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プロフェッショナルになる(和裁師時代の話)#02
恵まれた環境で生まれた勘違い
私が和裁師として事業を始めたのは、26歳の春。
その 1年前までは、和裁師訓練所という会社に属して修行をしておりました。
会社の提携先が名だたる呉服店ばかりで、今でも活躍されてる著名人の着物を、縫製させてもらえるという、かなり恵まれた環境でした。
そして、25歳で退職して和裁師として独立します。
さぁ、呉服店を探そうと、その名だたる呉服店の名前さえ出せば、縫製の仕事をもらえると思っていたら、そんなに甘い世界ではなかったのです。
10件まわってやっと提携してくれたお店は、中古の着物を取り扱っているリサイクル店でした。
課せられたのは、着物の丈や幅直しの仕事ばかり。
当たり前です。
25、6歳のどこの馬の骨かもわからない女に、何十万もする着物の縫製を誰が任せるわけがない。
それでも、1年ほどで和裁師としての腕は認めてもらえ、後にお店で働いていたスタッフから、別の呉服店を紹介されました。
そこは、着物の専門誌やドラマ衣装を手がける有名店でした。
私は「やっと、自分に見合った仕事に巡ってきた!」と心底思いました。
独立して 2年経過はしていましたが、その頃の私はプロ意識というものは微塵もなく、自意識過剰な自信だけがあるという、かなりイタイ和裁師でした。
プロ意識が芽生えた出来事
どの事業も、自分で営業をかけて仕事を獲得してこなければ利益は生まれません。
私の場合、慈悲深い呉服店の社長に巡り会え、たまたま人の伝手で立派な呉服店を紹介してもらえただけで、苦労して自分で獲得したという実感はなかったのです。
ある日、着物の納品で店を訪れた時に、お客様が小紋を新調されたいと来店されました。
仕立てる反物は決まっていて、飛び柄の小紋でどの柄をメインにもってくるかで悩んでいました。
「かのやさんは、どの柄がいいと思います?」
と、そのお客様が私に聞いてくるのです。私は、
「そんなの、自分の好きな柄もってくればいいじゃん。」と腹の中で思いました。
さすがにそれは言えないので、とり繕った提案を伝えたのですが、お客様が帰った後に呉服店の社長から、このように言われました。
「その柄、本当にメインにもってこれるの?」
着物好きな方なら分かると思いますが、反物で飛び柄というのは一定区間を置いて柄が配置されているので、身丈の長さによっては希望どおりの柄で、仕立てることができない場合があります。
実際、そのお客様は身長 165 ㎝ あったので、提案した柄をメインにもってくることはできなかったのです。
それがわかると社長から
「これだと言い切る覚悟とプライドを持て!プロだろ!」
この時はじめて、自分がプロとしての仕事に携わっているんだと、突きつけられました。
プロフェッショナルになる環境とは
この経験から、自分がいただく報酬に感謝というありがたみを感じるようになり、お客様は自分のことを『縫製のプロ』として見ているんだと認識を持つようになり、取り扱う商品や自分の言動に責任を持つようになりました。
それでも「仕立てが気に入らない、やり直せ!」
「それでもプロか!」と、厳しい言葉を浴びせられたこともありました。
でも、その経験があって、私の腕は確実に向上できました。
叱咤くださるお客様に、和裁師としてプロフェッショナルに育ててもらえたと、実感しています。
ひとつの道を突き詰めるというのは、自分ひとりでは成し遂げられません。
育ててもらえる環境があって、成立するのです。
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