見出し画像

みずから学び成長できない社会人になってしまうと詰みます

1週間の中で、誰にも強制されずに自分でやっている学びや自己投資はありますか?
自主的に生涯学び続ける力は、21世紀を幸せに生きていく上で不可欠な素養です。

「大学で学んでるから自分で何かを学ぶ必要はない」と思った人ほど読んでいただきたいと思って書きました。学生のころに自力で学ぶ習慣や能力を身につけておかないと、社会人になってから痛い目を見るからです。

学生の間は、学校や先生たちがみなさんに(良くも悪くも)学ぶことを強いてくれます。また、「何を学ぶか」も学校側が用意してくれています。選択科目などもありますが、用意された中から選ぶだけです。

統計学を学ぶ2人を例に取って比較してみましょう。

一人は、単に「統計、ミクロ経済、マクロ経済、経済史、会計の中から3つ選択して履修しなさい」と大学から言われているので統計学を選択し、単位がかかっていることもあり、毎週きちんと出席して優秀な成績を取りました。

もう一人は、社会の変化や需要、キャリアのあり方を自分自身で考えた上で「自分は統計学の素養を身につけるべきだ」と思い立って勉強を始め、信用できる書籍や参考文献を見つけ、忙しい中でも時間を工面しながら学習を続けています。

1人目もとても素敵ですばらしいと思いますが、この2人には雲泥の差があります。後者のように、自分自身で何を学ぶべきかを考え、その学習を実行していける能力を身につけておかなければ、卒業して社会に出たあとに苦汁をなめることになるように思います。


なぜ社会人になっても学び続ける必要があるのか

「学生のときにたくさん学んだのに、なぜ社会人になってからも学び続けないといけないんだ!」
って思う方もいらっしゃるかもしれません。

これまで、人生は教育と労働の2つのステージに明確に分かれており、教育で身につけた技術や能力を労働の期間で活かし、社会に貢献しながらお金を稼ぐことで十分に活きていくことができました。

しかし、技術や社会の加速度的な変化や長寿化などさまざまな要因によって状況が変化しました。21世紀においては、最初の20年程度の教育の期間で身につけた能力だけでは、長い労働の期間を生産的に充実して生きていくことが難しくなっています。

詳しく説明していきます。

キャリアのステージごとに必要なスキルが変わる

大卒者の所得の変化に大きな影響を与える要素は何かを調べた研究があります(濱中, 2013)。

①上司との対話の頻度
②ロールモデルの存在(あこがれの先輩など)
③自己学習時間
④その他(企業規模や転職経験の有無etc)
の要素の中から、大卒者で所得の高い人とそうでない人で何が大きく違うのかを調べました。

結果、①②は違いがなかったのに対し、③自己学習時間は大卒者の所得に大きな影響を与えていることがわかりました。自分でたくさん学んでいる人ほど高い収入を得ているということです。

会社に入ったばかりの頃に任される仕事は単純なものが多いかもしれませんが、その後ポストが上がるにつれ、仕事が複雑化したり、部下を持つことで求められる役割が変化したりします。身の回りの上司や同僚、経験から学べることは限られていますし、経験は受動的かつ偶発的な学びなので時間がかかります。能動的に、不足する能力を補うために自分なりにテーマを決めて勉強したり、新しい課題について調べたりする人が「仕事ができる」と見なされていくわけです。

それに、知的生産労働の現場では、「決められたルーティンを速く正確にこなす」だけではなく、はじめて遭遇する問題に対して最適な意思決定を下していくことが求められます。日々の意思決定の精度を高めるためにも学びは不可欠です。

21世紀の変化が速すぎる

特に21世紀において学び続けることの重要性が増している理由は、技術や社会の変化が速すぎることです。

技術も生活も価値観も、5年、10年単位で塗り替わり続けています。
スマートフォン普及のきっかけになったiPhoneが登場してからまだ15年ですが、今や世の中のサービスや社会制度はほとんどすべての人がスマホを持っている前提でつくられています。
ほんの3,4年前までは数GBしかない通信量を残量を気にしながら節約して使っていましたが、いまや月数十GBが普通で、みんな大容量の動画をモバイル通信を使って屋外で気前よく再生しています。会計時のQR決済もここ2,3年で一気に普及してお店の風景も変わりました。

ここ数年でセルフレジを置くスーパーやコンビニが急増しました。私が毎日利用している阪急電車の定期券も昨年に窓口での新規発行が終了し、オンラインでの申請のみに切り替わりました。
仕事や雇用の観点から見れば、レジや窓口で顧客対応するという仕事が消えつつあるということです。

社会や生活のあり方が変われば、仕事内容や働き方、求められるスキルも変わります。求められるスキルが変わっているのに学び続けない人は当然置いていかれます。

あるシステム開発会社の人事の方に「採用のときに見ているポイントはどこですか?」という質問をさせていただいたことがあります。
「新しい技術にワクワクして、自分で学んで成長していける人物かどうか。そこだけを見ています」
とおっしゃっていたのがとても印象的でした。

技術が目まぐるしい速度で進歩しており、今使われているプログラム言語が5年後には時代遅れになるような世界なので、エンジニアも日々学び続けて自らをアップデートし続けなければ、すぐに「使えない人材」になってしまいます。

日本企業は法律上、正規雇用の社員を解雇しづらいため、技術や環境の変化で職業的に無能になってしまった人を切りづらい状況にあります。従業員も「成長しなければ切られる」という危機感がないので学ばない、従業員が学ばないので企業も技術発展について行けずに業績が伸びない、という悪循環に陥っています。

この点はアメリカなどとは対照的で、技術発展についていけなくなった人材は、ときには部署単位で容赦なく整理されるため、従業員の方も必要とされ続けるために学び続けなければならない状況にあります。

日本の経済停滞の要因はさまざまですが、この「従業員が学び成長しようとしない + 無用になった従業員を解雇しづらい」という状況は日本企業の低迷の1つの大きな原因なのではないかと思います。

先の人事の方が「学び続けられる人材がほしい」とおっしゃる切迫感がよく分かります。

変わり続ける世界で学びを放棄するというのは、2022年現在でいまだにWindows2000のパソコンを使っているようなものです。「活躍できない」どころか、お荷物になりかねません。


ウィンドウズ2000は幸せか

というわけで、「なぜ社会人になっても学び続ける必要があるのか」についてお伝えしてきました。
自分や家族の生活を支え続けていくためにも、組織や社会に貢献し続けるためにも、充実感を持って生きていくためにも、学び続け、成長し続けていく必要があります。

現状の日本の法律では、企業は従業員を解雇しづらいので、一度大きな会社に入ってしまえば、学ぶことを放棄して職業的に無能になったとしても晴れて「ウィンドウズ2000(年収2000万もの高給をもらう窓際族)」になれて経済的には安泰かもしれません。

しかし、何も貢献できていない、誰にも頼られない状況はチクチクと心に蓄積ダメージを残していきます。

ヒトは社会的な生き物です。お互いに協力することによって生存し繁栄してきた動物なので、他者や集団に貢献することによって大きな幸せを感じられるように進化の過程でつくられています。

会社に貢献していないのに給料を貰い続け、仕事を振られずに周囲から煙たがれ、つまはじきにされる中で過ごし続けていれば、間違いなく正気を失います。
何もすることがなく飼い殺しにされ、冷たい目で見られながら無為に出勤しては時間を潰す様を想像してみてください。

「ほぼ仕事せずに年収2000万もらえるなんて最高じゃん」
という人は、自分がどのような精神状態に置かれるかについての想像力が足りないように思います。
ハラスメントや家族の事情などでその職場を出なければいけなくなったときにも、他で雇われるだけの能力や自信がなければ辞めるという選択肢も取れません。

学びは楽しいもの

学びや成長は本来とても楽しいものです。知らなかったことを知ったり、できなかったことができるようになったりすると喜びを感じられるように、ヒトの心はつくられています。

「楽しい」と「楽(らく)」は違います。
一日中TwitterやYouTubeをだらだら観ているのは楽ですが、一日が終わったときの充実感はありません(もちろん、そういう時間もときには必要です)。一方、勉強をするのは楽ではありませんが、新しいことを理解したり、何かが上手くできるようになると、とても深みのある楽しさを味わうことができます。

この記事を読むのも決して楽なことではなかったと思います。Twitterやinstagramを眺める「楽」に逃げずにここまで読んでくださったみなさんを心から感謝・称賛したい気持ちでいっぱいです。

最後まで読んでくださったみなさんの人生が、彩りと充実に満ちた素敵な日々の連続になりますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?