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大企業に「閉塞感」が生まれた歴史を調べてみた①いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか?

前回のnoteで、ぼくはあらためて「人事労務管理の10要素」について、日本の大企業で多く見られるしくみを概観し、それぞれにおいて、「選択できる余地が少ないこと」が「閉塞感」の一因になっているのではないか、という仮説を立てた。

またサイボウズのような、「選択できる余地がある」人事労務管理のありかたは、もしかすると、1つの解決策になり得るのではないか、とも。

日本型人事労務管理(選択できる余地が少ないver)

サイボウズの人事労務管理

今回は、なぜ日本企業の多くが、現在のような「選択できる余地が少ない」人事労務管理のしくみを使い続けているのか、いったいどこからその歴史は始まったのかについて、紐解いてみたいと思う。

3つの「メリット」、4つの「謎」

1969年。

まさに高度経済成長期の真っ最中、「日本型人事労務管理」が最も輝いていた時代に、日経連がある一冊の本を出版した。

タイトルは『能力主義管理ーその理論と実践ー』

そしてその本の中に「日本型人事労務管理」のメリットを端的に表している一文があった。

「終身雇用制や年功賃金制は『企業に対する忠誠心を植え付ける』『優秀な労働力を定着・確保する』『長期の人員計画および育成計画を行う』メリットがある」

つまりは、「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つの観点において「日本型人事労務管理」は強力なメリットを有している、ということだ。

日本型人事労務管理 3つのメリット

従業員一人ひとりが会社への忠誠心を持って、仕事にコミットする気持ちをはぐくみ(モチベーション)、たっぷりと長い時間をかけて、技能の成長を促進し(育成)、失業者をできる限り抑えつつ、強制力をもって社内の役割分担も成立させる(雇用)。

これこそが、これまで「日本型人事労務管理」が担ってきた重要な役割であり、長きにわたってこのしくみが重宝されてきた理由ということになる。


そう言われてみれば、たしかに思い当たる節はある。

入社時の研修では毎日のように社訓を唱和し、社内駅伝大会などのイベントでは、みんなそろって社歌を歌った。また日々の会社生活の中でも「愛社精神」を求められることは多くあった。

さらに、社内で繰り広げられる出世レースに勝ち、階段を昇っていくということは、会社へのコミットメントを「時間」「気持ち」の両面から高めていくことと同義だった。

会社のために、24時間、闘えるか。

社内で偉くなるために、それはとても大切な条件だった。

加えて「育成」という観点でも、職場のフォローは手厚く、さらに入社から1年間は殆ど研修期間だったことを考えると、これほどまで丁寧に育成してくれる環境はありがたかった。

そしてこれは、長期間会社にコミットしていくことを前提としているからこそできる体制だ。

「雇用」という面においても、一度正社員として入社したからには簡単にクビになることはない、という安心感はいつも心のどこかにあった。

そしてその安心感は「本当にこの安定した環境を捨てていいのか?」と、ぼくに何度も会社を辞めることをためらわせた。

そう、ぼくは知らず知らずのうちに「日本型人事労務管理」が持つ「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットを、しっかりと体感していたのだ。

ここでぼくの頭の中に、日本型人事労務管理の歴史を紐解くうえで、新たに4つの疑問が生まれていた。

①いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか?

「今の人事労務管理のしくみは、日本人の気質に合った、いわば日本の文化みたいなものだから、中々変えるのは難しいよ」

ぼくは昔、先輩からこんなことを言われたことがある。

もし、先述した3つのメリットに関係なく、「日本型人事労務管理は日本固有の文化だから変えられない」ということであれば、たしかにそれを変えるのは、相当に骨が折れそうだ。

しかし、果たして「日本型人事労務管理」は「日本の文化」と呼べるようなものなのだろうか。そもそも、この「日本型人事労務管理」の形は、いつ、どんな背景で出来上がったものなのだろうか?

②なぜ日本の会社では「忠誠心」が求められるのか?

仮に「日本型人事労務管理」が「日本の文化」などではなく、3つのメリットの必要性によって維持されているものだと分かっても、まだまだ、ぼくの疑問は尽きない。

2つ目の疑問は、なぜ日本の会社では「忠誠心(愛社精神)」が求められるのか、ということだ。

人のモチベーション(何かをする際の原動力)は「忠誠心」以外にもたくさんある。

「お金がほしい」「一緒に働く人の気が合う」、あるいは「仕事内容そのもの」がモチベーションだという人もいるだろう。

しかし、多くの日本企業で求められる「モチベーション」の形は、あくまで「忠誠心(愛社精神)」だ(もちろん、良い悪いの話ではない)。

時代の変化もあり、多少薄まってきたとはいえ、まだまだ日本の企業では、日常会話レベルではもちろんのこと、社内イベントや企業スポーツ、人事評価といった労務管理の施策レベルで「会社で一丸となる(会社のためにみんなでがんばろう!という気持ちを醸成する)」ことを狙いとしたコミュニケーションが多く存在している。

一方で、いまの若手世代には、そうしたコミュニケーションがかえって息苦しく、しんどく感じてしまうこともある(もちろん、そういうのが好きな若手もいるが)。

もっと多様なモチベーションのあり方を受け入れることができれば、いろんな人が働けると思うのだが、やはり、日本の会社で奨励されるのは「忠誠心(愛社精神)」一択である。

数多ある「モチベーション」の中で、日本の会社が「忠誠心(愛社精神)」にこだわり続ける理由は何なのだろうか?

③なぜ日本では会社が「育成」「雇用」に力を入れるのか?

さらに、残り2つのメリットである「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」についても疑問がある。

「育成」「雇用」が会社にとって大切な要素であることはもちろん理解できる。

しかし、なぜ日本の会社では「育成」と「雇用」、この2つの優先順位が突出して高いのか。

たとえば、日本以外の国では自社で時間をかけて「育成」するのではなく、即戦力人材の「採用」に力を入れる会社が多い。

実際、イチから育成するよりも、最初からスキルや経験を持った人を採用した方が、遥かに楽で効率的であるように思える。

また「雇用」という観点においても、企業の視点から見れば、社内でお願いできる仕事がなくなれば、その人をクビにするのが合理的なはずだ。

しかし、日本では社内の仕事がなくなりそうになっても、とにかく会社が「雇用」を守ろうとする。日本以外の国では、仕事がなくなれば解雇するのは当たり前なのに、である。

一体なぜ、日本の会社だけが「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という2つのメリットに、そこまでしてこだわるのだろうか?

日本以外の社会と、一体何が違うのだろうか?

④なぜ日本の会社では3つのメリットを維持できたのか?

歴史を紐解き、日本の会社が3つのメリットを維持し続けなければならなかった理由が分かったとする。

しかし、これでもまだ、最後の疑問が残っている。

もしも「モチベーション」「育成」「雇用」という3つの観点におけるメリットが、簡単に享受し続けられるものであれば、日本以外の国でも同じしくみが使われていてもおかしくないはずだ。

しかし「日本型人事労務管理」と名付けたとおり、このようなしくみを維持し続けている国は日本をおいて他にはない。

つまり、日本には他の国にはない、この3つのメリットを維持し続けられた特別な「何か」があったということになる。

それは一体何なのか。そしてその「何か」は、果たして今の時代においても、変わらず機能し続けているのだろうか?

これら4つの謎を解くために、ぼくは今回から数回に分けて「日本型人事労務管理」の歴史をたどっていきたいと思う。

今回のnoteでは、このまま、まず1つめの疑問──いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか? について書き進めていきたい。

いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか?

いつ「日本型人事労務管理」は生まれたのか。

結論から言えば、その起源は明治期の「お役所」や「軍隊」に適用された「官僚制」にあるとされる。

そして、この「官僚制」最大の特徴は「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」だった。

たとえば当時、国に忠誠を誓った役人の給料は「地位や対面を保持するにふさわしいもの」とされ、「どれだけ価値を生んでいるか」ではなく「身分相応の地位や対面を保持できること」を基準に決まっていた。

いまの日本企業で多くみられる『仕事(どんなことができるか)』ではなく、『人(どれくらい偉いか)』でお給料が決まるしくみの原型はここにあるとされている。

また「新卒一括採用」は、明治期に「お役所」が拡大していくにあたり、大学卒業者が不足していた状態を何とかするため、優秀な学生を卒業と同時に採用し始めたのがきっかけらしい。

「年功昇進」「定期人事異動」も、同じく明治期の「お役所」において、2年ごとに部署を異動しながら昇進するという慣例が生まれたことに原点があるそうだ。

「定年退職」も、元は体力を要求される軍人が一定の年齢になったらやめていく、という「軍隊」の慣行から来ている。

つまり、日本の人事労務管理のしくみの多くは、明治期に「お役所」や「軍隊」に用いられていたものが民間企業にも広がり、それが今もなお使われている、ということになる。

ちなみに、日本以外の国でも「お役所」や「軍隊」の慣行が一時的に民間企業に普及していたことはあったそうで、これは日本特有の現象でも何でもない(そもそも、日本の「官僚制」はフランスやドイツを参考にして作られている)。

「お国のために」生まれたしくみ

「お役所」と「軍隊」。

そう言われてみると、確かに「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットがあるしくみにも合点がいく。

どちらの組織も、そもそもの存在目的が「国を守る」ことであるため、「国家」を裏切らないための「忠誠心」が必要になるだろうし、「こっちの国は嫌になったから、あっちの国のお役所・軍隊に移ろう!」ということはできないため、「育成」「雇用」は組織が責任をもって、面倒を見るしかない。

「モチベーション(=忠誠心)の醸成」「(長期的な)育成」「雇用の維持(労働力の確保)」という3つのメリットを生み出すしくみは、まさに「国家に対する無限の忠誠と、その対価としての終身保障」を前提とする組織にぴったりだった、というわけだ。

官僚制

「しくみ」なら、変えられる

これでひとつ目の疑問、「いつ『日本型人事労務管理』は生まれたのか?」に対する答えが出た。

およそ150年前の明治期、つまり日本が近代化していく時代に「お役所」「軍隊」に適用されていたものが民間企業に広がったのが「日本型人事労務管理」の「はじまり」だった。

よって、「今の人事労務管理のしくみは日本人の気質に合った、いわば日本の文化みたいなものだから、中々変えるのは難しい」という先輩の言葉は正確ではなかったことになる。

「日本型人事労務管理」は、日本の長い長い歴史の中でも、近代化以降に、日本以外の「軍隊」「お役所」でも使われていた「官僚制」をベースに発展したものであって「日本の文化」でもなんでもない。

つまり「日本人の気質」とは関係がなく、時代の変化に応じて、代替案さえあれば「変えられるもの」だということだ。

しかし、ここでぼくは2つ目の疑問「なぜ日本の会社では忠誠心が求められるのか?」について、謎がさらに深まるのを感じていた。

「官僚制」において「モチベーション」の源泉に「忠誠心(愛国心)」が求められたのは、あくまで、代替不可能な「国家」を守ることを目的としていたからだ。

しかし「会社」は「国家」と違って代替がきく(転職すればいいからだ)。

開かれた市場で競争しているはずの会社が「忠誠心(愛社精神)」をモチベーションの中心に置き続けている理由が、ぼくにはますます分からなくなってしまった。

一体どんな歴史的経緯があって「国家への忠誠」は「会社への忠誠」にすり替わったのか?

日本だけが「愛国」から「愛社」に軸を移し、その慣行が続いているのはなぜなのか?

次回は2つ目の疑問、「なぜ日本の会社では「忠誠心」が求められるのか?」について、歴史とともに探求していきたいと思う。

参考文献:
小熊英二(2019)『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』

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