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湖畔だより。その後 20 これできみもカナディアン!

素晴らしいコバルトブルーの翌日から、グレイな日々である。水平線が消えかかっている。
今週は三日続けて雪の予報である。

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また銀行に行かなければならなくなって、レンタカーの予約を入れる。
ネット予約をした後、オフィスに電話するが誰も出ない。
ウィンタータイヤの車かどうかを確認するためだ。
まさかこのオンタリオの12月に貸し出す車に、冬用のタイヤを付けていないはずはないよね、と思いながら電話番号を残す。
が、折返しの電話がかかってこない。
私の発音が悪かったかしら
と、軽く気持ちが落ちる。

しかし、夫がサウスレイク病院に運ばれた日、猛吹雪の中バリーにある病院RVHからの運転の事を思うと、数百倍、気分は楽である。

その恐怖の詳細はこちら。
     マガジン 追憶 in Canada: 湖畔にて。
     生きるとは #17 feels like -35C

https://note.com/kazunagatsuki/n/n90bb2b62f87b?magazine_key=mf11651072e7f
    

そう言えばこんなこともあった。

あれは去年の2月だったか。
夫がまだRVHに入院していた時の事だ。
朝、病院に向かおうとすると、バンがスタートしない。
寒い雪の朝である。
バッテリー?
ライトは点くしラジオも鳴る。
何度かキーを差し込みなおすが
やはりエンジンはかからない。

夫に電話して
今日は病院に行けないかもしれないと伝える。

1時間ほどしてまた試してみる。
すると今度は 何の問題もなくエンジンがかかった。

どゆこと?

しかしとりあえず、病院に向かうことにする。
夫の病状の詳細を聞いておかなければならない。
サウスレイクでの手術を終えたばかりである。

病院にいる間は夫の病状に気を取られて、バンの事をすっかり忘れてしまっていたけれど、帰り、病院の駐車場に向かいながら、エンジンの事を思い出して一気に不安になる。
しかしバンは、当たり前のようなすまし顔で すんなり動き出す。

やれやれ。

気分はほっとして

Sobeysに寄って食料品を買って帰ろう。
そんな余裕がでる。

夫はその頃、緩和ケアの病棟にいて、出てくる細切れ病院食を嫌っていた。一度夫がリクエストしたら、ハマス(ひよこ豆のペースト)は毎日、いや毎食と言っていいほど出てくる。カッテージチーズもしかり。マンダリンオレンジもしかり。夫はとっくに食べ飽きて、仕方がないから私が持ち帰る。冷蔵庫は病院食の透明プラスティックカップに占拠されていた。
そんな様子だったから、夫が欲しいというものを、それはたいてい フレッシュなマンゴーだったり、オレンジだったりアボカドだったりで、毎日持って行くようにしていた。救急車でERに運ばれ、あと二週間と宣言されのちに生き延び、どうにか体調が安定していた頃の事である。しかし状況としては変わらず明日も知れぬ命であった。

さてカートいっぱいのショッピングを済ませて、駐車場に戻ると
バンが動かない。

ここで?

私は疲労の大波にどっと襲われる。
どうすればいいのか。
日は暮れかけている。
一気に不安が押し寄せる。
しばらく運転席に座ったまま考えて
車を置いて自宅まで歩くことにした。

スーパーのカート係の男の子に、
車が動かないので明日取りに来るから、マネージャーに伝えておいてくれと頼む。

雪道だが、雪は降っていないのでまだ楽である。
バンの中から、凍って欲しくないレタスや、朝のコーヒー用のハーフアンドハーフだけを取り出して、バッグに入れ歩き始める。
夜半過ぎればバンの中はもう、自宅の冷蔵庫より冷え冷えになっていることは確実である。肉類は冷凍保存になってちょうどいいかもしれない。

ようやく自宅にたどり着いて夫に電話する。
明日動けば、すぐカナディアンタイヤに持って行けばいいという。夫がいつも利用している修理屋さんは時間が不規則なうえに、オーナーのスリランカ人兄弟の言うことが、私にはほとんど聞き取れないのだ。トランスミッションが上手く入らなくなったときに、ペンか何かをここに突っ込めばいいと”修理”してくれた兄弟である。

翌朝早く
夫が心配して電話をかけてくる。
とりあえず車が動いてカナディアンタイヤまで乗っていけることを祈るばかりである。

良く晴れて、寒いが気持ちのいい朝である。
私はSobeys駐車場までの20分余りをてくてく歩いた。
もちろん歩いている人は 一人もいない。
天気はよくてもマイナス16Cである。
ふと見るとSobeys前の雪道に小さめのブーツの足跡があった。

なあんだ、私だけじゃない、歩いている子供もいるんだ!
とちょっと勇気づけられる。

しかしよく見るとそれらは、
昨夜の私の足跡であった。

そして祈るようにしてキーを回すと
一晩Sobeysの駐車場で過ごしたバンは
ちゃんと動き出すではないか。
この時の私の安堵と言ったらなかった。
すぐにカナディアンタイヤに持っていく。
とにかく乗って行けたことだけで、ほっとする。
受付で説明すると、不具合の箇所を調べて修理前に
電話をくれることになった。
しかし、もういくら値段がかかってもいいから、すぐに修理してもらいたいという気分である。
少し落ち着いているとはいえ、致命的な病気の夫がいる病院に通えないのは致命的である。
今度は40分の道のりを歩いて戻る。
晴れているので、それほどの寒さを感じない。
太陽の光とはほんとうに素晴らしいと、急にひどくありがたく思う。
私はバンがもう修理できるものと思って
軽やかに歩いた。

ロングウィークエンドが挟まると言うので、カナディアンタイアから連絡があるのは火曜日である。

カナダの永住権を取って1年半。予想外のことが起こると予想していたら当たることがわかりつつあった頃で
それでも
火曜日と言っておきながら電話がかかってこない、とか、
かかってきても夕方遅くで、そして修理に時間がかかる、とか、
あるいは修理代が高額すぎて、あのおんぼろバンにはいくらなんでもかけられないだろう、とか、
では一体いくらまでなら支払っていいいか、とか 
一応色々範囲を広げて予想しておかずにはおられない。予想をしておいて、その中のどれかになってくれないと やっぱり不安である。

すると予想外に
朝一番に電話がかかって来た。
そして
もっと予想外に
電気系統のリコール案件だからディーラーに持って行けば無料修理できます

と伝えてきた。

リコール?!

2008年製のドッジである。

リコール?

雪模様なのでUberを頼んで、とにかくカナディアンタイヤまで行く。

受付でおじさんは

ディーラーと連絡をとってリコールだと確認してあるから。

そう言って
よかったねと笑顔で検査データーを渡してくれた。

しかし私は
ディーラーっていったいどこにあるの?と次の不安に襲われている。

そして駐車場に行くと
ほら来た
やっぱりここで、
バンのエンジンがかからない
カナディアンタイヤの修理セクションの駐車場で。

もうここで修理してほしい!

そう思って
私はまた受付に戻る。

車が動かないから
と言いかけると

牽引車を頼むんだね

さっきのおじさんは、ちらりと私の顔を見ただけで

Next?

次の顧客の対応に忙しい。
もういくら支払ってもいいんです。ここで修理してください!!

と、私は叫びそうになっている。すると様子を見ていたお店の若い男性が、私のスマホを手に取ってサクサクとタイプし

ハイ

と渡してくれたそこには

Beach road tow company

とあって、牽引車の会社の受話器マークが緑色になって待っている。

わたしにはもう選択の余地がなくなった。
ぽちっと受話器を押して牽引を頼む。

電話受付の女性から15分で到着すると告げられる
15分と言ったら20分以上はかかるな、と予想して、それよりも前に
ディーラーの場所を検索しておかなければならない。

外に出ると震えあがる寒さである。
feels like マイナス20かもしれない。


予想通り20分ほどで来た牽引車からは
クマのような男性が出てきた。

本当にクマのような体格で、顔は毛むくじゃら。目の下にわずかに肌の露出部分が見える。

あのドッジかね

くまさんは陽気そうに言うとディーラーの場所を確認するまでもなく

ほいきた

とトラックをバンの前に付ける。

あの~助手席に乗せてもらっていいかしら?
と聞くと

ほいきた

と私のお尻を押してトラックに乗せてくれる。
なんせ私の足が短くて、トラックに一人では乗りこめなかったのだ。

作業の間トラックの助手席で待つ。
考えたらトラックと言うものに生まれて初めて乗ったのがこの時だ。

ディーラーはちょうど自宅と病院との間にあって、高速道路400からも見える位置であった。なんだ、ここか。
毎日病院に通っておきながら、はたまた周りをよく見ていない私であった。


到着すると、ディーラーの広い広い駐車場には車がところ狭しと並べられている。ようやく見つけたスペースに、おじさんはバンを下ろしてくれる。

もう連絡は取ってあるの?入り口まで乗せて行ってあげるから。

そう言ってくれたのはうれしいが、おじさんが置いたバンの位置を記憶しておかなければと、私は助手席から首を捻じ曲げて確認する。なんせリモートが聞かないキーで、いくつものドッジと、同ように汚れて白くなったブラックのバンが並んでいて こんな中から夫のバンを見つけるのは、たやすくはない。しかし入口に行くまでぐるぐると回っているうち、私にはもう、バンは二度と見つけられないという確信を持つ。

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入口の前で、とにかくそれが妥当かどうかも分からない牽引代を、おじさんに支払ってお礼を言い、建物の中に入った。

ガレージ側には厳しい顔をした女性が コンピューターを前にして立っていた。
リコールの修理で持ち込んだ旨を伝える。

名前と住所を言う
女性はカタカタとキーボードの音を立て

予約にないわ。

それではとバンの所有者である夫の名前を言う。

メンバーズにも入っていないわ

カナディアンタイヤから連絡が来ているはずですといって、さっき手渡された車の検査票を差し出す。

よく思い返すと、多分カナディアンタイヤのおじさんは、リコール案件であることをディーラーに確かめたと言っただけなのに、私はてっきり、私が持ち込むことが伝えられていると思ったのだ。しかしよく考えたらそんなわけないのだ、自分で予約しない限りは。全く人任せな私である。

受付の女性は厳しい顔で

もう持ってきてしまっているの?

とあきれたような、責めるような口調である。

グワーンとひるむが、なんと言われようと私はもうここで今日修理してもらいます!

という気持ちである。あるいはお願いだから、というような。

待合室で待っていてくれる?

私は不安になりながら、ロビーのゴージャスなソファーに向かう。
いったいどうなるのか。
予約がずっと詰まっていて1週間かかると言われたら?
あの駐車場の車の量である。
置きっぱなしは困るからまた持ち帰れといわれたら?
でもそんなことを言われたらまた牽引車である。いやいくらなんでもそれはないだろう。

色々考えると怒涛のように不安が襲ってくる。
こんなことをしている間に、夫の病状が悪化しているかもしれない。そして亡くなってしまうかもしれないではないか。益々不安が大きくなっていく。どうやっても抱えきれないような大きさである。

私は今すぐ病院に行かなくちゃいけないんです!

と大声で叫びたい気分である。

しかし、そもそもなぜ今頃になってリコールの案件を修理しなければならないのか、夫はそれよりもずっと前に気づくチャンスがあったはずである。きっとディーラーに登録していないためにリコールの知らせも来ないのだろう。しかし今までこの不具合が起こらなかったのだろうか。今度は、明日も知れぬ命の夫に腹立たしくなってくる。そう言うことが結局私に回ってくるのだ、と。不安が今度は怒りに変わって行く。

しかしこれよりも後に 夫の病院がらみで
“そう言うことが私に回ってくる” 案件が 次から次へとやって来ることなど、この時はもちろん知る由もなかった。

そして先ほどの厳しい顔の女性が戻って来る。

リコール事項で今日中に修理できるわ。
往復の無料シャトルも提供できるけど利用する?行き先はどこ?

どんでん返しの予想外である。この時の安堵と言ったらない。夫が吹雪の中サウスレイクでの手術から無事戻ったときよりも 大きかったと思う。
病院までシャトルを頼む。


病室で夫は、ぬくぬくとしていた。
顔色もよさそうである。
点滴も外れている。

今日中に修理が終わる旨伝えると
よかったよかったと喜んでいる。
そして、病室担当のナースさんに

妻が上手いことを言ってね、
修理が無料になったんですよ

と話している。
いえ、違いますから!
と思わず言葉を挟みかけたがそのままにしておく。
もう色々な事に安堵して、何でも許せる気分である。

夕方にもならない時間に修理終了の電話がかかってくる。
お迎えのシャトルを頼み、
私は無事夫のバンで自宅に戻ることができた。
リモートどころかドアのキーともばらばらになっていたキーも新しくなって、おまけに二本に増えて戻って来た。

私は心地よく後ろ手にバンをロックして家の中に入る。

しかしディーラーのあの駐車場で、ナンバープレートさえも半分色が落ちたバンを、どうやって探し出したのかと、今さらながら思う。


さてレンタカー屋さんの話にもどると、
再度電話をするがかからない。
天気予報が雨に変わったので、とりあえず予約はそのままにしておこうと思う。

借りる日の朝になって電話がかかってくる。

そして

ウィンタータイヤってことですが、
(留守電ちゃんと聞いてたんだ)
こちらには一台もありません


マジ?!

という思いだが、とにかく銀行にはいかなくてはならないので、そのまま借りることにする。今日の雪の予報が雨になったように、明日もそうだといいのだけれど。


ひとつひとつの小さいことに、
いちいち不安だった牽引車の頃。
しかし最近は、あまり予想外の事が起こらなくなった。
予想外がいつも夫に起因していたためか、あるいは色々な事がもう、予想の範囲に入るようになってしまったのか。

友人のKimに牽引車の話をしたとき

これできみもカナディアン!

と言われたものだ。

雨は夜から雪になった。
冬が深くなっていく。

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日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。