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斎藤佑樹 最後の登板

儚さ

偉そうな事書いちゃいますが、ただの日記です。
先週日曜、移動中の車のテレビで野球を見ていたら、日本ハムファイターズ斎藤佑樹選手の引退登板のタイミングに差し掛かり、釘付けになりました。
言い方は悪いが、なんの結果も出せなかった選手がこんな舞台を用意されるなんて、すごい特例だと思いました。文句言う人もきっといるだろうに。
渾身の力で投げるストレートは120キロ台。
ストレートと言って良いのかって球威で、見てるだけでこちらも涙が出そうになる。
よくここまで頑張ったなと。

甲子園であんなにもてはやされ、大学でもそれなりに結果を出し、全国から注目されながらプロに入り、そしてこの結果。11年間、野球だけではないものとも戦い、良く頑張ったなって思うのと、ここまで費やした時間とそれに対する成果でいったら、なんとも儚いものだったかと。
なんともなんとも儚い。
そんな儚さを感じさせた彼の最後の投球に、なんか人の人生の中の凄いものを見させられた気分でした。
なんかすげーなと。

プロにつきまとう挫折、葛藤、失望

この日の彼の姿を見て、なぜか今までの自分を振り返らされました。
僕は子供の頃から、サラリーマンになりたくないって気持ちが強く、やる事なんでもその道のプロになろうとしていました。バイクのレースだったり、音楽だったり。まあ理由は様々ですが、全てそれなりのレベルまでいって挫折を味わい、やる気を失い、24歳の時には毎日スロット行くようなボロカス具合も味わいました。今振り返っても、人生で本当に「心が折れる」という経験をしたのはこの時だったと思います。
もうやりたい事もないし、「なんでもいいからスーツ着てちゃんと仕事して!」という親の希望もそろそろ聞いてあげないとと思い、適当に面接受けて入った営業の会社。24歳の2月でした。
社会のことなんか何も知らないで生きてきて、営業なんて死んでもやらねーとか思ってて、結局着地したのが飛び込み営業。
それがきっかけで翌年25歳の時に、販売代理店として独立し経営者としてのスタートを切りました。

独立したい!社長になりたい!なんて人生で一度も思った事もなく、ただ目の前のことに必死で生きていたら、自分の目の前にいろんな物が現れて、気がついたら独立って感じでした。
マジョリティな生き方がしたくない!
サラリーマンになりたくない!
っと何も知らないでただイキがっていた自分でしたが、たまたま流れで独立し経営者になったことで、「ビジネスの世界にもプロがある」ということを知りました。

独立してから今までの20年の話は、ここでは割愛しますが、いろんなことがありました。
社内でも社外でも定期的に様々な問題が起こり、その度に嫌になっていました。
独立直後に日本のデフレスタート、狂牛病問題で飲食店の仕事が完全にアウト、東北の震災、社内で嘘ばっか言って他のスタッフ大勢を引き連れて退社、もうその都度ため息しか出ない毎日。
会社も個人も貯金が0円になったことも今まで3回くらいあります。会社を潰すタイミングは何回もありました。もやし生活してた事もあります。白米だけ炊いて食べてた時もあります。
そんな姿をスタッフに見せれないので、みんなの前では虚勢をはって大きいこと言ってました。
本当に辛かったです。

カーナビで見ていた彼の姿に、
なぜかこんな事を思い出しました。

プロである代償

お金もなく、上手くいかず、そんな時間も続くと、自分は経営者として何がしたいんだろうか、こんなに辛い思いする必要があるのか、自分に何が足りないんだろうか、毎日のように考えるようになりました。
でも、そこでいろんなことを考えたおかげで、自分がどんな経営をするべきなのかを決めるきっかけにもなったと思います。
順風満帆だったら、なんも考えなかったでしょう。
そして、この葛藤しながら紆余曲折していくことが、何にかしらのプロの世界なんだなと思い、自分に受け入れるように心を言い聞かせてきました。紆余曲折を繰り返すこと自体がプロなんだと、世の中、何かしらのプロでないといけないと言い聞かせました。

最後に勝ったら勝ち

どうやっても良い方向に改善していかない時間は、とても不安です。でも、やらなければいけないので、不安で足を止めるわけにも行きません。
だから、自分の不安を無くすために、『結局はどんな経路を辿っても、結局最後に勝ったら勝ちなんだ』と考えました。
今よくなくても、来年良くなくても、その後に勝ったら勝ちです。
勝つまでは、諦める発想をしたらもう終わりです。
営業が全然できなくて「来月、目標を達成できなかったら仕事をやめようかと思っているんです」という人が、昔よくいました。
『もうこの時点で辞めたほうがいいよ』って僕は言います。
それを言って達成できた人を見たことがありません。
いつまでにこうならないとダメ、いつまでに出来なかったらやめる、こんな考えを持った時点で、もう負けです。
最後にどうなりたいのかをイメージして、そこから逆算し、最後にそうなっていればいいと思っています。年齢や期間は、関係ないです。
早く達成できないなら意味がない!と思うような目標であれば、結局、その程度です。
そして、それを目指す過程には、今の自分が予想できない様々なことが起こり、それがまた新しい自分の価値観を作ってくれます。
最後に勝ったら、勝ちです。
1回勝ったら、勝ちです。

積み上げた時間より、今からの時間

テレビで見た斎藤佑樹の姿に、いろんなことを思いました。
成績が残せなかった選手ですが、その11年間はものすごい紆余曲折と葛藤があっただろうなと思います。
野球選手としての11年と考えると、とても儚さを感じてしまうのが正直な気持ちです。
ただ、この後の10年後には、彼に対しその儚さを感じないでしょう。
イチローが引退する時に、「まじか!!!」って思ったあの感覚すら、今は特に何も考えないのですから。
過ぎた時間、積み上げた時間による対価を考えること自体、無意味なんだと思います。
大切なのは、積み上げた時間よりも、これからの時間です。
結果を出そうと必死に頑張った時間自体が重要で、出た結果は未来に活かせるわけではないのです。
偉そうなことを言ってしまいますが、彼にとってはこの11年間で感じた葛藤や経験を、この先の10年でどう活かせるかでしょう。
僕にとって、経営者としての最初の10年は、その後の10年のためだったと思うし、もしかしたらこの20年もこの先の20年のためなのかもって考えると、今目の前にどんな大変なことが起きてもやれる気がしてきます。やらないともったいないとも思います。

BED TO BED

ほとんどの人間は、病院のベットで生まれ、また病院のベットで死んでいきます。みんな、最初と最後はほとんど同じ人生です。その過程でどこを通ってきたかって違いだけです。
みんな同じゴールに向かっているわけですから、あっちがいいこっちがいいなんて考えず、自分の目の前に現れたものをクリアしながら進むしかないなと思います。
前にできなかったことを、少しづつでもできるようにし、その達成感を味わい、同時に次の葛藤が現れ、またクリアして達成感を感じ、そんなことを繰り返して、広い視野で見直してみたら、「なんかすげー成長したじゃん」ってのが、生きてる充実感ではないかと思います。

彼にとってこの引退は、死ぬ時に振り返る1つの節目でしかないと思います。ただこの節目がこの先の自分成長を作るきっかけになるのだと思います。葛藤を繰り返した後の辛い節目は、確実に成長させてくれます。自分の今までのことを思い出させ、これからの自分に対して考えさせられる、僕にとっての「斎藤佑樹、最後の7球」でした。

この日の前日、日ハムのチアガールをやっている元社員の子を応援しに、会社スタッフとうちの家族を連れて札幌ドームに行ったのですが、見にいくと必ず負けるジンクスが・・・

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