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ベルリンの自由の風

「今25歳にして、すでに久しくこの自由なる大学の風にあたりたればにや、心の中に何となく穏やかならず、奥深く潜みたりし誠の我は、やうやう表にあらはれて、昨日までの我ならぬ我を攻むるに至り。」

森鴎外『舞姫』より引用

森鴎外は『舞姫』にてこのように記している。
この主人公は、私と同じようにフンボルト大学ベルリン(当時ベルリン大学)に留学を経験し、ベルリンでの学生生活を謳歌していた。
この文章からもわかるとおり、ベルリンには「自由の風」が吹いていると私は思う。

「自分の好きな格好をすればいい」

ベルリンに来て驚いたことは、タトゥーを入れている人が日本よりも圧倒的に多いということである。
日本ではタトゥーに対してマイナスイメージがどうしてもつきまとうが、ドイツではファッションの一つとして捉えられている。
街中では(あくまで私の体感だが)5人に1人以上は多かれ少なかれタトゥーを入れているのではないかと思われる。

また、男性女性問わず肌を露出した服装をしている人が多い。
ドイツの夏は日本よりも涼しく、気温が30度以上になることは週に1度か2度。
そのため、エアコンが設置されていない店舗や部屋もずらしくなく、電車にもエアコンはついていない。
だからこそ気温が高くなる日は、性別・年齢問わずにショートパンツを履いたり、お腹や背中が見えるような服装をしている人が多い。(上半身裸で普通に街を闊歩している人を見つけた時は流石にびっくりしたけど)

日本では、体型や年齢を気にして肌を隠したり、体をカバーしたりする服を着る傾向が強いが、
ドイツではあまりそれを気にしないのだろう。
ドイツの街を歩いていると、
「自分の人生なんだから自分の好きなものを身につけたらいいじゃん」
と言われているような気持ちになる。

そしてもう一つ驚いたのが、いわゆる「ムダ毛」を気にしない人が多いということだ。
地毛がブロンドの人はそもそもそんなに体毛が目立たないので処理をする必要もないのだが、
そうでない人も、腕や脚、脇の体毛をそのままにしていることがある。
日本では、「ムダ毛」を綺麗に処理することが常識とされており、それを怠るとネガティブな印象を持たれてしまうこともある。
でも、ドイツではそんな人がいても全然気にしない。

「何がムダかは自分で決める」という価値観が広く受け入れられているように感じた。

「ジェンダーとセクシュアリティ」

私の滞在期間中に、ベルリンでは「プライド・パレード」が行われた。
これはLGBTQ+の人々の文化を讃えるためのパレードである。

ベルリンでは、このパレードのスケールがとにかくすごい。
パレードがある日の前後には虹色の旗がさまざまな施設に掲げられ、虹色のアイテムを身につけた人がそこかしこに見られる。
ベルリンで最大規模の本屋も「クィア・フェア」というジェンダー・セクシュアリティに関する本の特設コーナーを設けたり、
パレードのために大規模な通行止めが行われたりする。
盛り上がり方でいうと、渋谷のハロウィンかそれ以上だろう。

ベルリンの本屋でのQueer Fair

また、ベルリンではパレード期間中でなくても虹色の旗を目にすることがある。
実際に私が通っていたフンボルト大学のメインビルディングには、虹色の旗とウクライナ国旗が交互に掲げられていた。
さらに、ゲイ男性のための下着ブランドも存在し、各所に店舗を構えている。

このように、ベルリンではセクシャルマイノリティの人権がしっかり社会問題として見える化されているのだ。

また、滞在中、Altes National Museumに訪問する機会があった。そこでは、古代ギリシアや古代ローマの美術品が展示されていた。
そこで私が衝撃を受けたのが、以下の彫刻である。

キャプションには(うろ覚えだけど)こう書いてあった。

上半身は女性、下半身は男性の像。
いかに「性」というものが曖昧で変化しやすいものかを表現したものだと考えられる。

古代ギリシアでさえも(だからこそ?)セクシュアリティの曖昧さ、性を完全にに分割しきれないということを知覚し、それを彫刻という形で表現している。
LGBTQ+の運動は最近盛り上がってきたものだとばかり思っていた私にとって、これはかなりの衝撃だった。

ドイツにいたときに、日本を含めた東アジアはよく「保守的な社会」と言われることがあった。
ジェンダー・セクシュアリティ問題以外ではあまりその保守性を感じたことがなかったが、今回ベルリンを訪問してみて、街ゆく人々の、そしてヨーロッパで生きてきた人々のオープンさ、自由さを垣間見ることができた。

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