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騙す

騙す
-うそを言ったり、にせ物を使ったりして、それを本当と思わせる。ごまかしてそれを信用させる。あざむく。


東京へ


10月10日、僕は東京・羽田に向かい巨大な鉄筋の塊に身を任せ、大空へ飛び立った。

今月入籍予定の4つ離れた兄のお嫁さん家族との顔合わせに参加するため。
父によれば、結納のフランクなものらしい。

本州と九州は実距離もそうだが、心理的な距離も大きい。
東京なんてそうそう行ける場所でもないから、日帰りで良いものの、しっかりと3泊分のホテルを予約した。

たくさんショッピングをして、母から借りた一眼レフとフィルムカメラを持ってプチ観光でもしようと、恥ずかしながら昂っていた僕に悲報中の悲報とも言うべき報せが舞い込んできた。

11.12日にかけて台風が直撃すると言うではないか。

雨男

僕は類稀に見る雨男だ。
これまで生きてきて、そんなことはとっくの昔に受け入れてしまったから、自負しているとも言っていいくらいだ。

イメージしやすいように実例をあげよう。

まず、僕がバイトに出勤する日は8割方、雨が降る。
または、分厚い雲が青空をバサッと覆い、青一つない雲空の中で僕は仕事をすることになる。

アパレル関係のアルバイトをしている最近の僕仕事は、写真撮影が多い。
そのため、暖かな日光が多くある方が望ましいのだが、神様はそう簡単に僕の仕事を応援してはくれない。

他にも、
一日曇りという天気予報が為されていたとある日のこと。
僕は夕方からUber eatsをしていた。

Uber eatsの報酬は天候によって左右されやすいことから、常にYahoo天気を確認するようにしている。

マンションの駐輪場から出発し、完全に気の抜けていた僕に雨の神様は僕に無慈悲なまでの水をぶっかけた。

少し走った後に、「さすがにこれはやばい」と思い、歩道に原付を停め、カッパを着ることにした。
晴れと予報されているのにカッパを持ち運ぶ用意周到な俺、ありがとう。

そんなことを思いながら、再出発。

その瞬間、雨はパタっと降り止む。

「おいっっ!!!!」

そう心の中で、ツッコミを入れつつも、
「まあ、良いさ。ちょうど肌寒かったんで、このカッパもいい防寒着になったよ。」と、そんなふうに素晴らしいポジティブ思考を発揮しながら配達を続けていると、やっと再び雨が降り出した。

「折角、カッパを着たんだから、少しは雨よ、降ってくれ。」
と、意味が分からないロジックで心のどこかで雨を望んでいた僕は、「やっと」と思ってしまったのだ。

しかし、思ったよりも雨脚が強く、お気に入りのスニーカーが濡れる濡れる。

スニーカーを雨に濡らしてしまうと、後処理が案外面倒だということは、既に一度経験しているから分かっている。
その経験から僕は、常に原付のシートの中に濡れても良いサンダルを入れているため、しめしめ、対策済みだよ、と、再び原付を停め、雨天時の配達における最強装備へと武装した。

すると、どうだ。
また、雨がパタッと止むではないか!!!

先ほどはいかんなく発揮することができたポジティブ思考も、冷えた気候の中で裸足にサンダルの装いでは力及ばず、僕のテンションは低下の一途を辿った

そうして、もう配達する気も失せてしまった僕は、少しでも自分を慰めるためにスーパーに寄って、甘く瑞々しいフルーツを買って帰ることに。

スーパーの駐輪場に原付を停め、とうの昔に必要のなくなってしまったカッパを脱ぎ、お気に入りのスニーカーに履き替え、不自然にキンキンに冷えたスーパーへ入店した。
思い思いに買い物をし、大好物である梨と、初めは買う気の無かったアルフォートを購入し、自然な生ぬるさに包まれた外へ出た。

家までは、原付で約5分。

下がり切っていたテンションも、自分なりの慰めによって少しは改善されていた。

鍵を刺し、エンジンをかけ、しっかり左右を確認し、公道へと出る。

夜風に吹かれながら、楽園を目指す、俺。

雨、ドッと、降る。

土砂降り

俺、発狂

と、まあ、こんな具合に、僕はユーモアのある雨男なわけですよ。

そして、これまた面白いのが、家族全員雨男、雨女なんですよ。
そして、久しぶりに家族が終結するということで、台風を東京まで連れて行ってしまったんですね。

だって、台風は基本的に九州に向かってくる中で、辻家が東京に集結するタイミングで台風が本州に向かいだすなんて、あまりにもタイミングが良すぎるでしょう。
「連れて行った」と言っても、良いはずです。

離陸

飛行機の便を早めに変更させることも考えましたが、僕は機体が大きく揺れることを覚悟した上で、予定通り、10日の朝、東京へ離陸することにしました。

そして、早速、20分もしない内に機体が揺れ始めます。

父と母は先に東京に到着しており、一人で東京まで行くことになっていたため、僕は「とある家族の息子」ではなく、「とある一人の青年」でいなければいけません。

焦った様子を一切見せず、毅然とした態度で、リアルジェットコースターに挑みます。

僕は小刻みに揺れ続ける機体の中で、闇雲に西加奈子さんの「地下の鳩」を読み続けました。

内容がすごく面白い。
特に、第二章の「タイムカプセル」の語り手であるミミィのお話が本当に面白い。
とにかく、面白い。

そうして、限りなく広い空の中、たった一人で、ほんの小さな文字たちに傾倒していたのですが、どうやら僕の体は正直なようです。

気付いたら、両の手は湿っていて、中古で購入した本のページをめくる度に、紙が指にひっつき、シワがついていきました。

それもそのはずです。
僕が『地下の鳩』に傾倒している間に、僕が乗っている機体は台風の端までたどり着いていたのですから。

それは、もう、本当に恐ろしいものでした。

常に僕の目線の先にあった本が、とにかく動く動く。
何か写真を撮ろうと思って、レンズを被写体に向けたときに、自分の足場がとにかく揺れ動いて、被写体をファインダーの中に入れることができないようなイメージです。

いや、まあ、分かりづらいかもしれませんが、本当にこんな感じなんです。

と、同時に、僕の首もとにかく左右に振り回されます。

とにかく、グワン、グワン、と。

本を読むことさえ、ままならないくらいの激しい揺れでした。
ジェットコースターで感じる、フワッと内臓を持ち上げられる気味の悪い感覚も何度も味わいました。

こんなにもおぞましい機体の中で、これが驚くことに、搭乗者全員が何も動じません。

みんな同じように首をグワン、グワンと回しながら、眠り、スマホを触り、前のスクリーンを見、各々のやりたいことに夢中になっています。

あまりにも、異様です。

綺麗なCAさんから発せられる、このアナウンスがなければ。

「揺れましても、安全運転に影響はございませんので、ご安心ください。」

暗示

絶え間なく激しく揺れ続ける飛行機。

いつ落ちたって、いつ反転したって、おかしくないぐらいの揺れ。

にも関わらず、誰もうんともすんとも言わず、ただ自分の世界に入り込みます。

たった一言、CAさんの「揺れましても、安全運転に影響はございませんので、ご安心ください。」という台詞を心の拠り所にしながら。

僕もその内の1人であったことに違いはありませんが、たった一つ、これは僕だけしか考えていなかったであろうことがあります。

それは、「人間ってすごく騙されやすいよなあ」ということです。

この論の中で、人間と一括りにしてしまうと、多くの人からの批判が殺到しそうですが、僕を含むその飛行機の中のただの1人もパニックになっていなかっことが何よりもの証明なのではないでしょうか。

だって、本当に怖かったんですもん!!!!

さらに、コロナで自宅待機要請が出たときに、Twitterでトイレットペーパーが無くなるというデマ(というか誤情報?)が流れたときも、日本中からトイレットペーパーが無くなったことから人間(というか日本人?)の騙しやすさが垣間見えたのではないでしょうか。

さて、僕がそういう仮説を持ったのも、実は、僕が飛行中にずっと手に持っていた『地下の鳩』が深く関係しています。

ミミィ

『地下の鳩』の第一章:「地下の鳩」ではサブキャラとして、第二章:「タイムカプセル」では主人公として登場するオカマのミミィ。

齢は44歳、171cmの身長に、85kgの体重。

故郷を離れてからホステスを始め、体を張ったさまざまな芸をしてきたが、話術だけで多くのお客さんが付くほどの話術に自信を持ち、14年前にトークバー「あだん」をオープンしました。

話術だけでなく、従業員である他の4人のホステスからも慕われる人望の厚いホステスのママです。

しかし、そんなミミィにも辛い過去がありました。

小さな頃から太っていて、どこか女っぽいものだから、苛めの格好の対象だったのです。
それも、かなり過酷な。

殴る蹴るは当たり前、便器に顔を突っ込まれたり、個室に閉じ込められ、上から小便をかけられることも。
ミミィは毎日、死んでいるような気持ちで、というより、自分に言い聞かせて、時間が過ぎるのを待っていました。

しかし、ある日、この過酷な苛めも終わりを遂げます。

ミミィが書いた「下半身を丸出しにして、牛乳瓶をひきずって歩くヤシガニが滑稽である」という内容の作文を発表をしたときに、異様な興奮をもって同級生に受けたのです。

その日から、ミミィへの身体的な暴力はなくなり、しかし、その代わりに「何か面白いことをやれ」と背中を小突かれたら、犬の真似でも、裸踊りでも何でもやることになります。
それは苛めと何ら変わりはしませんが、殴られない、蹴られない、それだけで生きていけるということと同義と思ってしまうほどの、過酷な苛めを経験していたのです。

そうして、ミミィは生きていくために、目の前にいる人間を、どのようにしたら笑わせられるか、良い気分でいさせられるかを、考えるようになりました。

そんなミミィを、人は「嘘つきだ!」と指さすことができるでしょうか。

嘘をついてしまった芸能人を、寄ってたかって罵り、叩くように、ミミィに自分なりの正論を無慈悲に突きつけることができるでしょうか。

それでは、このミミィとその芸能人の何が違うのでしょう。
芸能人が吐いた嘘は、ミミィが自分を守るためのように、家族や友人などの大切な人を守るための嘘であるとも考えられないでしょうか。

小学校を卒業する頃には、ミミィは女々しさを捨て、道化に徹することで、もう誰も殴ったり、小突いたり、無理強いをしたりしなくなり、ほとんど学級の人気者のようになっていました。

しかしミミィは、またいつあの苛めが始まるのかと、いつも気を張り、必要以上に男らしく振舞いました。
怖気づいている者がいれば率先して脅かしたし、教師がおかしな仕草をしたら、必要以上にからかっていました。

そんなミミィは、卒業生の言葉を代表して読むことに。

それは、未来の自分への手紙でした。

正直

その約30年後にもなる頃に、ミミィは成長してから一度も帰ることのなかった忌々しい過去だけが遺る故郷に一泊だけ戻ることにしました。

それは、卒業式の時に読んだ未来の自分への手紙の内容を確認するためで、当時それを入れて、皆で埋めたタイムカプセルを掘り起こすことが目的です。

その時の自分が、どんな「嘘」を書いたのか。

将来の自分、今の私に、どんな「嘘」を書いたのか。

掘って、掘って、掘って、爪が血で滲んでしまうほど、力を込めて掘り続けました。

涙が流れ落ち、土で汚れた手にかかり、あとからあとから水滴が落ちてくる。

そして、ミミィは涙を流しながら、気づくのです。

「私は嘘つきではない。

そうだ。
私は全身全霊で「嘘」に正直だった。
私は、この体で、正直に、嘘をついたのだ。」

さらに、ミミィはこう続けました。

「あの頃の自分は死んでいたと思った。
心を殺して、嘘をつき続けていたと。

だが、死んでいたのではない。
生きてはいなかったかもしれないが、死んではいなかった。

何故なら自分はここまで、生きてきたのだ。

全力で、正直に嘘をつき、ここまで生き延びてきたのだ。

そして、それは私だけではない。
(中略)たくさんの女たちが、男たちが、正直に嘘をつき、生きて、ここまで生き延びてきたのだ。
それぞれの体で、その体で、生きてきたのだ。」

と。

真実

実は、冒頭の雨男の段落の中で、僕はいくつかの嘘をつきました。

その嘘には、太文字の印を付けています。

さて、その真実を知ったところで、
誰がをするでしょうか。
誰がをするでしょうか。

僕は話を盛りましたし、説明が面倒なときには事実を湾曲させました。

しかし、そんなことを僕以外の誰かが知ったところで、
真実を、嘘を、言ったところで、何の意味もありません。

嘘をつくことで、誰かを傷つけたり、多くの人に迷惑をかけてしまうこともありますが、それは真実の場合でも変わりはしません。

真実を言うことで、誰かを傷つけたり、多くの人に迷惑をかけてしまうことも当然あるでしょう。

つまり、真実にも、嘘にも、そのどちらにも、絶対善も絶対悪もないはずなのです。

「自分に正直にいられるか」

ただ、それだけです。

こんなことが、実は最も難しいことだということは、僕のこれまでの人生から、またミミィの壮絶な人生から学んではいますが、この自身への絶え間ない問いかけは、これからの自分の意思決定の指針になるべきだと思うのです。

「自分に正直にいられるか」
ただ、それだけなのに、そんなこともしようとしない人たちを、SNSや現実で見る度に、酷くウンザリします。

半年前に投稿した『ラグビーに人生を奪われた。』に書いた通り、僕もミミィと同じように、全力で、正直に嘘をついていました。

それで良いのです。

後から、悔やめばいいのです。

後から、懐かしめばいいのです。

今の自分に正直でいること、未来の自分に正直でいること、どちらも難しいことかもしれませんが、それを目指しても良いのではないのか、と、ミミィから学ばせてもらいました。

ミミィ、ありがとう。

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