゲームだけでなく工作も好きなので、工作用紙やボール紙で真似をするのですが、なかなか強度や精度が出ません。球に関してはパチンコ玉であればいくらでも手に入るので使うのですが、メカの部分が紙ではいかんともし難いところでした。カードゲームも紙から作り始めると、まったく同じ外観にすることができないので、裏から中身がバレてしまうのを防げません。まあカードゲームに関しては、トランプの表にオリジナルの内容の紙を貼り付けるということでギリギリ使えましたが、少しばかり切るのに苦労しました。

小学生も高学年になった頃に、ピンポンゲームや射撃ゲームのような最初のTVゲームのハードウェアが出てきて衝撃を受けたのですが、買ってきてもすぐに飽きてしまう単純なゲームでした。ということで飽きた頃にはネジを回して基板を取り出し、回路を追い始めるのですが、そもそもテレビ信号の仕組みを理解しきれていなかったために頓挫、父親の本棚にあったテレビ関係の技術書を読み始めたのですが、出てくる数式が小学生に耐えられなくて、それ以上追うのは断念しました。

その頃になるとアーケードゲームに原始的なディスプレイを持ったゲームたちが登場していました。有名なのは月面着陸や風船割りですが、私が好きだったのはラスタースキャンのディスプレイで作られていたQIXという陣取りゲームです。テレビは難しかったのですが、オシロスコープを先に覚えてラスタースキャンは理解しました。

ソウコウしているうちにブロック崩しとかが現れ、遂にインベーダーゲームという爆発的ヒットをしたアーケードゲームが登場します(最初はテーブルではなくて立ってやるほうでした)。これに続いて多くのパクリインベーダーと、射撃やドライブゲームといったメカで出来ていたアーケードゲームのディスプレイ版が登場しました。ミサイルコマンドなんかも最初の方でしたね。

社会人のようにお金の力で上達するという方法は取れなかったので、何とか自分で作れないかを他の人のプレイを見ながら考えます。まずは動作を記録します。何回移動すると下の段に降りるとか、画面上に弾がある間は次の弾が打てないとか、いつUFOが現れて何回目のUFOが何点になるなどです。次に方眼紙を用意してインベーダーや砲台のパターンを写します。これで処理の記述はできるようにはなりました。

次は動作させるハードウェアを探すのですが、当時のマイコンはまともな画面を持つものはなく、7セグLEDではさすがに表現できません。メンテの時にインベーダーの基板を覗いたのですが、結構、大きめな基板に多くのTTLが載った複雑な回路だったので、さすがに自分では作れないなと諦めました。ここでどういう訳か友人がBASICでプログラムもできるバーリーアーケード というゲーム機を持っていたので、BASICを覚えつつ、基本的な動作だけを書いてみました。ところが目も当てられないほどの動作速度です。すべてのインベーダーを1回分動かすのに1分近くかかる有様。とてもじゃないですがゲームとして成立しません。

もう最初の目的はどこかに行っていたのですが、この辺りから秋葉原でいろいろ遊べそうなマイコンを物色し始めました。そこで出会ったのがapple][な訳です。もちろんインベーダーも作ろうとしたのですが、それなりに複雑なので、最初に作ったのは潜水艦ゲームとライフゲームです。しかも低解像度グラフィックです。これであればBASICで書いても、そこそこのパフォーマンスが得られて、十分に楽しめました。ただ高解像度グラフィックを扱うゲームをBASICで書いてみると、さすがに遅すぎて、先にアセンブラを覚える必要があると悟ります。そんなこんなを覚えているうちにapple][用のインベーダーゲームが発売され、家でも毎日遊べるようになってしまいました。ちなみにapple][用のインベーダーは画面や動作はほぼアーケードゲームの内容のとおりでしたが、操作をパドルというボリュームを回すデバイスで行うので、レバーで左右に動かすお店にあるゲームはちっとも上手にはなりませんでした。

ちなみにapple][を買った秋葉原のお店は、アーケードゲームも扱っていたので、インベーダーの基板を入手することも出来たのですが、当時はあまりにパクリが横行したので、基板上のチップの刻印が削られていて読み取ることが出来ず、リバースエンジニアリングは出来ないようになっていました。まあいろいろな情報が集まり始めていたので、おおよその構成は推定できたのですが。その後も新しいゲームが出るたびに基板を眺めては、機能を高めるためにいろいろなハードウェアの支援が増えていくのをまさに目にすることが出来ました。

その関係で、ゲーム関係の展示会などにも出入りするようになるのですが、その頃はアーケードゲームと一緒にメリーゴーランドとかの遊園地の大型機材なんかも並んでいる時代でした。発売前のゲームをタダでやるという技を覚えたのも、この頃でしたね。

もうゲームを作るよりも売られているゲームのほうが面白すぎて、ひたすら遊びつつ、ソフトを解析してテクニックを覚えるという日々になりました。何せ弾を飛ばすだけでも三角関数の計算なんてしていられないので、どうやってそれらしく動かしているのだろうとか気になりますよね。ここで覚えたテクニックはゲームに限らずグラフィック処理を高速に行うのにとても役に立ちました。GUIの時代になってこそ、より役に立つ知識ばかりでした。

少なくとも日本においては、パックマンの裁判で判決が出るまでは、ソフトウエアの著作権が安定していなかったので、ゲームのコピーはやりたい放題でした。そこで簡単にコピーできないように市販ゲームはいろいろな対策をするのですが、すっかりパソコンに詳しくなった私には、殆ど効果がありませんでした。大抵は3日もあればコピーできてしまいます。別にコピーしたものを売るつもりはなかったのですが、判例も出てしまったことだし、未成年とはいえ駄目なことはやめた方がいいよねと思い始めた頃にひらめきました。ゲームやさんが製品を発売するに当たり、仕込んだ複製防止処理が十分に効果があるのかを調べてあげることにしたのです。これで発売前のゲームを楽しむことができましたし、法律にもひっかからず世の中のためになる話になった訳です。

ゲームやさんとのパイプも出来たので、さんざんゲームで遊んではいましたが、ゲーム業界は今ではどうなのかはわかりませんが、なかなか怪しいところで権利や契約の話が通じなくて、すっかり業界に対する興味を失ってしまいました。まあ高校生に権利を主張されるのも癪に障ったのかもしれませんが、ゲーム自身にも興味がなくなって、その後ファミコンなどが出た頃にはすっかりゲームからは遠ざかってしまいました。結局、プレステがでるまではゲーム専用機は買わずじまいで、おかげで懐かしいゲームはアップル時代のアメリカのゲームばかりで、レトロゲームとして見直されているゲームたちの多くはプレイしたこともありません。

あ、ゲームとか複製防止を解析して覚えたモロモロは、またの機会にまとめますね。

#ゲームで学んだこと

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