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ブラック‐アイ・スーザン(Black-eyed Susan)

この数日ずっと心が捉われていた

あれはどこだったろう

この花の名前を
夫ジェイが教えてくれたのは

その瞬間を鮮明に覚えているが
それがどこだったのか

曇ったガラスを手で拭くように窓の向こうの記憶を探す。

あれはナイアガラフォールを見に行った時ではなかったか
それは私が初めてこのカナダの地に降り立った時でもあって。

そうだそのときだ
確かナイアガラの滝をアメリカ側からも見に行ったのだ。

イミグレーションのオフィスを出て私たちは滝に向かって歩いていた。
つまり私たちはカナダからアメリカに入国してアメリカ側からナイアガラの滝を見ようとしていたのだ。

ジェイは私の右を歩いていた。
そしてふいに

ブラックアイ・スーザンだ

そう言ったのである。
スーザン?
きょとんとしていると
私を越した左をジェイはゆび指した。

そこには植え込みがあって黄色い花たちが野の花のように咲いている。

ほら、真ん中の眼が黒いだろ?

でもその時の私ときたら花のことより、ナイアガラの滝とそこでたまたまみかけたアーミッシュの人たちに気を取られていた。

目の前の現実に
捉われて

私はいつだって大切なことを見落としてしまっている。

そしていつだろう、その花のことを思い出したのは。
ジェイが指さして言ったその瞬間が鮮明に蘇ってきた。
ご近所のおうちで綺麗に群生しているのを見かけたときかもしれない。

ヒマワリよりも穏やかで
ルドベキアよりもたおやかで
デージーよりも背伸びして
コスモスよりも質素で
でも黒い目でこちらをじっと見て来る
ブラックアイ・スーザン

いつか庭に植えたいな
群生する野の花のように

なのにそれもまた
そのままになっていた

それが3日前
友人のスーが
Connon nurseris に行かないかと誘ってきた。
いわゆるガーデンセンターである。

私はそこにブラックアイ・スーザンを探しに行くことを思いついた。

そのお店ではいくつかのブラックアイ・スーザンの鉢がまさに園芸店にいるたたずまいで売られていた。

もう一軒行きましょう、そちらの方がきっとお得な値段よ

スーの言葉に乗って私たちはガーデンセンターをはしごした。でも次のお店では小ぶりの花をつけたブラックアイ・スーザンしかなくて。

家に戻った後スーが気にかけて近くのお店を見つけリンクを送ってくれた。

ブラックアイスーザン$3

そう写真が出ていた。
よく見るとそれは近くにできたばかりのムーンカフェの隣。

翌日探しに行くとそこは不思議な場所で。
花や野菜が植えられたガーデンはあるもののそれらが売られている気配がまるでない。
隣のカフェに入って聞いてみる。

彼が知ってるわ

視線の方を振り向くと、ソファー椅子にのけぞるようにして座りスマホを見ている若者がいた。

色々植えているから、好きなもの勝手に持ってっていいんだよ。
ブラックアイスーザンか・・あるかなあ?

お兄さんが案内してくれたそこは10個あまりのガーデンパッチにまさに様々な植物が植えられていた。
ケール、レタス、トマトなどの野菜、ヒマワリらしきものも見えた。

探してみるわ

私は端からひとつずつ見て歩いた。
でもブラックアイ・スーザンはない。

私は花を追って迷子になったような気がした。

見つからないとなるとどうしても家の前の花壇に植えたくなった。
そしてどこに植えようかとか、こんな風に植えようかとか
その数日私の心はブラックアイ・スーザンに占領されていた。

まったく・・
目の前のことに捉われてしまって・・・。

そんな三日目
ジェイの娘からテキストメッセージが届いたのである。

いまバモントに来てるの

ああ、やっと行くことができたのだ。私は彼女が今日バモントに行ったことを知らなかったのである。それは亡くなった夫ジェイが娘に残した大きな使命だった。

遺灰の半分を生まれ故郷アメリカのバモントで撒いてほしい

娘からのメッセージはこう続いていた


This is a sad happiness.
I scattered Dad's ashes by the water's edge in the Black-Eyed Susan's.  There was a fish that jumped and a butterfly and bees and a lovely light breeze, birds chirping and it was beautiful, He was definitely there

これは悲しいハッピネス
ダディの遺灰を撒いたの
水辺のブラックアイ・スーザンのところに
魚が飛び上がり、蝶がいてハチもいてそして心地よいそよ風
鳥は鳴いて
素晴らしい日だった
彼は紛れもなくそこにいるわ


メッセージには一本の短いビデオが添えられていた。
ジェイが娘に託した一本の羽がなびいている。
それはジェイがかつてカナダの北へ旅した時、そこに住むファーストネーションの人がくれたという白タカの羽である。
ジェイはその人からWhite hawkの名を授かっていたのだ。

灰を撒いたらこれをそばに吊るしておいて
僕がそこに居るとわかるように

そう言ってその一本の白い羽はジェイから娘に手渡されたのである。

ああジェイは生まれ故郷に戻ったのだ
行くたびになぜか悲しかったあのアメリカ・バモントの小さな町

ニューヨークやカリフォルニアやら、そんな華やかな場所とはかけ離れた山間やまあいの素朴な土地。

生まれて孤児院に預けられ
育ての両親にひきとられて
その時は誰も彼にこんな激しい人生が待っているとは
思いもしなかっただろう
カナダに移住しそして生き切ったジェイ

記憶が曖昧でここにたどり着けるかよくわからなかったのだけれど

娘のメッセージはそう続いていた。

ジェイが言っていたりんごの木はあったのだろうか
でも紛れもなくそこだったのだ

ブラックアイ・スーザンの咲いている水辺
そこがジェイの戻るところだったのだ。

ここ数日なぜかブラックアイ・スーザンを探してたの

そう返信に入れるとこう返って来た。

それは不思議!

遺灰を撒くのは
ここに違いないと思ったの
この水辺のブラックアイ・スーザンが咲いているところだって

そして

ダディが何度も話してたの
私が小さかったとき、この花の発音が可笑しくてかわいかったって

そう付け加えられていた。

自然を愛し
一人娘を愛し
遠く故郷から離れたカナダの地に移り住んで
そして
ジェイは
ふたたび
もといた場所に帰って行った


ブラックアイ・スーザンが咲いている
故郷の土に

さみしくなって
思いのほか深く
心がしんとした

This is a sad happiness.

いつかその地を私も再び
訪れることができたらと思う


ジェイの遺灰のいきさつ



日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。