染井吉野と神代曙 そして山桜
今日4月7日日曜日は早朝こそ雨が残っていましたが、日が高くなるにつれ青空に。光に満ちた花見日和となりました。
私はと言えば、運動不足の解消も兼ねて武蔵野の西の方をサイクリングした帰路、小金井公園に立ち寄りました。
(タイトルの写真は前日の家の近所の染井吉野です)
小金井公園では染井吉野が最盛期を迎えていました。
今年は染井吉野の花期は短いと予想するのですが、その最も最盛期に青空から光が溢れ、しかも日曜日というのはなかなかに稀有なことではないでしょうか。
しばし自転車を置いて、その光の洪水に目を奪われたり、写真を撮ったり、はらはらと舞う秒速5センチメートルの揺らぎに満ちた空間に身を委ねていました。
こちらは、広々とした空間にゆったりと植えられているおかげか、縦横無尽に枝を伸ばした元気な老木が多いように思います。見事です。
その分、人も多いのですが、上野や千鳥ヶ淵のような混雑という訳ではなく、ゆったりと歩き回ることができます。
日本中、至る所で春を象徴するかのように咲き乱れる染井吉野。
接木で増やされたクローンであるせいか、同じ場所であれば開花も一斉。
最近は開花が早まっていますが、学校の入学式で咲く桜といえば染井吉野を思い浮かべる人がほとんどではないでしょうか。
江戸彼岸を母に、大島桜を父として江戸時代に生み出された栽培品種。
戦後により多く植樹されていったのだそうです。
ところが、この我々が親しんだ染井吉野が、最近はさくら類てんぐ巣病に犯されることが多いのだとか。また、小金井公園のような広々とした場所であれば良いのですが、その横へ枝を伸ばして言おうとする特性から、街路樹で植えられたものは、信号や標識を遮る枝は切り落とされたりすることも多いのだとか。それで、てんぐ巣病に強く、染井吉野よりは樹形が小ぶりな神代曙が、その後継候補とされているのだとか。
先日、神代植物公園の神代曙の写真をご紹介した通り、染井吉野よりは開花時期が少し早いようです。
日本花の会という公益財団法人が、従来は染井吉野の苗木を配ってらっしゃったのが、今では中止され、変わって神代曙の苗木を積極的に配布されているのだとか。
神代曙は、日本から贈られた染井吉野が他の桜と交雑してできたアケボノ(日本名:アメリカ)が神代植物公園に植えられていたものの中の突然変異種(?)だとか。アメリカだと思っていたものの、違う特製のものが見つかったものが、神代曙。上のnoteの写真は、異なる木ですが、今もその原木が神代植物公園に残されています。
ちなみに、下の写真がそのアケボノことアメリカ(ややこしい)。
神代曙は綺麗な桜です。しかし、私はやはり白に使い臼桃色が小手毬のように丸い塊が宙に舞うような染井吉野の方が好きかな。
慣れの問題なのかもしれませんが。
もっとも、私が桜のうちで最も愛するのが山桜と一重白彼岸枝垂桜。
今日の小金井公園にも、数は少ないものの山桜が咲いていました。
子供の頃は、葉が花と共に出るのが好きでは無かったのですが、大学を卒業した頃から、この新芽の朱が、染井吉野同様に白に近い淡い臼桃色を引き立てる、その野趣に惹かれるようになりました。
染井吉野は曇天や雨だと寂しげですが、山桜は朝靄で小雨降る時が艶っぽく詩情溢れるように感じるのはこの朱のおかげのような気がします。
そう言えば、大好きな菊池芳文さんの「小雨降る吉野」が東洋国立近代美術館で展示されているもの今日まででしたね。
とはいえ、山桜は吉野とは言わずとも、下界で愛でるよりはやはり光り輝く新緑のモザイクの中での姿に最も惹かれます。
西丹沢の山々が笑い始めるのも間も無くでしょうか。
そうそう、この時期は辻邦夫氏著「西行花伝」の再読もしたくなります。
「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」
陸奥と共に桜の花をこよなく愛された西行法師。
西行法師が愛された桜は、左近の桜と同様の山桜ですね。
爛漫たる春を楽しみましょう。桜餅の甘味と共に。
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