日常と非日常のバランス1
フリーのロシア語通訳翻訳者になって32年。
趣味でランニングを始めて18年。
今ではどちらも、私にとってかけがえのない非日常です。
ランニングを始めた理由は、育児からの逃避。年齢が近い娘2人の後追いがひどくて、「1人になりたーい!」と、休日の早朝、まだみんなが寝ているときに、こっそりお布団を抜け出して近所を走るようになったのです。
当時は家族5人、川の字+αで寝ていたので、お布団の中には、夫と息子(娘たちにとっては父と兄)がいたのですが、いつも一緒にいる母親の面目躍如で、家に帰ると、娘たちは決まって「おかあさ〜ん‼︎‼︎‼︎」と大泣き。でも、久しぶりに孤独という幸福を噛み締めた母は、広い心で2人を抱きしめるのでした。
思えばあれは、育児にどっぷり浸かった日常から非日常への、短い旅でした。
なぜ散歩ではなく、ジョギングだったのか?
実は、娘たちの通う保育園には「駅伝部」があって、先生や父母でチームを組んで、毎年市民駅伝に出ていたのです。私も成り行きで駅伝部員となり、1人でのんびり走る楽しさも、仲間と一緒にゼーハー息を上げて練習したり、襷を繋ぐ楽しさも味わいました。
保育園のママ友やパパ友たちに誘われて、いろんなレースに出るうちに、これもやはり誘われて、ウルトラマラソンを主としたランニングチームに入会。その後、道路のみならず山も走るようになり(トレイルランニング)、走る距離も累積標高(トレイルランニングで、山を登った垂直距離の合計)も、伸びていきました。
家事や育児は日常。通訳の仕事に行ったり走ったりすることは、非日常。どちらも、なくてはならない人生の一部です。
日常があるから非日常が楽しめるし、非日常があるからこそ、日常を大切にできる。
でも、自分が若くて子どもも小さいうちは、日常7で非日常3が精一杯(以下、数字は全て私の感覚で、計測したわけではありません)。
通訳の仕事には国内外への出張も多く、もちろん子どもが小さいうちは断らざるを得ませんでしたが、夫や、保育園や近所のママ友、地方に住む親に助けてもらいながら、徐々に増やしていきました。
子どもが小学生になると、日常6、非日常4。
中学生になると、日常5、非日常5。
高校生になると、日常と非日常の割合が逆転。その後ずっと私の生活は日常4、非日常6の割合です。
非日常の中の、仕事と走ることの割合も変わりました。
走り始めた当初は、「走る通訳者」でした。通訳は仕事で走ることは趣味なのだから、当然ですよね。
2016年12月に、私の心の中で、そのバランスが、「通訳もするランナー」の方に初めて傾いたような気がします。
プーチン大統領が初来日。北方領土問題になんらかの大きな変化があるのではないかと日本中が期待し、日本中のロシア語通訳者が、仕事の依頼を受けていました。
なのに私はといえば、初めての100マイル(160km)のトレイルランニングのレースに参加するため、中国の深圳に向かったのです。
(写真は、深圳での100マイルレース中に10分間だけ、エイドステーションになっていた事務所の椅子(?)で寝る通訳翻訳者)
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