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「現場」に立つということ――取材小論

人と話す時、「マスク越し」になって、2年余になる。
いくら話しても、物足りなさが残る。
マスクで顔が覆われているため、目から気持ちを察することしかできない。

一方、「画面越し」であれば、相手の顔はすべて見える。
でも、同じ場所に居るわけではないから、雰囲気がわからない。
どこか通じ合えていないのではないか、と不安になる。

相手が話している姿を間近で、直接、目にするということは、コミュニケーションの上でどれほど大きな存在だったか。それを、改めて感じている。

取材においても、これはあてはまる。
話を聞き、記事にする場合、相手が話した言葉だけを書いているわけではない。語った表情やしぐさを思い浮かべながら書く。相手と共に過ごした時間と光景を反芻しながら書いている。だが、「マスク越し」や「画面越し」では、これが難しい。

「現場」で話を聞くということ

取材とは、相手が暮らしているところ、働いているところに足を運び、そこで話を聞くことだと、私は思っている。生活している場所だと、その人が普段考えていることや感じていることが表れやすいと思うからだ。

可能ならば、長い時間、あるいは複数の日にわたって、取材させていただく。一緒にいる時間が長ければ長いほど、その人に近づける気がする。

いちばん大事にしているのは、相手が話したくなる場、話しやすい場をつくることだ。

取材前の準備には、時間と手間をかける。

新聞、雑誌、書籍、ネット記事、SNSなど、その人に関わるものは可能な限り、目を通しておく。相手のことを知り、取材の肝を見定める作業である。ライターとして、これは当たり前のことだが、とても大切なプロセスだと思っている。

この「仕込み」にどれほど力を注いだかは、相手に伝わる。「こんなにも、私のことを調べてくれたのか。この人になら、ぜひ話してみたい」。そう思ってもらえたら、ありがたい。

また、取材時に、メモはほとんど取らない。
なぜか。
私たちは日常、人と話すとき、おそらくメモを取ることはしないだろう。相手の顔を見て、話を聞き、頷いたり、言葉を返したりするはずだ。
取材ということはできるだけ意識しないように、普段と同じように話してもらえたら……。そんな願いから、いつしか、このスタイルを取るようになった。

ただ、ICレコーダーおよび、テープレコーダーといった録音機材は使用する。もちろん、インタビューの前に相手に許可をいただいた上でである。普段の会話の光景とは異なってしまうが、記録の正確性を期すために録音は避けられない。後日、録音から文字起こしをする時間も、取材を振り返るとともに、文章を書く上で欠かせない。

本当はメモも取らず、録音もせず、記憶だけを頼りに記事を書く、いわば「口頭伝承」のような姿が理想なのだが…(*)。

「ライターとして」より「人として」

 独立して、まもない頃のこと。あるインタビューをしていたら、その人は、かつて社会を震撼させた事件の被害者と関わりがあることがわかった。

神経を逆撫でするようなメディアの取材には、ほとほと疲れた。事件からもう何年も経つけど、あのときの憤りとつらい気持ちは消えない。その人は、吐き出すように述べた。

私は居た堪れず、頷いて聞くしかなかった。その後、お互いにしばらく沈黙した気がする。そして、話題を変え、取材を続けた。

後日、先輩ライターにこの話をしたら、「なぜ、もっと聞かなかったの?」と言われた。確かに、さらに質問を続ければ、この事件について思わぬ話が聞けたかもしれない。しかし、相手の心中を思うと、それ以上、尋ねることはできなかった。その人と重ねて会い、信頼関係ができたうえで、「この話はやはり聞いておきたい」と思ったら、問いを発したかもしれないが。

あるいは、話を聞いても、書くのは控える場合もある。今まで報じられたことがなく、多くの人の関心を集める内容だと思ったとしても、書くことで、その人の人生と生活にどんな影響を及ぼすか。私の胸の内に留めておいたほうがいいと判断して、書かなかったことは、何度もある。

「書く」ことより、その人が「生きる」ことのほうが大切なのは、言うまでもないのだから。

言い方を変えれば、ライターとして評価を得ること以上に、人として、まっとうに生きることを選びたいと思うからだ。

「取材とは『頂きもの』」

取材とは、「ある物事や事件から作品・記事などの材料を取ること」(『広辞苑』第七版、2018年)とされる。しかし、相手の意思や事情を察することなく、一方的に何かを奪ってくることであってはならない。

フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは、「取材は『頂きもの』」と述べている。

「どこにおもむくときも、取材は『頂きもの』といつも自分に言い聞かせています。撮らせて頂く、時間を共にさせて頂く、言葉を頂く……。だからこそ私たちの仕事は、現場の取材だけでは完結しません。それに対してお返しができるのは、やはり託されたものを少しずつ共有して、その輪を広げることだと思ってきました。雑誌や新聞、ネット媒体、さらに講演活動や写真展など、自分にできる手段を最大限用いて、実際にその“頂いた”ものを伝えていきます」(安田菜津紀『写真で伝える仕事――世界の子どもたちと向き合って』日本写真企画、2017年)

まったく、その通りだ。

そして、相手から「ありがとう」と言われる取材をめざすべきだとも思う。

以前、取材させていただいた方から、「あのとき、根掘り葉掘り聞いてくださったおかげで、自分たちの『これまで』と『これから』のことを位置づけることができました」と、後日、感謝されたことがある。取材を通して「気づき」を得られたと、とても喜んでおられた。

これもまた、理想の一つだろう。

民俗学者・宮本常一のメッセージ

ここ2年余り、以前のような形での取材はほとんどできていない。
焦燥感や無力感に、つい陥ってしまう。

でも、そんな自分を励ましてくれるメッセージと、今日、再会した。

戦前から戦後にかけて日本各地を訪ね、その歩いた総距離は約16万キロ(地球4周分にあたる)と言われる民俗学者・宮本常一。その宮本が15歳で故郷を離れ、大阪に旅立つ時に、父から授かった言葉である。

「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大事なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ」(宮本常一『民俗学の旅』文藝春秋、1978年。現在は講談社現代文庫[1993年])

焦らず、あきらめず、この生業を続けたい。

(*)テープ起こしについては、津野海太郎さんの「テープおこしの宇宙」(初出、1985年)という刺激的な論考がある(津野『編集の提案』黒鳥社、2022年)

【追記】
冒頭に掲載した写真は、『沢木耕太郎セッションズ〈訊いて、聴く〉Ⅳ 星をつなぐために』(岩波書店、2020年)に収録されている沢木さんと柳田邦男さんの対話のタイトル。


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