ベルリンへの第一印象②社会問題と学びに対する姿勢
社会学や政治学を普段から勉強しているものとして、やはり気になってしまうのはベルリンで見られる社会問題とベルリンでの「学び」。
そこで、滞在2日で目にしたベルリンの社会問題と、大学や本屋を訪れてわかったドイツの人々の学びに対する姿勢について備忘録的に残しておこうと思う。
社会問題
ベルリンの貧困
初めてベルリンの地下鉄に乗った時、ヒジャブを被った女性が、カップを手に座り込んでいるのを目にした。
ベルリンの地下鉄は、東京のものよりも人通りが少なく、薄暗い。
その空気を空気を身にまとっているかのように、その女性の顔は暗く沈んで見えた。
また、大きな道路の中央分離帯にも、同じような女性がいた。
ベルリンはドイツの中でも経済的な格差が大きく、特に移民・難民として入国した人が経済的に弱い立場に置かれやすい。
「移民・難民」そして「女性」に経済格差の皺寄せがいっているということなのだろうか。社会政策学を学ぶものとしては、このメカニズムについて滞在期間中にしっかり勉強したいと感じた。
デモ
ドイツ滞在2日目に、ベルリンで「プライド・パレード」があった。
LGBTQ+の人々の権利や文化を訴えるパレードである。
ベルリンで驚いたのは、その規模だ。
このパレードのために、都心の通りが交通規制され、
朝からレインボーのアイテムを身につけた人が大勢街を行き交っている。
パレードの前後にはレインボーの旗が街中に掲げられ、
書店ではクィア・フェアとしてジェンダーやセクシュアリティに関する本のフェアが行われている。
ベルリンでのプライド・パレードの規模は、渋谷のハロウィン以上の規模なのだ。
同性婚の議論すらうまく進まない日本から来た私にとっては、プライド・パレードがこんなにも人々の注目を集める一大イベントとなっていることに驚きと羨ましさを感じた。
プライド・パレードと同じ日に、イランにおける自由を求めるデモも行われていた。
多くの人が自分たちの権利のために声をあげ、まち全体にそれを訴えかけている。日本であまり見ることのないこの光景があまりにも新鮮で心に刺さった。
学問への姿勢
ブランデンブルク門からウンデル・デン・リンデンを歩いた先に、フンボルト大学が存在する。
フンボルト大学は、ヨーロッパの名門大学の一つである。これまでに29名のノーベル賞受賞者を輩出してきた。
ここを訪れてみて一番度肝を抜かれたのは、大学の規模である。
下記の遺跡のような建物が法学部棟。
そしてこれが大学の正門である。
毎日通っているキャンパスが比較にならないほどスケールが大きく、そして一つ一つの建造物が美しかった。内部に入ることはできなかったが、留学中の学びに対する期待値がかなり高まった1日だった。
また、フンボルト大学の近くにはDussmann das KulturKaufhausという、日本でいう紀伊国屋書店のような大型書店が存在する。私が心惹かれたのは、「哲学・社会学・ジェンダー」の本の豊富さだった。
まず、ジェンダーというジャンルが独立して存在し、そこに3つ以上の棚が割り振られているところに感動。日本ではジェンダー関係の本が一つのジャンルとしてまとまっているところはあまり目にしないため、ジェンダー研究に対する国民の関心の高さに羨ましさを感じた。
そして、社会学には同じく3つ以上の棚が、哲学には5つ以上の棚が割り振られている。そして、新刊だけでなくこれらの学問のいわゆる「古典」も網羅されているのだ。社会学や哲学の重鎮を輩出してきただけあって、これだけ哲学や社会学に重きを置いていることに感動した。
(ちなみに、同行した研究者志望の同期はここに1時間半以上滞在)
本屋の中には椅子とテーブルが配置されており、購入前の本を読むこともできる。LinuxとC++の参考書を読み耽っているおばあちゃんを見かけた時はかなり新鮮さを感じた。
ここで羅列した社会問題や学びに対する姿勢は、しっかり深掘りして要因を考えたい。
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