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歩いてきた道、これから行く道~「市民起業家」を追い続けて

宿命的な素材とは何か

沢木耕太郎さんが、ノンフィクション作家の先達について語っているくだりが、胸に残った。

「上野(英信)さんにとって『炭鉱夫』が宿命的だということができるとすれば、石牟礼道子さんにおける『水俣』も同じように宿命的なものであろう。あるいは森崎和江さんにおける『韓国、朝鮮』というのも宿命的な素材であろうと」(篠田一士×沢木耕太郎「事実と無名性」、『沢木耕太郎セッションズ Ⅳ 星をつなぐために』岩波書店、2020年。カッコ内は引用者)。

では、私にとっての「宿命的な素材」とは何だろうか。
自分に問いかけると、3年前に上梓した『ひとりから始める~「市民起業家」という生き方』(同友館)に、やはり行き当たる。

この本で、私が伝えたかったのは、そもそも「人の仕事」とは、あるいは「人が働くこと」とは、どんなに小さく、ささやかに見えることでも、人の役に立つ営みだ、ということだった。
現実という限られた条件の中で、自らの求める理想や希望をめざし、奮闘し続ける人たちは、こんなにたくさんいる。
「いま、ここにないのなら、自分で作る」「誰もやっていないのなら、自分が始める」、そんな「ひとりから始める」ことは誰もができる。
「社会起業家」ではなく、「市民」という言葉を付して「市民起業家」と称した理由はここにある、ということ――。

それは、私自身の生き方、働き方とも絶えず呼応している。
果たして、志を忘れず、追い続けているか。現実の中で、あきらめることなく、工夫と挑戦を続けているか。
だから、「市民起業家」は私にとっての宿命的な素材なのだ。
沢木さんの言葉から、改めてそれが確認できた。

自分への「備忘録」も兼ね、10年ほど前に書いた文章をアレンジして、以下に置いておきたい(*1)。

「市民起業家」という生き方

「社会起業家」が注目されている。
子育て支援や高齢者介護、環境保護、国際協力などの社会問題を、ボランティアとしてでなく、市民運動としてでもなく、起業して取り組んでいる人たちのことだ。
彼らに話を聴いたことがある。

大学卒業後、フェアトレードの会社を起こした女性は、こう言った。
「フェアトレードを通して社会を変えるには、学問も運動も大事だけど、ビジネスという方法がいちばんいいと思った。みんな、毎日買い物をするのだから」
仕事で社会を変える。人の役に立つ。働くことの原点だと感じた。

これまで、私はさまざまな志を持った起業家を訪ねてきた。
自宅ショップのおもちゃ屋を始めた、2人の幼い子を持つ若い主婦。おもちゃが大好きな彼女は、身ぶり手ぶりで遊び方を教えてくれながら、起業の理由を語った。
「子どもっていうのは、親や友だちとおもちゃで遊ぶことを通して成長していく。おもちゃとは、子どもにとって心の栄養だということを伝えたいんです」

視聴率やスポンサーの意向に左右される自社のテレビ番組に限界を感じ、独立してインターネット放送局を立ち上げた30代の女性たちもいた。ODAや性虐待など社会的なテーマを、個人の暮らしに引き寄せて考える番組をつくっていた。「国境を越えて、市民が議論し合うテレビ局にしていきたい」と彼女たちは言った。

総合病院の役職をなげうち、50歳にして、日雇い労働者の街で小さな診療所を開いた医師にも出会った。
「医療の原点にもう一度、立ち返りたかった。検査や薬漬けではなく、患者さんの身になってお互いにじっくり話をして治療する。そういう診療所をつくりたかったんです」
失業し、生活保護を受けて暮らす高齢の患者たちに、どうしたら希望を持ってもらえるか、彼は日夜考え、街を奔走していた。

自分の好きなことを、信じたものを、望んだ道を追いかけてきた。そうして、気がついたら、ここに立っていた。彼らには、そんな自然体の構えと清々しさを感じた。

仕事が暮らしに、暮らしが仕事に

「ライスワーク」と「ライフワーク」という言葉がある。
前者は日々食べていくための稼ぎ、後者は生涯を費やして取り組みたい仕事、とでもいおうか。私が出会った起業家たちは、この二つを近づけよう、いっしょにしようとしている人でもあった。

とはいえ、志で食べていくには、かなりの覚悟が必要だ。サラリーマンから転身した人の中には収入が減った人もいた。アルバイトで生活費を補っている人もいた。「でも、自分が納得する仕事ができるから、今のほうがずっと幸せ」と語っていた。

儲けもさほど望まない。原料は上質な国産大豆にこだわる町の豆腐屋の主は、1日につくる数は500丁と決めていた。
「これぐらい売れば、僕らは飯を食っていけるんです。一人でつくる場合、責任が持てる数でもある。もっとたくさんつくろうと思ったら、働く人の数を増やすか、機械化するか、あるいは手を抜くしかない。それは、したくないですから」

彼らは、自分たちの暮らしの場所から発想する姿勢も貫いていた。
ブルーベリーソースを製造・販売する女性中心のワーカーズコレクティブ(働く者による共同出資・共同経営の事業体)は、主婦の知恵を生かしていた。彼女たちがつくるソースの材料は、砂糖とブルーベリーのみ。水や添加物はいっさい使わない。
「確かに歩留まりは悪くて、儲けも少ない。でも、自分の家でジャムを作るときに添加物を入れる人はいないでしょ。食べる側にとってはこれが最良のものなんです」

仕事がそのまま暮らしであり、暮らしが仕事そのものになっていた。

彼らの志と生き方に学ぶ

手間と時間と知恵をかけて、物を作り、場を開き、相手と向き合う。
人の気持ちと暮らしを大切にして、仕事を起こし、働く。
事業を通して、地域や世界に貢献する。

そんな彼らと出会うたびに「この社会もまんざら捨てたものではない」と励まされた。私が知らないだけで、各地にこういう人たちは、まだまだいるにちがいない。

わが身も振り返る。
会いたい人に会い、話を聴く。彼の地を歩き、見聞きする。そして、それらを書き留める。物書きというこの仕事が好きで始めた。願わくは、自分の書いたものが、少しでも人の役に立つことができたならと思う。

市民起業家たちの生き方に学びながら、今の稼業を続けていきたい。

(*1)以下、「市民起業家の志と生き方に学ぶ」(『はなかみ通信』2009年発行号[号数は失念]掲載)を加筆修正。『はなかみ通信』は、先ごろ創刊20年を迎えて終刊したミニコミである。この雑誌についても、いずれ稿を改めたい)。

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