見出し画像

「安楽死」は「安楽な死」ではない

 私の弟は緩和ケア病棟の医師に、「お薬で眠る」と睡眠薬で眠るだけの様な説明で騙されて「持続的深い鎮静」に掛けられ殺害されました(<緩和ケアという名の安楽死ビジネス>参照)。「持続的深い鎮静」は、死に直面した患者を「耐え難い苦痛」から解放する事のみを目的に、死亡まで劇薬の向精神薬を使って患者の意識を奪うと言うものです。この処置が開始されると、同時に水分・栄養補給の点滴も止められますので、患者は急速に衰弱し数日で死に至ります。つまり「持続的深い鎮静」は実質的に「安楽死」と等しいものなのです。

 ところが、この実質的な「安楽死」が、日本の緩和ケアの現場ではその医学的必要性を超えて広範に実施されている様なのです。これは施設によりその実施率が 6.7~68%と大きく分散している事実に端的に現れています(『苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン』厚生労働省厚生科学研究)。しかも、現在では緩和ケアの技術やノウハウの進歩で、痛みで悶え苦しむといった事自体が稀で、「「がん=壮絶な痛みを伴った死」という考え方そのものが、時代遅れ」となっているのです(<がん患者は苦痛に悶え苦しんで死ななければならないのか?>参照)。つまり、万一「持続的深い鎮静」が必要としても、末期がん患者の数パーセント程度に過ぎないはずなのです。

画像5

 即ち、一部の緩和ケア病棟では、「安楽死」そのものを目的に「持続的深い鎮静」が実施されているのです。この事は、係わった医師と看護婦らが、この処置を「安楽死」と認識していた事からも明らかです。自ら劇薬を点滴・注射した患者が、数日で死亡する訳ですから当然でしょう。実際、弟の主治医は「日本では安楽死は残念ながら法律で認められていないので、お手伝いできませんが、代わりにお薬でしっかりウトウトと日中過ごす方法があります」と、「安楽死」に代わるものとして「持続的深い鎮静」を勧めていたのです。

 しかし、この「持続的深い鎮静」を使った「安楽死」は、決して文字通りの「安楽な死」などでは無かったのです。弟は最初に入院した病院で余命宣告を受け、治療不能と言われて将来を絶望し、「苦しまずに死にたい」と繰り返し述べていました。しかし現実には、弟は「持続的深い鎮静」開始の数時間後から、9時間余りも七転八倒の苦痛に悶え苦しんだ末に亡くなっているのです。つまり「持続的深い鎮静」の名で実施されている「安楽死」は、決して「安楽な死」などでは無く、それどころか却って患者に耐え難い苦痛に悶え苦しむ悲惨な死を強制し、本来なら得られたはずの平穏で安らかな死を奪っていたのです。

 それは「持続的深い鎮静」開始直前の弟の穏やかな状況と、劇薬の大量投与が始まった翌朝以降の症状の急変に端的に表れています。次に、カルテの内容を引用しながら具体的に見ていきたいと思います。

画像5

「持続的深い鎮静」開始直前が最も体調が良かった

 弟は「持続的深い鎮静」の開始直前には体調が大変良く、果物やシャーベットを大量に食べ、看護婦にも軽口を叩くなど、精神的にも大変落ち着いた状態だったのです。ところが「持続的深い鎮静」が始まり、劇薬が大量に投与される様になった翌朝には、容態が急変して突然苦しみ出し、繰り返しナースコールで看護婦に助けを求める様になったのです。その度に看護婦は劇薬をさらに追加投与し、弟に塗炭の苦しみを与えていたのです。そして、9時間近く苦しみ抜いた末に夕方になって昏睡状態に陥り、翌早朝には酸素吸入が始まり、急速に衰弱して午後 3時過ぎに死亡しているのです。医師と看護婦は、苦痛に助けを求める重症患者に大量の劇薬を追加投与するという、拷問にも等しい常軌を逸した処置を行い、患者を苦しめ抜いた末に殺害していた訳です。緩和ケア病棟の密室内で一体何が行われていたのか、その実態を理解して頂く為に、少し長くなりますがカルテを引用しながらその詳細を明らかにして行きたいと思います。

 「持続的深い鎮静」が始まったのは5月7日の夜からですが、この日は午後1時半頃から主治医・弟・私の3人で話し合いを持ち、家族の強い反対を押し切って弟に同意書に署名させて処置の実施を決めています。全ての手続きが終わったのは午後 5時過ぎ頃でしたから、4時間近くも問答していた事になります。この間、処置を巡って弟と激しく口論しています。実はこの時、主治医は途中で私を廊下に連れ出し、突然私の胸ぐらを掴んで吊り上げる様にして脅しを掛けています。強力な腕力で締め上げられて、小柄な私は思わずつま先立ちになってしまいました。主治医は年齢 50 歳代、身長165cm 程度ですが、体重は 80kg はある柔道でもしていそうなずんぐりむっくりの体型で、腕周りも普通の人の倍近くも有り大変な腕力です。もう少し締め付けが強ければ呼吸が困難になる程でした。強硬に反対していた私に、苛立っていたのでしょう。

 この廊下での暴行事件の直後に、この主治医に「弟を自宅に連れて帰りたい」と面と向かって退院を申し入れています。その為、主治医は病室に戻った直後に「お兄さんは退院したらいいと言うておられますが、ご自分としてはどうですか?」と、弟に退院の意思確認を行っています。つまりこの医師は、弟が退院可能な状態であると認識していた訳です。そして弟に退院の意思が無いと分かると、直ぐに同意書に署名させているのです。

 「持続的深い鎮静」の実施が決まった後、午後5時半頃に私は傷心の内に自宅に帰りました。実は、5月2日から劇薬の向精神薬の投与激増で弟の容態が急激に悪化し、酷い倦怠感・不眠・せん妄・記憶障害・極端な精神的不安定など、精神病薬特有の酷い副作用が頻出して非常に困難な状況だったのです。そのため、この一週間私は病院に泊まり込むなど気を休める間もなく、6~7日の2日間服薬を止めたお陰で副作用も治まって来てようやく安堵していた矢先に、この日の突然の面談で弟を救う希望を打ち砕かれ、絶望の中で心身ともに疲労困憊していたのです。

 家に帰って休んでいると、午後8時30分頃に弟から電話が掛かってきました。そして「今、睡眠薬を入れている」「これ迄有り難う」と礼を言います。 どうしたのかと聞くと、祖父の死後に世話をしていた母に「有り難う」と礼を言っていたと伝えた時、生きている間に言って欲しかったと言われたのを思い出し、自分も生きている間に私に礼を言っておこうと思い電話したとの事でした。そして「今最後の晩餐でリンゴジュースのゼリーを食べている。ネーブルオレンジを食べたかった」と話したのです。実は、薬剤で意識を奪われたら食べられないと思い持ち帰っていたのです。そこで、ネーブルオレンジ・イチゴ・リンゴなどを持って病院に戻る事にしました。この時、弟は「睡眠薬を入れている」と話していた訳ですが、主治医は「持続的深い鎮静」について「お薬で眠る」「お薬でウトウトと日中過ごす方法」としか説明せず、弟は単純に睡眠薬で眠らされるだけと誤解していたのです。

 病院に着いたのは 21:15 頃で、病室に入ると弟は寝ており、傍でプライマリーナースの看護婦が点滴の準備をしているところでした。そこで「もう意識がないのか」と聞くと「薬を使う前から眠っている」との事だったので、声をかけて起こしネーブルオレンジを持ってきたと伝えました。それから、私が持ってきたネーブルオレンジ 1 個・イチ ゴ 1/2 パック・りんごを食べ、しばらくして意識を失いました。 この時の様子がよく分かりますので、少し長くなりますがカルテから引用したいと思います。カルテの記録によると 18:40 には入眠中で、19:50 に声をかけて起こし、鎮静薬のドルミカム 0.4ml/h CSCI を開始しています。そして 20:00~21:00 頃まで、リンゴシャーベット 15 個 ×4 杯・リンゴジュース 2 パック・オレンジジュース 1 パック を摂取しています。そして、看護婦がセレネース・ヒベル ナの点滴の準備をしている所に私が到着したのです。 以下は私が到着する前からの会話です。▼が、弟の発言です。

▼:「ありがとう。喉乾いた。リンゴシャーベット食べれるかなあ。」 「美味しいわ。最後の晩餐や。最後の晩餐がリンゴシャーベットになるとは思えへんかったなあ」
<看護婦>:「何が好きでしたか?」
▼:「そうやなあ。果物やったら何でも。ネーブル美味しかったなぁ。」
<看護婦>:(兄が持って帰られた事を伝えると)
▼:「そうやろなぁ。怒って持って帰ってしもた。皆に世話になったわ。先生もええ先生や。・・・・看護婦さんも 綺麗な人ばっかりやし、ここに来て良かったわ。」
<看護婦>:「今日はしんどかったですね」
▼:「しんどかった。それにしても病気進むの早かったわ。 もっと先やと思っていたらから予定狂ったわ」
<看護婦>:「身体もしんどいけど、精神的にもしんどかったですね」
▼:「うん。身体もしんどいよ。」
<看護婦>:「お兄さんにお話ししておく事ないですか?
▼:「兄にお礼言っとかな。昔僕のお母さんがおじいさんを看病してて、おじいさんはお母さんに感謝してた のに、僕はそれをおじいさんが死んでからお母さんに伝えたんや。 そしたらお母さんは、おじいさんが生きているうちに聞きたかったって。 お母さん苦労してたから。僕も生きているうちに有り難うって言っとかな。」
<兄に電話>:▼「お兄さんお別れや。今まで有り難う。ごめんな。 今最後の晩餐してる。シャーベットで。ネーブル食べたかったわ。」
<兄が病院に到着>兄:「もう意識ないんですか?」「おい、ネーブル持ってきたぞ。」「これからどうするん ですか?起きたらもっと薬を追加するんですか?意識は戻らないんですか?」
<看護婦>:「薬を使う前から眠っていて、今は薬で眠っているけど、 明日朝にはまた目が覚めるんじゃないかと思っています。」
<兄>:「そうでしょ。こんな薬使わなくても眠れるんですよ。 だから薬使うのは嫌だったんです。先生の思い通りに薬使って寝かされたんです。」
<看護婦>:「眠るのはご本人が希望されていた事じゃないんですか? 首を括ろうとされていたんですよね。」
<兄>:「あんなの見せかけですよ。先生は本気の目やって言うけど、本気じゃない。 ここでは良く有る事なんでしょ。手首を切るとか」
<看護婦>:「ないです。これはよっぽどのことです。」
<兄>:「そうですか。で、明日はどうするんですか?」
<看護婦>:「ご本人が起きられたら意志を確認します。」
<兄>:「また寝かせるんですか?」
<看護婦>:「ご本人の意思を確認します。」

 長々と引用してしまいましたが、この時の弟の様子、雰囲気を知って頂きたかったからです。皆さんはこの会話を聞いてどう感じられましたか。この会話内容を素直に読めば、これが看護婦が毒薬を注入して患者を「安楽死」させる直前に交わされた会話で、看護婦は患者に死ぬ前の最後のお別れの挨拶を家族にする様に促しているのが分かります。そして患者も、死を目前にした思いを看護婦と話している訳です。ですから、まともな良識のある人間から見れば 極めて異様な風景なのです。そして、この会話の直後にこの看護婦は劇薬のセレネース・ヒベルナの点滴をしています。セレネースは劇薬の抗精神病薬、ヒベルナは抗パーキンソン病薬で、一般的な用法ではありませんが変則的に「持続的鎮静」に使われる場合が有る様なのです。実際に死亡するのはこの 1 日半後とはいえ、この看護婦が今自分の行なっている点滴の継続が、患者を確実に死亡させる事実を充分理解した上で実行しているのは会話内容からも明らかです。つまりこの看護婦は、患者が死亡するのを分かった上で、重症患者に劇薬を注入すると言う殺人行為に直接手を下していた訳です。

 また、この看護婦は「 首を括ろうとされていたんですよね」と弟が自殺を企てた様に述べていますが、これは事実ではありません。夕方の主治医との面談で、私が強行に「持続的深い鎮静」に反対していた事から、弟が私に翻意させる目的で「屋上に連れて行ってくれませんか」と自殺をほのめかしたのです。しかし、屋上から飛び降りるとか、自殺するなどとは一切言っておらず、ただのお芝居だったのです。ここで注意して欲しいのは、私の「先生の思い通りに薬使って寝かされた」という非難めいた発言に対する反論として、「首を括ろうとした」と述べている点です。つまりこの看護婦は、患者自身が自殺を企てていた訳だから、毒薬を使って「安楽死」させる事も 正当化できると考えた訳です。死にたいと望んでいる患者を「安楽死」させて何が悪いというのが、安易な金儲けの為に「安楽死ビジネス」を行っている医師と看護婦の発想であり自己正当化なのです。

 実は、 この看護婦との会話で私は大変傷付けられています。私が、弟が殺されると苦悩しながら「先生の思い通りに薬使って寝かされたんです」と非難めいた事を言った時、 看護婦は「眠るのはご本人が希望されていた事じゃないんですか?首を括ろうとされていたんですよね」と吐き捨てる様に言い放ちました。カルテの記述では穏やかに話した様に書かれていますが、実際は「本人が死にたいと言ってたじゃないの!」と言わんばかりの物言いだったのです。つまり「私に責任はない」「私には関係ない」「私の知った事では無い」というニュアンスで発言していたのです。この時は私もカッとなって、自殺は「ここでは良く有る事なんでしょ」と言い返してしまった訳です。この後もこの看護婦は、私が色々質問しても、終始不愉快そうにつっけんどんな返答を繰り返しました。 弟を殺害されるという絶望と傷心の中にあった私に、看護婦は敵意を丸出しにしたトゲのある態度に終始し、失意のどん底で更に不愉快な思いをさせられる事になったのです。この看護婦が、患者の家族にこの様な敵意に満ちた態度を取ったのは、「本人が望んだから」と正当化したものの心の片隅に後ろめたさが有った為と思われます。 私が病院側の対応に非難めいた発言をしたのを切っ掛けに、自分の 心の傷口に触れられて、カッとなって怒りがこみ上げてきたと言う事なのでしょう。

 話を元に戻しましょう。この会話内容からは、弟が酷い苦痛や倦怠感を感じていた様子は全く無く、精神的にも大変落ち着いていて体調も良かった事が理解して頂けると思います。実際、看護婦もこの引用の直後で「松野氏は至って穏やかで冷静で、看護婦に感謝の言葉を繰り返し・・・・涙を流しながら時に笑顔で話されていた。やっと願いが叶えられたと安心していると感じる事が出来た」と書いているのです。 このように体調の大幅な改善が有ったからこそ、わざわざ私に電話をして最後の別れとお礼を言う心の余裕も出てきた訳です。また看護婦にも「看護婦さんも 綺麗な人ばっかりや」と軽口を叩くなど、気分も上々で心に余裕があった事が分かります。これは食欲にも現れています。私への電話の中でも「ネーブル食べたかったわ」などと話しており、食欲が有った事が分かります。 実際、私が病院に到着する前に、リンゴシャーベット 15 個×4 杯・リンゴジュース 2 パック・オレンジ ジュース 1 パックを摂取し、その直後に私が持参したネーブルオレンジ 1 個・イチゴ 1/2 パック・りんごを食べている のです。 リンゴシャーベットは家庭用の製氷皿で作ったもので、15 個×4 杯=60 個で大変な量です。私が持参した ネーブルオレンジ・イチゴ・りんごも、一度に食べると健康な人でも腹一杯になる程の量です。これだけのものを 1 時間余りの間に飲食していたのです。しかも「ネーブル美味しかったなぁ」などと嬉しそうに話しています。これが、この後わずか 1 日半で死亡する様な患者に見えるでしょうか。このように食欲も十分あり、肉体的苦痛も無ければ精神的にも穏やかに落ち着いている患者を、病院は「持続的深い鎮静」かけ、大量の劇薬を投与して苦しめ抜いた挙句に殺害しているのです。しかも弟は「薬を使う前から眠っていて」、「持続的深い鎮静」に掛けるまでも無く安眠できている訳です。ですから万一死亡するにしても、このまま投薬を止めて「持続的深い鎮静」を実施しなければ、翌日に弟が経験した様な劇薬で一日中悶え苦しむ事もなく、精神的に落ち着いた状態のまま、穏やかな最後を迎えられたはずなのです。

向精神薬の減薬が体調の劇的改善に

 では何故、「持続的深い鎮静」開始直前のこの時に弟の体調がこれ程までに良好で、精神的にも安定していたのでしょうか。実は5月2日から、海外では「安楽死」に使われるフェノバール(抗てんかん薬)も含めて5種類もの劇薬の向精神薬が大量に投与され、弟はその酷い副作用でずっと苦しめられ続けていたのです。しかし、精神病薬特有の酷い副作用の突然の頻出に驚いた私は、看護婦に頼み込んで服薬を止める事に成功したのです。主治医がゴールデンウィークの休暇に入っていたのが幸いしました。その結果、6~7日の 2 日間はほとんど薬を服用しておらず、劇薬の酷い副作用が徐々に治まりつつ有ったのです。つまり処置開始直前のこの時が、弟の体調と精神状態が最も改善した良好な時期に当たっていた訳です。

 劇薬の投薬量が激減していた状況を、(表 6)「劇薬の向精神薬の投薬量の変化」に示しておきます。 CP 換算値は、抗精神病薬の投薬量をクロルプロマジンの用量に換算したものです。劇薬合算と書いているのは、主治医が弟に処方していた 7 種類の劇薬の量を単純に加算したものです。劇薬といっても薬によって毒性は大きく異なり、また薬剤間の相互作用によっても毒性は変化しますので、単純に合算するのは大変荒っぽいやり方ですが、大まかな傾向は掴めると思います。この表を見ると、6~7 日の 2 日間の投薬量が激減していた事が分かります。特に、5 月 7 日の「持続的深い鎮静」開始迄の数値(カッコ内)が極端に低い事から分かる様に、夜の「持続的深い鎮静」開始直前が向精神薬の影響が抜けて副作用が最も弱まっていた時期に当たるのです。 それが、劇的な体調の改善に繋がっていた訳です。また表6)では、4 月 30 日と 5 月 1 日の 2 日間も同様に投薬量が激減していますが、この時も 5 月 2 日早朝の体調の劇的改善に結びついています。

画像1

 図2)「劇薬量・ CP 換算値の推移」は、同じく劇薬7種合算と CP 換算値の推移を、入院した3月27日から死亡の5月9日までをグラフにしたものです。2つのピークの間の大きな谷が、6~7 日の投薬量が激減を示しています。 そして翌8日の急峻なピークで、劇薬を大量投与され、弟は苦しみの内に死亡する事になるのです。

Cp換算値グラフ


翌朝の容態の急変

 7日夜の「持続的深い鎮静」開始直前は大変体調が良かった訳ですが、翌朝になり劇薬の投薬量が増えてくると急に苦しみ出し、繰り返し看護婦に助けを求める様になるのです。ただ、8 日の早朝時点では、7 日夜に劇薬の投薬が始まったばかりで体内への蓄積も少なく、6~7 日の大幅減薬の効果が残り、落ち着いた状態だった事がカルテから窺えます。その部分を引用しておきましょう。

5 月 8 日早朝 2:00、<ワコビタール座薬挿入>
<看護婦>:「眠れてますか?」
▼:「眠れてるよ。大丈夫。ありがとう。」
3:45、▼:「おしっこしたい」「眠れへんわ」
<看護婦>:「点滴しましょうか?」 / ▼:「して」
4:00、<セレネース・ヒベルナ点滴>
4:20、▼:「ここ痛い」 /< 看護婦>:( CSCI 接続部をガーゼで保護)
4:30、<看護婦>:「明日お兄さん来られたら、起きましょうね」
▼:「うん、起こして」
5:10、<看護婦>:(コール有り・・・・湿性咳嗽有り。吸引にて咽頭部から粘稠痰中等量)
▼:「もうあかん
7:15、<看護婦>:(コール有り、右肩の痛み訴え・・・・湿性咳嗽有り)
▼:「どうしよう。どうしたらいい?」
7:30、コール有り、/ ▼:「もうあかん。どうしたらいいの?わからん。」
7:50、コール有り、/ ▼:「もうあかん。どうしたらいいの?わからん。」
<看護婦>:「昨日から眠れる様にお薬使ってるんで、このまま寝ててもらっていいんですよ」
▼:「わからん」
<看護婦>:「昨夜は眠れました?」
▼:「眠られへんかった」 「どうしたらいいの?わからん。寝かせて
<看護婦>:「お兄さん来られるまで待てませんか?」
▼:「待たれへん」
<看護婦>:「眠れる注射しますか?」
▼:「して。ありがとう」
8:00、<セレネース・ヒベルナ静注>
9:30、▼:「眠れるようにして。早く」「みかん食べる。座薬入れて。眠たい。ネーブルまだ?」
<看護婦>:(リクライニングチェアに移動、ジュース 2 本飲用・・・・ 混乱している様子が有り。ネーブル約 1/3 個摂取・・・・)
10:20、<ワコビタール座薬挿入>

 ワコビタール座薬はフェノバールを座薬にした劇薬の抗てんかん薬で、主治医はセレネース・ヒベルナ静注と併用して「持続的深い鎮静」に使うと言う変則的な使用法をしています。現在では、セレネースの様な抗精神病薬は鎮静薬とは認められていませんし、座薬を使うのは「調節しにくく効果も不安定なため、座薬を持続的鎮静として用いるのは他に代替手段がない場合」(『がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き2018年版』日本緩和医療学会)に限るとされているのです。そもそも「持続的鎮静」の第一選択薬は、ベンゾジアゼピン系鎮静薬のミタゾラム(ドルミカム)で、フェノバールはそれが有効でない場合に使用する事になっているのです。ところが弟には、9日も前の4月30日から毎日ワコビタール座薬が処方されていたのです。この医師は最初から、日本緩和医療学会が推奨する方法を採っていなかった訳です。

 カルテの記述から、8 日早朝の 4 時頃までは落ち着いていて体調もそれほど問題なかった様です。しかし、4:00 にセレネース・ヒベルナが点滴された 1 時間後、▼「もうあかん」と発言していますから、投薬量が増えて来た 5 時頃から体調が急速に悪化して来たものと思われます。そして 7 時過ぎには繰り返しナースコールを押して、▼「もうあかん。どうしたらいいの?わからん」と看護婦に助けを求めています。その後、セレネース・ヒベルナの点滴・静注が繰り返されるたびに状況が悪化し、酷い倦怠感と不眠の訴えが頻繁になり、精神的にも急速に不安定化して行くのです。

 実は、セレネースはせん妄の標準治療薬とされる定型抗精神病薬で、睡眠薬ではなく却って眠れなくなってしまうのです(『緩和治療薬の考え方、使い方』森田達也著)。実際、セレネースもヒベルナも添付文書に「不眠」の副作用を持つ事が明記されています。反対に、前日の夜は「薬を使う前から眠っていて」自然で穏やかな睡眠が出来ていた訳で、急増したセレネース・ヒベルナの点滴・静注が却って自然な眠りを妨げ、不眠を悪化させていた事は明白です。そして、9:30 頃には「混乱している様子」が出て来ます。これ以降は、日勤の看護婦に交代しますが続けて引用します。

<看護婦>:(午前中は半開眼で時折鼾かきながら入眠されている。)
11:30、<ドルミカム 0.5ml/H にドーズアップ施行>
11:45、<看護婦>:(薬剤を持ってくる間も待てずに頻コール・・・・)
▼:「はよ寝かして。しんどい・・・・辛い」「どうしたらいいか分からん。どないかして
12:00、<セレネース 0.3A+アタラックス P1A+生塩 50ml、ワコビタール座薬>
13:50、▼:「はよ寝かして。しんどい・・・・辛い」「どうしたらいいか分からん。どないかして
<セレネース・ヒベルナ点滴>
15:00 前頃、ケアマネージャー面会
15:00 過ぎ、<看護婦>:(自殺企図の可能性が有り、すぐに駆けつけられるよう 150 号室に移動し赤外線 センサー設置・・・・)
15:20、<ドルミカム 0.6ml/H にドーズアップ施行>
15:40、<看護婦>:(▼「眠りたい」と訴え有り)
<ワコビタール座薬挿入>
15:50、<看護婦>:(▼「座薬が効かない、早く寝かしてほしい」と訴え有り)
<ドルミカム 0.2ml レスキュー>

 カルテの記録を見ると、12 時前頃からさらに状態は悪化し、精神的に非常に不安定化してイライラしていた様子が分かります。また、不眠と倦怠感の訴えも「薬剤を持ってくる間も待てずに頻コール」するほど酷くなっています。 そして体調が急激に悪化し、不眠・倦怠感の訴えがある度に病院側が薬剤を次々と投与していた実態が記録されています。ここで、7 日夜の「持続的深い鎮静」開始から、どのように向精神薬の投薬量が激増して行ったか時系列で見ておきましょう。太字が劇薬です。

5 月 7 日の投薬
オキファスト CSCI、0.1ml/H(24 時間持続皮下注射)
12:00 ワコビタール座薬 30mg
<「持続的深い鎮静」開始>
19:50 ワコビタール座薬 30mg
19:55 ドルミカム CSCI、0.4ml/H 開始(24 時間持続皮下注射)
21:20 セレネース 0.5A ・ヒベルナ 0.3A 点滴
5 月 8 日の投薬
2:00 ワコビタール座薬 30mg
4:00 セレネース 0.5A ・ヒベルナ 0.3A 点滴
8:00 セレネース 5mg 静注
10:20 ワコビタール座薬 30mg
11:30 ドルミカム CSCI、0.5ml/H へ増量
12:00 セレネース 0.3A ・アタラックス P1A 点滴
ワコビタール座薬 30mg
13:50 セレネース 0.5A ・ヒベルナ 0.3A 点滴
15:20 ドルミカム CSCI、0.6ml/H へ増量
15:40 ワコビタール座薬 30mg
181
15:50 ドルミカム CSCI、0.2ml レスキュー
20:00 セレネース 0.5A ・ヒベルナ 0.3A 点滴
22:00 ワコビタール座薬 30mg
(*太字が劇薬)

  これを見ると「持続的深い鎮静」開始以後に、向精神薬の投薬量が如何に激増していたか良く分かります。7 日夜 の処置開始までは、オキファスト CSCI(持続皮下注射)とワコビタール座薬 1 個だけだったのが、それ以後は休む間もなく次から次へと劇薬が投与されているのです。これは(表 6)にも明確に表れています。「持続的深い鎮静」開始前の 5 月 7 日と 8 日を比較すると、CP 換算値が 0 mg から 875 mg へ、ワコビタール座薬は 30 mg から 120 mg へと 4 倍、劇薬の合計は 66 mg から 182.75 mg へと 3 倍以上に急増 しているのです。4 月 29 日と比較しても、CP 換算値で 8 倍、劇薬の合計は 2 倍以上にな っています。

 たった 1 日で CP 換算値で抗精神病薬を 7 倍、劇薬の投薬量を 3 倍以上に一気に増やせば、 精神状態や体調が急激に悪化するのは当然でしょう。8 日の昼頃には、▼「しんどい・・・・辛い」と酷い倦怠感を繰り返し訴 えています。また弟が何度も、▼「もうあかん。どうしたらいいの?わからん」「どうしたらいいか分からん。どないかして」などと訴えているのも、遣り場の無い倦怠感に自分ではどうすれば良いか分からないと言う意味でしょう。ですから 朝の 7 時頃には、酷い倦怠感に悩まされ始めていたと考えられます。

 毒薬と劇薬は致死量の多寡によって便宜的に区別しているだけで、劇薬も量が増えれば毒薬と全く同じです。抗がん剤が倦怠感を引き 起こす事は良く知られていますが、それは抗がん剤が劇薬・毒薬である為で、それと同じ劇薬の向精神薬の大量投与が酷い倦怠感を引き起こすのは当然です。しかし、弟が▼「しんどい・・・・辛い」「どないかして」と苦痛を訴え 助けを求める度に、医師は劇薬の追加投与を繰り返し、もがき苦しんでいる瀕死の患者にさらに苦痛を累加して、死の間際に塗炭の苦しみを味わわせていたのです。そして弟が意識を喪失して昏睡状態になる迄、これでもかと言わんばかりに劇薬を追加投与し続けていたのです。これだけの劇薬を短期間に投与されれば、健康な人でも酷い倦怠感に襲われ、耐え難い苦痛に悶え苦しむはずです。薬や毒物は肝臓で解毒・分解されますが、生理機能の低下した重症患者では十分な処理は不可能です。それを、この医師は重病人で体力も消耗し、▼「はよ寝かして。しんどい・・・・辛い」「どうしたらいいか分からん。 どないかして」と繰り返し助けを求めていた弟に劇薬を投与し続け、とことん苦しめ抜いた末に殺害しているのです。弟は、毒薬を使って医師と看護婦に寄って集ってなぶり殺しにされたのです。

 15:00 前頃と思われますが、自宅療養中に世話になっていたケアマネージャー(CM)が面会に訪れています。この時の様子をカルテは次のように記録しています。

<看護婦>:(CM 来院時、本人に声を掛け本人からは弱いながらも返答が見られ、CM の事も認識されてい る。)

 この記述からは、15:00 頃には大量投与された劇薬の蓄積で、弟は意識が朦朧とした状態であった事が窺えます。そして、夜に入ると大量投与された劇薬の蓄積により、意識不明の昏睡状態に陥ったのです。夜の様子を次に引用します。

<看護婦>:(夜勤帯に入ってからは、時に鼾をかいて良く休まれている。ただ上肢は挙上したり屈曲したりとよく動き、それで赤外線感知し何度もセンサー鳴っている。20 時前、定期のセレネースヒベルナの点滴施行。その際も、上肢よく動かれており、半開眼されていた為点滴の声をかけたが返答なくそのまま閉眼入眠
される。・・・・点滴中も上肢動かされる為、途中で滴下止まっていたりしたが、点滴終了後からは暫く赤外線センサーも殆ど鳴る事なく経過する。22 時、定期のワコビタール座薬挿肛時も、一瞬上記声漏れ有り、ボーっと半開眼されたが覚醒されることなくそのまま入眠されている。・・・・上肢動かすなどの体動は有るもの
の、昨夜からの色々な薬剤の蓄積により、やや深めの入眠に入った様子。)

 夜間の記録はこの文章だけです。一晩中、意識喪失した昏睡状態状態で、看護婦にとっては何の手間も掛からなかったと言う事なのでしょう。そして、翌9日早朝に容態が急変します。 6:55に酸素吸入開始。11:00には チアノーゼと下顎呼吸が出現。 13:11にはモニターアラームが鳴ります。 13:20にアンビューバックで人工呼吸を開始。 そして、15:09に死亡しているのです。


苦しめ抜いた末に毒殺

 今回の安楽死殺人で私が最も許せないと思うのは、医師と看護婦が苦しんでいる弟に対して、次々と劇薬を投与し続け、苦しめ抜いた挙句に殺害している点です。それは、7 日夜の「持続的深い鎮静」開始直前の弟の穏やかな様子と、8 日の日中に劇薬を大量投与され悶え苦しんでいた状況を比べてみれば歴然です。7 日夜の 20:30 頃、弟は「僕も生きているうちに兄にありがとうって言っとかな」と私に電話をしてきて、「お兄さんお別 れや。今までありがとう」 と今生の別れと礼を言っています。そして、意識を失う 22:50 頃まで、リンゴシャーベット・オ レンジジュース・ネーブルオレンジ・リンゴ・イチゴなどを大量に飲食し、充分に食欲も有った同時に精神的に落ち着いていたのです。 この時の様子を、看護婦も「至って穏やかで冷静で、看護婦に感謝の言葉を繰り返し・・・・涙 を流しながら時に笑顔で話されていた」と書いていました。7 日夜にこれほど体調が改善していたのは、 6~7 日の 2 日続けて劇薬の向精神薬の投薬量が激減していた為です。

 ところが、 劇薬の大量投与が始まった 7 日夜以降には 容態が一変してしまう訳です。そして、翌 8 日朝の 7 時以降には、繰り返し▼「はよ寝かして。しんどい・・・・辛い」「ど うしたらいいか分からん。どないかして」と看護婦に助けを求める様になったのです。その度に病院側は劇薬の追加投与を繰り返し、弟は増々耐え難い苦しみを味わされる事になります。こうして、朝 7 時頃から午後 2 時頃にかけ て容態はどんどん悪化して行きました。午後 3 時頃にケアマネージャーが面会に訪れる頃には、薬の蓄積で意識が朦朧となっています。そして、午後 4 時以降は意識不明の昏睡状態になり、そのまま翌日の死亡に繋がって行ったのです。

 劇薬というのは、致死量の違いだけで基本的には毒薬と同じものです。先に掲載した(表 6)「劇薬の向精神薬の投薬 量の変化」を見れば、その劇薬の投与を 5 月 8 日に一気に拡大していたのが分かります。これだけの劇薬を投与さ れれば、健康な人でも酷い倦怠感に襲われ悶え苦しむ事になるのは明白です。それを弟が、▼「しんどい」 「辛い」「どないかして」と看護婦に助けを求める度に、医師と看護婦は弟が重病人で抵抗出来ないのをいい事に、早く意識を喪失させて黙らせようとばかりに、昏睡状態になるまで繰り返し劇薬を投与し続けたのです。のべつ幕無しに劇薬の向精神薬が投与された結果 、弟は朝 7 時過ぎから夕方 4 時頃にかけて約 9 時間もの間、塗炭の苦しみを味わわされる事になりました。「痛みと苦しむ事が不安です」「僕の希望は死ぬこと。楽に死ねること」「もう痛くない様に、苦しくない様に死にたい 」などと言っていた弟ですが、実際には 医師と看護婦によって瀕死の重体から大量の劇薬を投与され、苦しめ抜いた挙句に殺害されたのです。弟が望んだ「安楽死」は「安楽な死」などでは決して無く、耐え難い苦しみに苛まれた末の悲惨な死だったのです。本来なら、まだまだ生きられる寿命が有る人間を毒薬を用いて無理やり殺害している訳で、患者が悶え苦しむのはむしろ当然でしょう。

 劇薬は、本質的には毒薬と同じものです。劇薬を用いた「安楽死」は、文字通りの意味の「安楽な死」などでは決して無いのです。これは耳障りの良い言葉で真実を隠蔽する、恥知らずな欺瞞に過ぎません。 劇薬の向精神薬の投薬量が激減した 5 月 2 日と 7 日の2回も、弟の症状が劇的に改善した事からも明らかな様に、これらの劇薬の投薬さえなければ、同じ死ぬにしても穏やかで安らかな死を迎える事が出来たはずなのです。金儲けの為に「持続的深い鎮静」を行なっている破廉恥な医師こそが、患者に塗炭の苦しみを与え悲惨な死に方を強制しているのです。瀕死の重症患者 に劇薬を大量投与すれば、患者がどれほど苦しい思いをするか、少し考えてみれば誰にでも分かる事です。金儲けに目が眩んだ悪徳医師が、「お薬でウトウト過ごす方法」などと患者と家族を騙して「持続的深い鎮静」に掛け、どうせ余命幾ばくも無い末期がん患者が「死にたい」と言っているのだから、希望通りに 「安楽死」 させてやって何が悪いとばかりに安楽死ビジネスを行っているのです。そしてこの厚顔無恥な連中こそが、患者の人生最後の瞬間を苦しみに満ちた悲惨なものにしているのです。

 本人が意識を喪失しているからと言って、苦痛の表情を見せ無いからと言って、本当に苦痛を感じていないかどうかは誰にも分かりません。本人は死の一歩手前で、苦しみを肉体的反応として示す事が出来ないだけかも知れませ ん。「安楽死」させる側の人間が、本人の肉体的な反応がなければ苦しんでいないに違いないと、自分に都合の良い様に一方的に解釈しているだけなのです。本来は「安楽な死」では無いものを、安楽死ビジネスで金儲けを狙っている 既得権益者が、「安楽死」と言う欺瞞的な言葉を使って真実を隠蔽している訳です。患者が苦しむのなら、一層の事殺してしまえば 苦しむ事も無いだろうと言うのが、金儲けの事しか頭に無いこうした連中の考え方なのです。弟の苦しみ抜いた末の悲惨な死は「安楽死」などでは無く、 毒薬を使った野良犬や野良猫の殺処分と同じ、用済みになった末期がん患者の殺処分・屠殺です。実際に、動物の殺処分と人間の「安楽死 」には、同じ劇薬のフェノバルビタールが使われている事が真実を如実に物語っています。現在の日本では、良心や道徳心の欠片も無い医療従事者によって、一部の緩和ケア 病棟は末期がん患者の殺処分場と化しているのです。

画像3




いいなと思ったら応援しよう!