見出し画像

シンセとテクノ - 高橋幸宏さんを偲ぶ

YMOでも活躍された「高橋幸宏」さんがお亡くなりになりました。まだまだお若かったのに残念でなりません。(YMOの話はまた書きます)と以下の投稿で書いたことを思い出したのですが、こんなことになってしまうなんて。

アナログシンセ

その記事に触りだけ書いたのですが、高橋さんを知ったのはYMOの最初のアルバムである「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」を聞いてからです。

イエロー・マジック・オーケストラ

冨田勲を聞き、クラフトワークやジャン・ミッシェル・ジャールなんかを聞いていましたし、風船割りゲームにも興じていたので、まるで自分のための音楽ではないかと思うくらいにハマってしまいました。それまでのシンセ音楽は、どちらかというとクラシカルな旋律であったり、シンセらしい「フォワっと」した音色を強調するものが目立ったのですが、YMOはメリハリのあるロックな世界です。機材の関係もあってスタジオに籠る作り方が殆どで、ライブで演奏するなんて狂気の沙汰だと思っていたのですが、何台ものトラックで機材を運びワールドツアーをするなんて、やってくれるものだと思いました(細野さんの狙い通り?)。

いったいどんな人が、こんな音楽を作ったのだろうと、メインの3人だけではなくツアーに参加したそれぞれの方のアルバムを集め始めて聞くようになりました。それぞれの方の音楽には違った個性が溢れていて、自分の知っている音楽の世界が一気に広がりました。特に細野晴臣さんの奥行きの深いこと深いこと。雪村いずみさんのレコードを聞いていると母親から「いったいなんでこんな音楽を聞いているの」とビックリされました。まだシンセ音楽を聞いているのが「当たり前」に見られていたようです。

ツアーでプログラム担当をされていた松武秀樹さんがアルバムを出すと、さっそく手に入れて「そうだよ。こういうのだよ」と自分のやりたかった音作りを代弁してくれたような内容で、すっかりファンになってしまいました。

そういえば最初のアルバムが出たのは、ちょうどAPPLE][を手に入れた時期に重なっていて、まだパソコンで音楽を楽しめるようなハードウェアでは無かったのですが、ビープ音だけで「ライティーン」の主旋律を必死にだしていた覚えがあります。

それから少し経って、おそらく「マルティプライズ」の制作中だと思うのですが、高校でホンの一部の人の間で「見た見た!いたよ」という訳のわからない噂が広がり、言われた場所に行ってみるとビルの非常階段の辺りに見覚えのある人達がいるのがわかりました。どうやらジャケットの撮影をやっていたようです。私は生の姿を確認しただけで満足してしまったのですが、友人は撮影が終わるまで粘ってサインを貰ったようです。彼曰く「良くわかったね」とサインを貰いながら言われたそうで、そのまま地下鉄の駅に去っていったそうです。そんな時代ではあったんですね。

彼らの情報も音楽雑誌とかよりもパソコン雑誌で見つけたりすることも多く「RAM」に出ていた記事は、かなり突っ込んだ内容でした。彼らとしても音楽よりも機材を語る機会はそんなになかったのかもしれず、結構、いろいろな話が書かれていました。

そういうYMOのメンバーの中でも幸宏さんの音楽は、とにかく「オシャレ」で格好良さが溢れていました。当たりは柔らかいのですが強い芯が感じられ、押し付けることもなく「素敵でしょ」と語りかけられている感じがします。音楽だけではなく「オールナイトニッポン」などで生の声を聞くことも多くあったので、その語りも素敵でした。彼自身の魅力だけではなく、彼の周りに集まる人の才能を引き出す力があって、いろいろな人と「組む」ことで世界を広げる力には憧れました。

人はいつか必ず最後を迎えるものですが、まだ早すぎます。本当に残念でなりません。ご冥福をお祈りします。

高橋幸宏

yukihirotakahashi

高橋幸宏

ヘッダ画像はいらすとやさんより

https://www.irasutoya.com/2014/11/blog-post_94.html


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?