ガーナの歩き方。旅のフォトアルバム
海外旅行に行けてないから、過去の旅行を振り返るシリーズ。
協力隊員としてガーナに赴任していたとき、休暇の際は、ガーナ国内旅行を旅行していました。有難いことに同期の隊員が多かったので、彼らの任地にお邪魔する機会も多かったです。
ガーナといえばチョコ。
アフリカといえばサバンナ。
というイメージを持たれている方も多いかもしれません。
もちろん、カカオ農園も行ったし、国立公園でゾウも見ました。ただ、今回ご紹介するのは、ちょっと違うところ。
水上村 ンゾレゾ
首都アクラからバスを乗り継いで7時間。
そこから、さらに手漕ぎボートで30分ほど。
私が住んでいたのは、ガーナ北部の乾燥した地域。アフリカらしいサバンナ気候でした。
このンゾレゾは、南部の熱帯雨林気候になるため、雰囲気が全く異なります。
水上村には、学校も病院も、お店も揃っていて、ここだけですべての生活が成り立つそうです。村には宿泊施設もあるということでしたが、さすがに我々はここには泊まらず、ボート乗り場手前のホテルを抑えての移動です。
この旅最大の思い出は、ボート乗り場のすぐ近くにあるスペイン料理屋です。
スペイン人のおじいさんが作るパエリアと魚介スープは、人生で食べた美味しいものランキンで上位にきます。
なぜガーナの、しかも辺境な田舎の村で、お店を開いたのか!?
(当時のガーナは、ギニア湾沖に油田が発見された直後でした。ここまでの旅路で、中国企業による大規模な開発がされている様子があったので、中国人のお客さんで成り立っていたと思われる。)
世界遺産 ケープコースト城、エルミナ城
首都アクラからバスで4時間。
こちらも南部の海沿いで、リゾート地も多い場所です。
ガーナの世界遺産は2つ。
そのうちの1つがこちら。「ヴォルタ州、グレーター・アクラ州、セントラル州、ウェスタン州の城塞群」として登録されています。
城塞群ということなので、複数の城や砦があります。その中でもケープコースト城、エルミナ城の2つは見応えがありました。
15世紀から18世紀に建造された奴隷貿易の拠点となったお城です。Door of No Return というのは、「この扉をくぐった者は、二度とアフリカに戻ることはない」という意味。ここから奴隷となる者が船に乗せられます。
見た目は非常にキレイな建物ですが、奴隷を収容する部屋は、狭く薄暗い独房です。
ケープコースト城には、博物館も併設されており、その歴史を学ぶことができます。
博物館の最後は、「奴隷貿易は悲しい黒い歴史だが、アフリカにキリスト教や新しい文明をもたらしたという功績もある」と締めくくられており、なんとも言えない気持ちになりました。おそらく欧米主導で作られた博物館なのでしょう。
とても良い観光地がたくさんあるのに、日本からはハードルの高いガーナ旅行。某有名ガイドブックは、ガーナ版も西アフリカ版もないので、ご参考にどうぞ!
ただし私が訪れたのは、もう10年以上前。今は様子が変わっている可能性もあるのでご注意を。
かず
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?