見出し画像

君が生まれた日、僕も生まれた

結婚や子育てについて、とある弱者男性目線で今noteを書いているのですが、実際に起きたことは山ほどあります。

でも、このnoteでは自分の心の変化を中心に書き記しています。
小さな一人の人間が子育てを通じて変わっていく過程をお楽しみください。


出産予定日の1日ずれの夜中の2時に妻の破水が始まった。

「嬉しい」と思うと同時に「眠い。。え?今?」という
日々の疲れを消化できない情けない点もありつつ、車で産婦人科に
向かった。

ここで気が付くことがあった。当然の事なのだけど。

私は眠いだけだけど、妻はそれに加えずーっと何か月間も自分の体で
生命を育て、不調が続き、守ってきたのだ。
こういう事も当事者にならないと気が付かないものだ。

大変なのは自分だけではないのだと。
当たり前なんだけどね、分からないものなんだ、日々余裕が無くて、強がって、とがっているからね。

病院についてから6時間程、腰が割れそうと言う妻の腰のマッサージをしたり、おにぎりを用意したり、話を聞いたり、徹底的にできる事をした。

頑張れと。近くにいる事はできるよと。

そして、1時間後。
子供は生まれた。


コロナ前で分娩室に一緒に入る事が出来たので、生まれるその瞬間に立ち会えました。これは、今思うと、とても幸せであった。

なんだろう。
今思うと、心からじわっと今まで忘れていた本能的な喜び、温かさがあふれていた。

この世に生まれた小さな新しい命
なんか、小さくて、でも動いていて、そして温かい。

心の中で自然に湧いてきた言葉があった。

ーーようこそ、僕たちの赤ちゃん。
生まれてきてくれてありがとう。ーー

それまで、不安に包まれていた。
本当に育てられるのか、仕事は上手くいくのか、趣味の時間はどうする、などなど。

大きなことから、小さなことまで様々不安であった。

でも、それを一瞬で上書きして

「この子を幸せにする」

という、感情と責任感が生まれた。

この日、赤ちゃんが生まれたと同時に、新しく自分の中に生まれたものがあった。

僕は、形だけの大人から親になった。

本能的な感覚として、生物として、一つ役目を終えたと感じている。
もう、自分はいつ死んでも良いと。いや、だめなんだけどね。

わがままであった、自分の人生。
この時の感覚は忘れないでおきたいと思った。


しかし、親って何をしたら良いのだろう。。
え、名前はあと数日で付けないといけないの?

妻を産婦人科に残して帰宅。

とりあえず、子育ての本を5冊くらい買って寝た。
仕事は休んだ。

使命を与えられる事は 幸せだなと思った。

ちなみに20代で無職もしているので社会から不要とされているような
虚無感は一通り経験済みです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?