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「誰から言われているわけでもなく、自分がやりたいからやる」という尊さ

高校時代は実は「新聞文芸部」という部活に所属していた。
「新聞部」と「文芸部」が合併したようななかなか珍しい活動形態で、学校新聞を書いたり、文芸雑誌を発行したりなど、当時はまだインターネットが普及していなかったため「自分の言葉を形に出来る(=印刷物として物になる」)という貴重な機会だと思ったのが入部のきっかけだったように思う。

高校を卒業してからもう四半世紀ほどになるが、高校時代はわずか3年間だったにも関わらず、1日1日がなぜか今よりも濃密だったとようにも思わなくない。
おそらく若さゆえの新鮮さ、好奇心、そして何より体力があったからこそ、
自然と色んなことに懸命に取り組むことが出来たのかもしれない。今思うと、とても羨ましい時期だなと感じる。

活動は正直言って、好き放題に行なっていた。
学校の印刷機を無限と言わんばかりに利用した文芸誌の作成、
その中に書かれた「よく許してくれたな」と言わんばかりの過激な内容や主張。
(例を挙げるならエロ漫画、AVレビューまで)
おそらく今読み返したら赤面してしまうような内容だろう。

青年の主張ばりに、「俺はこれが言いたいんだ!」という根拠も何もない自信とともに放たれる言葉を紡ぐ行為に楽しみを感じていたのだと思う。
本来は高校3年の夏で引退をするのだが、当然受験勉強よりもそっちの方に楽しみを感じていたため、私は終わらせることなく、卒業まで記事やコラムを書き続けた。

そんな言葉を選ばず言えば、馬鹿で、無謀で、勢いだけで生きてるような時期に、顧問のK先生は何よりも「活動の自由」を与えてくれた。
おそらく何か思うところはあったのではないかと察するところはあるが、それよりも自由を奪ってしまうことの方に価値を置いてくれていたのではないだろうか。これはK先生に何より感謝したいことでもある。

そのエンジンの回転に強引にブレーキを掛けようとはせず、
「学校という場を利用した自分勝手極まりないやりたいことやっていた」
だからこそ、高校時代は充実していた、中身が濃かったなあと思い返せるのだ。


私は常々、あの頃のような
「誰から言われているわけでもなく、自分がやりたいからやる」
という原動力で突っ走ってしまうような状況を望んでいる。

今では社会的制約、経済的制約など、立ち塞がる壁は高いが、
「自分の人生だから喜怒哀楽に忠実に生きたい」
高校時代はそれが無意識に出来ていたんじゃないかと思う。


高校卒業後、上記したK先生となかなかお会いする機会がなかったのだが、
同じ学年の同窓生の伝手で、同窓会を手伝うことになったことがきっかけで、川越のお店で再開することが出来た。

久方ぶりの再会で自己紹介を済ませると、
「ああ、あの梶田ね。覚えているよ」とこちらとしても嬉しい言葉をいただいた。
実は、そこでもう一つ嬉しい言葉をいただいている。
今はどんな仕事をしているかなどの話をしていた際の会話だった。
 K先生「何か文章を書くことはやっていないの?」
 私「いえ、今はそういうことはやれていないです」
その後にK先生から出てきたのはこんな言葉だった。

「あなたは文章書くのがすごく好きだったと思っていたから、何かそういう活動をずっとやっていると思っていたよ」

これはしがないサラリーマンになった自分を戒めるような言葉だった。
そうか、高校の頃の自分について、そんな情熱溢れた人間とK先生は感じてくれていたのだ。
この言葉は今でも再現出来るように覚えている。
そしてそれを思い出す度に今年45歳になったオッサンでも、
「もっと文章で自分を表現していかなきゃいけない」という沸々たる気持ちが浮かび上がってくる。

ただ、その気持ちは受動的ではダメだ。
もっと能動的に、「やらなきゃ気が済まない」くらいのモチベーションからこそ生まれてくる何かがある。

だからこそ、
「誰から言われているわけでもなく、自分がやりたいからやる」
という行動には尊さがある。
ケインズの言葉で言いかえれば、「アニマルスピリット」なのかもしれない

自分の本質は「ついやってしまうこと」に隠れているように思う。

おそらく日常生活の中でも、大半が受動性を帯びたMustなことに縛られてる。睡眠や食事もそうだろう。
生活のほとんどがmustになってしまったであれば、それは苦しい。

やはり自分で判断し、自分で勝手にやり出すことにこそ自分らしさがあり、本当の意味での喜怒哀楽を感じるのはそこに詰まっている。
その時間をもっともっと増やしていきたい。
そして、このnoteも「自分自身を発露する楽しさに満ちたもの」に育てていきたいなと思う。

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