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HUNTER×HUNTERの続きが気になるから

2月末に『どうせ死ぬなら強火がいい』という舞台に出演させていただくことなりました。今作は、集団による煉炭自殺に集まった一行が最後に美味いものをたべたいと七輪を使って焼肉パーティーを始めるところからスタートするコメディです。

稽古をしながら作品と向き合う中で「死にたい」という想いについて浅薄ながら考えています。少しばかり文献も読みましたが、どれも完読できていません。下記はその途中経過を示すものです。粗野で稚拙な文章になってしまうかもしれませんがご容赦ください。また、苦しみから自分自身を解放するヒントとなるような情報も提供できないかもしれません。

留意点として、本記事はあくまで「自殺」というセンシティブなテーマを演劇で切実に扱うべく解釈したいという意図によるものということを強調します。ですが、もし読者の皆様が悲しみに直面している最中や直後であったり、このテーマについて考えたくないと思われる方は、読むのを控えていただくことも選択肢の1つであると僕は思います。

読者それぞれの状況を最優先し、もし心身への癒しを早急に求める場合は然るべき人へ相談していただきたいと思います。

では参ります。

自分を傷つけてしまうまで

まず、驚きましたが、自殺学会という団体がすでに設立されていて、どうやら自殺にフォーカスを当てて体系的に学術的に学んでいく取り組みが行われているようです。ヨーク大学名誉教授の布施豊正氏は著書『死にたくなる人の深層心理 自殺にいたる3つの要因を乗り越え「生」を選ぶまで』にて自殺の要因となる感情と、そのような感情に苛まれる人の行動心理などをまとめています。

ざっと一読し、その動機となるような感情をまとめると下記の通りでしょう。

・生きていてもしょうがないという絶望感
・自己嫌悪や自責の念
・自身の抱える差し迫った課題や社会との断絶を図りたい意志

以上の要因は抽象的ですが、ここから個々の状況によって家族関係、仕事でのトラブル、自身の身体・精神面の具体的な属性など枝分かれしていくのでしょう。

続いて、アラートとなる行動には突然の電話であったり、長文のメッセージ、手紙であったり、遺書の風味を匂わせるような普段と異なる言動を誰かにかけるなどが挙げられていました。たしかに、救いを求めるような行動心理によってありったけの想いを大切な人に残したくなるのでしょうか。

また、多くの精神医療の本の中では「うつ病」と「自殺」の密接な関連づけがなされています。うつ病と一口にいってもキッカケは様々なようで、特に春先が重要なタームだという見方もあるそうです。それは季節の変わり目であることから自律神経のバランスが崩れやすい、という生物学的な観点もありますし、転勤などの環境の変化や受験を終えた直後で燃え尽きたからといった文化的な理由もあるそうです。

もちろんうつ病をはじめとする気分障害を患った方の多くが自殺を図ることはなく、後ほど改めてご紹介する『ヒトはなぜ自殺するのか(ジェシー・ベリング著)』では、全体の5%であるという記述がありました。また、下記のリンクでは「トンネルビジョン」という、視野が狭くなってしまうことで自殺という選択肢に辿り着くことを示したモデルを挙げ、自殺のプロセスを説明しています。タイトルの「する人と、踏みとどまる人の違い」の問いに対する解は、個人を形成する家族や仕事、などの価値観やそれを取り巻く文化や宗教等の環境と言われています。

さらに、「無宗教の国は自殺率が高い」との統計データも上記の記事で挙げられていました。個人の見解としては、教義によって自殺を禁じていることは「命を大切にしてほしい」という願いが背景にあり、それを伝えるために宗教上のルールとして設定することにしたのかな、と漠然と思っています。

話を戻しまして、個人的に、うつ病を含んだ気分障害には身体器官への影響も与えるような気がしています。喉の奥に何かが詰まったような状態、頭痛や動悸など。おそらく自分を傷つける行動をとってしまうのは、このような身体器官の煩わしさを取り除きたい意志があるのではないか、と考えています。

自殺について語るとき

自殺について「自殺は悪だ」という排他的な論調で語られることに窮屈さを感じてしまいます。「いかなる場合でも自殺を止めるべき」という主張には賛成しますが、もうちょっと優しい言葉選びで語りかけてほしいなと。

また、自殺を肯定・否定の二項対立で語ることにも疑問視しており、本当は自殺をしてほしいなんて誰も思っていないことが大前提としてあるのではと考えています。しかし、「自殺はダメだ」「バカな真似はよせ」とキッパリ言えないのは、大切な人が最期に間違った選択をしたと思いたくないから、ではないでしょうか。亡くなった方への尊厳を慮った結果なのではと思います。たしかに、自殺を許容するような言動を少しでもとると、後押しになってしまうとの見方も分かるのですが。

最も重要なのは、具体化と抽象化を行き来し、自殺念慮を持つ人に対してどのような言葉をかけることがふさわしいのかを議論し続けることなのでしょう。下記の著書『自殺って言えなかった。』においては、親を自殺で亡くした子どもたちによる体験談をもとにそのような議論を発展させることを目的としております。はじめの章では、離婚をして母親のもとで暮らすことになった青年が、縁を切った父親による自殺のサインを見逃した経験を綴っています。このような体験を他者に伝えるには非常に勇気がいることだと思います。とても細密に当時の描写が描かれており、読んでいて一言では表せないような感情になります。

そして、先ほどもご紹介したジェリー氏の『ヒトはなぜ自殺するのか』においては著者自身が自殺の危機を感じたことを背景に執筆されたものです。そしてこちらは、人間の自殺を哲学や生物学などの学術分野を横断して捉えていき、例えば人間の自殺とアリやハチなどの真社会性昆虫の自己破壊行動との親和性についての考察など、非常に多角的な知見が述べられています。

この本からは、すごく今の自分に刺さった言葉が2つあります。どちらも序章で著者自身が苦悩した経験を語るときに出てくる言葉です。

1つ目は「他人を見ていると、みんなが社会において明確な目的を持っているように思えて、自分はそれが見つからない」ことが苦しいという言葉。この明確な目的という言葉はプロフェッショナルという言葉に自分の中では置き換えられました。どんどん周りの人間が専門性を蓄えて、このnoteなどでノウハウを共有できている一方で、自分にはないんだよなということで悩むというか。

さらに、本書ではロイバウマイスターという学者の研究結果も述べられており、そこでは「生活水準が高い人ほど、何かに失敗した際に自殺を図る傾向にある」といった内容がありました。失敗に直面することに慣れていないから、ということでしょう。

また話が逸れますが、昨年からはコロナ禍によって経済的に困窮する人々の自殺が懸念されています。それについて触れる際に「生活保護があるではないか。自殺なんて...」という意見も散見されます。たしかに合理的に考えればそれも間違いではないのかもしれません。しかし、僕自身が思うに、自分が取り組んだ職業に対する愛着によって、それを断念しないといけない状況になった際に抱える喪失感の方が強くなってしまうのではないか、と思います。したがって、先ほどの1つ目の命題について悩んでしまう。

2つ目は「自分より苦しい人が世界にたくさん溢れているのに、自分は不幸と言ってしまっていいのか」という言葉。これにも激しく共感します。著者自身の悩みは同性愛について、そして学術分野で一定の功績を収めて以降、燃え尽きてしまったことなどが綴られていますが、他者の不幸との照らし合わせでやはり悩んだとも書かれていました。最近、自分は街録インタビューというYouTubeチャンネルをたびたび拝見しますが、取材相手の経歴がとても濃密で、僕自身の抱える課題はちっぽけなのかなと考えてしまいました。

少しずつ文献からの間接的な引用から僕自身のことも混じってきましたね。

別の文献に移りましょう。以下は精神科医の方が徹底している「TALKの原則」というものです。ゲートキーパーという、自殺を止める人を指す立場の方々の研修が行われているようなのですが、その時の理念にもなっています。

<TALKの原則>
Tell: 心配していることを言葉にして伝える
Ask: 「死にたい」という気持ちの有無について率直に尋ねる
Listen: 「死にたいほどつらい」相手の気持ちを傾聴する
Keep safe: 安全を確保する

ポイントは「死にたい」と相手が放った際に、「死にたいほどつらいんだね」と、言葉を転換させてあげる点だと思います。リフレーミングという概念が心理療法にはあるようです。これはネガティブな言葉を言い換えて別の視点を与えることで感情や気分を明るくする、といった手法です。自死を計画するところまで達しないように、死にたいほど辛い・疲れている、ではどのようにすれば和らぐことができそうか、と建設的な対話を重ねて生存へ誘うようです。「でも、」といった否定の言葉は使わない、などこれらは日常会話にも役立てることができそうです。

そして、ゲートキーパーとして「あなたに死んでほしくない」、「問題が解決できるかは分からないけれど一緒に考えていこう」と記事に登場する精神科医の方は続けるようです。どのような立場の方も上記の記事はとても勉強になるので、お勧めします。

一方で、「なんとしてでも生きろ!生きてれば素晴らしい。」という言葉は、果たして通じるのかと不安になることもあるでしょう。有害図書として随分前に一世風靡した『完全自殺マニュアル』という本では、ありとあらゆる自殺の方法を紹介しながらリスクや未遂についてなどが書かれています。その本の執筆の背景には著者の「読者が死に方を分かり、いつでも死ねるなと思うことで、もうちょっと生きてもいいかなと思っていただけたらいい」というコンセプトがあるといいます。たしかに自殺についてのリテラシーを高めることで「死ぬのも大変なんだな」と感じたり、「コスト高いぞ」と他人に無機質に説明することもできるかもしれません。

これを知って、似たような考えなのかなと思ったのは森山直太朗さんの『生きてることが辛いなら』という1曲。

「生きてることが辛いなら くたばる喜びとっておけ」

傷ついているとき「生きることこそが正義」というような考えが根底にある言葉に対して懐疑的になってしまうこともあるでしょう。その時のために、上記のような「生きてるなんて大したことないから、安心して」といったある種の虚無主義・ニヒリズムによるひっそりしたエールもあるのでしょうか。

決してどんな表現も相容れないわけではないと思います。とにかく、あなたに死んでほしくないという気持ちが根底にあり、それをどう伝えようかと考えた末で多種多様な表現があるのだと思います。

HUNTER×HUNTERの続きが気になるから

では、筆者の僕自身が「死にたいと思うほどつらい」と思ったことはあるか。

いや。ありますあります!めちゃめちゃありますし、最近「これからどうしようか」と焦りや混乱はおろか絶望感が募ることもしばしばあります。

自分は25年間、好き勝手やってしまいました。俳優でありながら、およそ程遠い情報工学を専攻してコンピュータ科学からロボティックス、アート、デザインなど浅く広く学んできたはいいですが、どれにも秀でていません。学会では賞を頂くこともあり、そのこと自体には救われる気持ちでいますが、1つも社会実装はできていないし、金銭的な価値も生み出せていません。もっと言えば、その間、周りの役者は経験を積んで遥か彼方へ飛躍していっています。膨大な量の映画や演劇を彼らは見ている、一方で自分...。正直、学業と俳優業のどちらかに専念すべきだったのではないかという思いも抱えてしまうんです。かと思えば、英語もネイティブほど喋れないし、聞き取れない。それでいて研究自体はコンピュータ科学でもない植物の接ぎ木で下手くそなからくりを作って「これは役に立つのか?」よく分からないまま、論文を執筆しました。自分でも何やってんだろうと思うし、「で、結局何がやりたいの?」と呆れられることもあります。院まで親の支援を受けて学業を続けたこと自分に対して「クズだね」と言った人もいましたね。

何にも身になっていなく、忘れてしまった技能や初心も多くあります。はっきり言って年末年始、何にもしたくなくなっちゃった瞬間がありました。才能もないくせに努力も足りてない。ここまでこれたのはビギナーズ・ラックの連続。だからこそ仲間や師に対して感謝を忘れてはならないと強く思います。ただ、明確な戦略が打ち立てられないまま、無理ゲーをブッかましてしまったのではないか、かなり不安になっています。

最近は自己肯定感やマインドフルネスについての本を読むことがありました。少しだけ心が軽くなる実感もありましたが、あまのじゃくな自分は歪んだ視点も持ち合わせてしまいます。「他人と自分を比べない」、そうは言っても他者との評価の差で仕事やチャンスが得られる世界ではないのか、と思ってしまったり。

「死にたい」ねえ...。

そこで、思い出すのは爆笑問題の太田さんの言葉。「死にたいと考える人が魅力的じゃないわけがない」という言葉。どこで聞いたのか、忘れてしまいましたが。本当にそうなのか。自分を実験台として試す価値はあるでしょうね。また、太田さんの薦める『タイタンの幼女』をはじめとするカート・ヴォネガットの著作も皮肉が効いていて、その死生観は自分には合っています。

そしてふと、「HUNTER×HUNTERの結末が分かっていないじゃないか」とも思いました。連載となれば必ず読んでいて、クラピカの能力が分かってきていて盛り上がっていました。他にも井上雄彦氏の『リアル』も『バガボンド』も、『ベルセルク』も、まだ終わってない物語を待ち望んでいる。

まだ混乱していて個人的な課題は解決していないんですが、とりあえず一旦混乱は混乱のまま放置しておきます。HUNTER×HUNTERの続きがただ気になります。次に再開する時には自分はどんな風になっているだろうか。その時、みなさんはどんな風になっているでしょうか。直近で抱えている絶望感をふるいにかけて、わずかな砂金を得られるような、ハッピーエンドへの見事な伏線回収ができたら、それはかっこいいかなと、今は漠然と思うだけです。

本記事では自分のことばかりで、例えばいじめや虐待、性被害などまで深掘りしてお伝えすることができず、申し訳ありません。ただ、今、死にたくなるほど辛い思いを抱える人たちが本記事を読んでいると想像すると、やはりその人たちにはどうか幸せを感じてほしいと願います。死んでほしくないな。

結局、月並みで浅はかな言葉しか伝えられていないでしょうか。情けないです。自分にも心の暗がりがあるのダと、特殊な自信を持ちたいのでしょうか。まだまだ、大変な世の中が続き、自分は恥ずかしいくらい不完全で対応がしきれていないのですが、もし、この世界の荒波の中で僕を見つけたらハイタッチをしましょう。その時には手指の消毒がなくてもいい時代になれば良いですね。

そして、暗黒大陸編を読み終えている頃でしょうか。

おわりに

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。最後の最後に「宣伝かい!」と思われるかもしれませんが、少しだけご紹介。

2月27日と28日に池袋の劇場で「自殺」についての舞台に出演します。

このご時世なので劇場へ足を運ぶハードルが高いですが、もしお目にかかることができましたら幸いです。


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俳優・ニチエンプロダクション/TV『なるほど!畜産現場』『バゲット』、CM『ニトリ』『ストッパ』等出演/記事は畜産、アート、デザイン、テクノロジーが中心。自主制作でモノづくりもします。過去出演作& ポートフォリオはhttps://kazumachibaofficial.com