うまくあってはいけない
先日買った岡本太郎さんの著書をぼちぼち読んでいます。
やはり世間からはズレまくっている。。。
でも僕はなぜか、とても共感してしまう部分があるんです。
芸術がわかるといっているわけではなく、人生観という面で。
いわゆる「自己啓発」的な、内部革命を期待するような一般的なポジティブ書籍とは違います。
むしろ、どこか苦々しい、張り詰めた人生観を感じる。
心にスッと真意を塗ってくれたような言葉がありました。
岡本太郎さんの芸術の三原則。
根本原則だとおっしゃってるのがこちら。
単純に受け入れられる部分と、言葉の真意を知って受け入れられる部分とがありますが、詳しくは書籍を読んでみてください。
例えば「きれいであってはいけない」の「きれい」。
芸術において、「美」と「きれい」は厳格に分けるべきだとおっしゃってるんです。
その考えを読めば、なるほどと感じました。
三原則の中で特に僕は「うまくあってはいけない」という言葉が印象的で。
芸術だなんて大それた事を言うつもりはありませんが、一応自分も音楽を作る創作者です。
音楽家・ミュージシャン・ソングライター、クリエイターなど、言い方は様々ですが世の中には音楽を制作する人は五万と存在する。
自分の作品を誰かのものと比べて、上手い下手、クオリティがどうとか、とかく優劣をつけてしまう。。。
しかも大抵、自分の作品が負けていると感じる。
悔しい。
楽器の演奏がうまい。。。
MIXがうまい。。。
録音や音の処理がうまい。。。
「うまくあってはいけない」という言葉にも真意があるんですが、僕なりの解釈で話させてもらいます。
自分が誰かと比較して「他人の方がうまい」と思っていることに、何の意味があるというのか。
僕自身、別に「何かがうまい音楽」が好みなわけじゃない。
きっと皆さんだってそうだと思う。
演奏力やMIXなんて気にしませんよね?
「この歌のクオリティが高くてファンです!」なんて聞いたことない 笑。
しかし制作する側の人間は、誰しもが気にしてしまう。
他人より秀でたクオリティでありたいと、機材や環境、編集技術にこだわる。
果たしてそれは、人の心に届く音楽の要なんでしょうか?
クリエイター、ミュージシャンが山ほどいるのに、プロと名の知れたミュージシャンはわずかしかいない。
しかも、作品が売れるミュージシャンはさらに絞られる。
流通してる作品なんて、基本的にみんなプロが作った音楽ですよね?
なのにほとんどが売れないんですよね?
アイドルの握手券が付いてるがために売れるCDなんて、悲しすぎる。
水準として「うまい」というのは必要なのかもしれません。
もちろんプロかアマチュアかを区別する意味でも。
それは全部、創作家の存在レベルを示す目安でしかないのかもしれません。
プロと呼ばれる集団が作った売れない一曲より、アマチュアが作ったアラだらけのオリジナル曲でも、世界中から興味を持って買う人がいたら、そっちの方が作品力はあるのでは。。。
うまさを気にして、エネルギーが失われている。。。
作品に宿る魂みたいなものは、もっとベトベトと生々しい純粋な感性なのかもしれません。
…そんなことを自分なりに感じる中で、「うまくあってはいけない」という言葉はすごくポジティブにさせてくれる。
だから結局ね、自分は自分の作品を感性を大切に作ればいい。
作品力という意味では、他人と比べてうまく作る必要はないんだと思えました。
審査に落ちたって、気にするな 笑。
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