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ラグビーに人生を奪われた。

はじめに

何かに人生を奪われたと堂々と言える人は果たして何人いるのだろうか。
それは好意的なものでも悪意なものでもどっちだっていい。
何か一つのものに人生を奪われることは、魅力的に見えるし、一方でつまらないようにも見える。
どうなったら人生を奪われたと言えるかという定義はこの際どうでも良くて、その本人が自身の人生を回顧してみた結果、「奪われた」と評価できるのであれば、それは奪われたと自信を持って言っていいのだろう。


結局何が言いたいのかと言うと、僕にとってはそれがラグビーだったということだ。
小さかった時も、成長してからもそれを望んだことは一度たりともなかったが結果としてはこうなった。
「人生を奪われる」ということは好意的にも悪意にも捉えられるという意の文章を上述したが、僕にとってはどっちだったのか言うまでもない。
好意的な方だ。


『マチネの終わりに』という僕の好きな本の中にこういう一節がある。

過去は変えられない。
変えられるのは未来だけ。
多くの人はそう思っているだろう。事実、起こった出来事は変えられないのだから。しかし、事実は事実であっても、その事実に対する意味付けが変われば思い出は変わる。
辛い過去を背負った人が後に幸せを手にしたとき、過去は重要な飛躍のタネになっていることに気づく。
そのとき、自分の中の過去は変わる。

この精巧に言語化された文章には驚いた。そして常に心に残っている。


話を戻すと、僕はラグビーに人生を奪われたことは今では好意的に捉えている。
そしてさらに詳しく『マチネの終わりに』の言葉を借りて言えば、自らの行動で自分の中の過去を変え、悪意なものを好意的なものに変えたのだ。

まあ、つまりはその自らの行動を起こすまでのラグビーは僕にとって決して良いものではなかったわけで。
自分なりに一世一代の決断をして、元気いっぱい幸せいっぱいに暮らしていると。

前置きが長くなりましたが、ここからは僕とラグビーの壮絶なストーリーを見ていただきたいと思います。
そしてその中で、綺麗ごとを言っていることは分かっていますが、
「過去を悔やんだままで終わらないでほしい」ということと、
「ラグビーは素晴らしい」という2つのメッセージが伝わったら嬉しい限りでございます。

それでは、開演!!



ラグビーとの出会い

1999年、ノストラダムスが地球が滅亡すると予言したその年に僕は無事にこの世に生まれ落ち、前途有望な人生がスタートしました。
両親が言うには僕は小さい頃から色んな所へ連れて行ってもらっていたそうなのですが、幼き頃の記憶なんてあるわけもなく熾烈な競争を勝ち抜け僕の数少ない記憶に残ったのがラグビーなのです。
そしてその記憶は嫌いだったという嫌な記憶ではありません。
だって好きとか嫌いとかそんな概念を獲得する以前からラグビーと触れ合っていたのですから。


僕とラグビーの出会いは単純です。
僕が生まれてすぐに兄が友達に誘われてラグビーを始めました。
そして僕は生まれてから1年も経たずしてラグビーのグラウンドへ毎週通っていたのです。
多くの人が未来のトップリーガー誕生を予想するはずでしょう。
幼き頃からボールを触っているなんて何よりものアドヴァンテージなはずですから。
しかし、物事はそう簡単には進み見ません。

なんと僕は類い稀にみる弱虫だったのです。
どのくらい弱虫だったのかイメージしやすいように言うと、橋本環奈ぐらいの確率です。
いやー、ラグビーの神様もびっくりですよ。折角ラグビーを上手くなるチャンスを与えてあげたにもかかわらず、それを悉く棒に振るのですから。


毎週グラウンドへ通っていたと言っても僕は練習に参加はせず、ずっと外で保護者や手の空いているコーチたちと遊ぶだけでした。
そしてその遊びの中の一つとしてラグビーボールに触れるのが好きで、休日にグラウンドに行くのが楽しみでならなかったことは今でもやんわりと覚えています。
そんなこんなでその生活を続けていると、僕は気づいたら遊びではなく練習でボールに触れるようになっていました。
「ラグビーをしたい」ということを言った記憶は一つもなく、いつの間にかクラブに入っていました。
僕が所属していたクラブでは入る順番で背番号が決まるため、背番号は1。つまりその学年では僕がラグビーの経験が長いということになります。
エースの番号として君臨し子供たちから羨望の目を集める「1」ですが、その数字が後々僕を苦しめることになります。


ふぅ。2000字近く書きました。
文字だけでは目も心も疲れるでしょうから、当時の写真をどうぞ。

このタックルしようとしている子供が僕ですね(笑)

懐かしいものです。


この写真だけ見ると楽しんでいるようにも見えますが、ラグビーを始めたいという心から湧き出る意欲が最初から僕には無かったせいか、こんなにも魅力的なスポーツを全く楽むことができていませんでした。

痛いし、きつい。

弱虫に加えて運動神経が悪いというラグビーに向かなすぎる人間であっため、後から入ってきた子たちにあっという間に抜かれ、僕だけボールを上手くキャッチできず、パスもまともにできず、そしてタックルもできず、コーチにいつも怒鳴られていました。
キックキャッチなんて以ての外なのに、コーチたちは心なしか他の子たちに向けるキックよりも高いキックを蹴ってきて、ミスする僕をさらに怒鳴りました。
コーチに虐められているんだと本気で思っていたほど僕は常に怒られていました。

試合の日、まともにラグビーをすることができない「1」の居場所はいつもグラウンドの外で、僕が試合中にすることと言えば背中にある「一番長く在籍しているくせに下手クソで、試合に出られないということを頼んでもないのに大々的にアピールしてくれる」忌々しい数字を必死に隠すことでした。
試合に出られないことは全く悔しくありません。
試合に出たその分だけ怒られることが目に見えているのですから。

こうして、遊びではあんなにも触れるのが楽しかったラグビーボールからいつしか逃げるようになっていました。


小学校2年生の頃でしょうか、両親に泣きながら「辞めたい」と必死に訴えたことがあります。しかし、教育熱心だった両親は「もう少し頑張ったうえで判断しなさい」としか言ってくれませんでした。
「自分の気持ちを全く分かってくれない」とその当時多少恨みはしましたが、まあ、貧弱な根性を鍛えるためには致し方なかったのでしょうね。

こうしてグラウンドに引き戻されかけた僕は、「練習に行けばまた大人たちに問答無用でいじめられる。いじめられないためには行かないことだ。」と改心するのではなく逃げる方にベクトルを向けました。
そんな僕は、馬鹿みたいな話ですが、土日に体調を崩すようにお腹を出して寝てみたり、お風呂で濡れた体のまま過ごしてみたり、とにかく休むために必死でした。
他にも決行には至ってはいませんが、「駅の手すりを舐めるとインフルエンザになる」という噂を耳にした僕は本気でやるか考えたほどです(笑)。

こうして僕が変な方向にベクトルを向けラグビーから逃げている間にも、ラグビー仲間たちは怒号が飛び交う地獄のような練習に耐え、上達し、僕以外の仲間だけで友情を深めていきました。
そして僕の居場所はグラウンドだけでなく友情の場からも無くなっていきました。

スポーツ基本法には「スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利である」とあります。
僕はこの権利を行使することはできず、「スポーツを通じて不幸で貧しい生活を営む」ことになりました。
まあこれは上手いことを言おうとして少し誇張しましたけど、幸福で豊かな生活を営むことができていなかったことだけは確かです。



それから長い年月が経ち、中学一年の冬に遂にラグビーを辞めることができました。
僕を苦しめ続けたラグビーから解放されたのです。

それからラグビーのことは忘れて、別の道で楽しむことが得策であるにもかかわらず、そうはしなかったことがあの辛い過去を今こうして全世界に向けて発信することができるように変えることができた最たる要因でしょう。
もしあの時、別の道へ進んでいたのだとしたらこのストーリーを書く勇気はなかったかもしれません。

忘れているかもしれないので、僕の物語の鍵を握る『マチネの終わりに』の一節を再掲しておきます。

過去は変えられない。
変えられるのは未来だけ。
多くの人はそう思っているだろう。事実、起こった出来事は変えられないのだから。しかし、事実は事実であっても、その事実に対する意味付けが変われば思い出は変わる。
辛い過去を背負った人が後に幸せを手にしたとき、過去は重要な飛躍のタネになっていることに気づく。
そのとき、自分の中の過去は変わる。


次からはその辛い過去にどう意味付けをしたのか、そしてそれまでの葛藤について説明したいと思います。
ここまでの長い文章を読んでいただけでもとてもうれしい限りなのですが、このままでは僕のクラブに対する愚痴に留まってしまうので、ぜひ最後まで読んでいただけたらと思います。



ラグビーから解放されて

ラグビーから解放され、残りの中学校生活を謳歌しようと思っていたところ初めての彼女もでき、毎日友達と遊び、今まで楽しめなかった分を取り返すために楽しもうとしたのですが、どこか求めていたものとのギャップを常に感じていました。
休日に家で「笑っていいとも!」を見るのが夢だったし、毎週昼過ぎまで寝るという他愛のないことでさえも夢見ていた。
しかし、ラグビーから解放されて楽しくなるはずだと夢見ていた生活があまり楽しくありませんでした。

それはラグビーが僕にとって思いのほか大切なものだったとかそういうことではなく、ラグビーと決別したというよりも、ラグビーから逃げたと言った方が正しいような辞め方をしたからだと思います。

ラグビーが嫌いで嫌いで仕方がなかった僕は、ラグビー仲間に自分の本当の気持ちを伝えることもなく、「勉強に集中したくなった」という嘘をついて辞めました。
コーチにも、学校の友達にも、そして親にも適当に嘘をついて辞めました。
「ラグビーが嫌いになったから辞める」と言うことさえもできないくらいに僕は弱かった。

本当の気持ちをぶつけて、弱い男だと見られることをとにかく恐れ、体裁ばかりを気にしていた。サボってばかりいる時点で体裁なんて既にどん底に落ちていることにも気づかず。


そして、人と正直に向き合わなかった代償として、ラグビー仲間にも、コーチにも、学校の友達にも、そして親にも、本当の辞めた理由を知らない人全員との間に溝を感じるようになりました。本当の理由を知らないとは言っても、どうせみんな察してはいたんでしょうけどね。
つまり僕が勝手に彼らと向き合おうとせず、そして勝手に溝を感じていたのです。馬鹿みたいですよね。

さらに、逃げることに味を占めた僕はずっと通っていた塾も辞め、学力が偏差値10近く下がりました。
そんな僕をよそにラグビー仲間たちは必死に練習しているし、強豪校に行くために必死に勉強して成績も高い。
「高校受験のために勉強をしなきゃいけない」なんて言って辞めたのに、その学力ですらラグビー仲間には負ける。
ラグビーを辞めたことで惨めで情けない男であることにさらに拍車をかけていました。
このときが僕の人生のどん底であったことは間違いありません。
そしてこんなにも僕を貶めたラグビーを辞める前よりもさらに恨むようになりました。

おっと、かなり暗くなってしまいましたね。
気分転換に、晴れてラグビーが好きになりスーパーラグビーを見るためだけに1人でメルボルンへ行き、大好きなリアリーファノ選手と撮った写真をどうぞ。

ラグビーを心底嫌っていたとは思えないほどの嬉しそうな顔ですね。



変わるための大きな一歩

さて、どうやってこの人生のどん底から這い上がったのか。

時間が経ち、環境が変われば嫌なことも忘れ自然と抜け出すことはできるでしょう。
しかし、何と僕は高校からまたラグビーを始めることにしたのです。
まさかのまさかです。僕の周りの人たち全員が驚いていました。僕でさえも驚きました。
高校から何か新しいことを始めるという選択してもいいのに、僕は僕をここまで苦しめたラグビーと向き合わない限り、否、ラグビーから逃げたままでいる限り、一生満足のいくような日々を送れないのだと考えたのです。
中学校を卒業してから高校に入学するまでの1か月間、今の弱い自分から抜け出すためには何をすべきかと悩みに悩んだ結果がこれでした。

ここまで僕とラグビーの関係性を見てきた皆さんは想像に難くないと思いますが、ラグビーを再び始めるという決断はあまりにも重大で1人で判断できるようなものではありませんでした。

僕には大好きで尊敬する兄がいます。彼が僕の救世主となったのです。


偶然、兄は僕が入学予定だった高校のラグビー部の顧問と知り合いで、入学する前に「弟がラグビー部に入るのでよろしくお願いします。」と言ってしまっていたのです。
おそらく兄は冗談で言ったのでしょうが、その高校のラグビー部は人数がとても少なく部員集めに必死だったということもあり、顧問の先生は真剣に捉えてしまったのでしょう。
入学式その日に下校としようとしている僕をラグビー部全員が囲み、「ラグビー部に入るんよね!!」と言ってきたことは衝撃すぎて今でも鮮明に覚えています。
どうして顔が分かったのでしょうか(笑)


正直これには本当に救われました。
「お兄ちゃんが顧問にこう言ってしまって~。」というように言い訳ができるようになるのですから。
おそらくその言い訳が無かったならば、勇気を振り絞ってラグビー部の部室の門を叩くことは無かったのだろうと思います。
ラグビーと共に生きていく覚悟を持っている今の自分からしたら、この決断をしていなかった場合のことを考えるとゾッとします。


この兄の無意識の手助けに背中を押され、ラグビー部に入ることにした僕は変わることを決意します。
今でさえも170㎝、60㎏と体は小さいのに、高校一年生の時は今よりも2周りほど小さかった。

そんな小さな体で鍛えられた体を持つ先輩たちにとにかくぶつかりました。そして何度も何度も吹っ飛ばされました。
立ち上がっては吹っ飛ばされました。
そしてその度に顧問に怒鳴られました。

「自分を変えたい。強くなりたい。」
と北極星を見つけた僕は怒鳴られたくらいでは挫けないようになっていました。
その北極星を見つけただけで、見る世界がガラリと変わった。


足元に入ればどれだけ体格差があっても倒せることを学び、まだまだ何にもできないながらタックルだけはできると胸を張って言えるようになった。
元から上手じゃなかったスクリューパスもボールを買って毎日自主練。
滑り止めが無くなり、ツルツルになるまで。

入部当初は自分を変えるための手段としてラグビーを利用していただけで、昔と同じで好きでやっていたというわけでは全くなかったのですが、ラグビーを知れば知るほど、そして挫ければ挫けるほどラグビーの魅力に引き込まれていきました。

小さい時は、兄がテレビでシックスネーションズを見るのを大喧嘩になるくらい嫌っていたのに、YouTubeで過去の試合を必死に漁るようになっていました。
部活から帰ってすぐにスマホを取り出し、勉強もせず、食事中も、そして寝る間も惜しんで見ていたほどラグビーの沼にハマりました。

余談にはなりますが、今の高校生たちは試合を見る以外にも林大成選手みたいに練習法を動画で上げてくださる方がいて羨ましい限りです。

さらに余談ですが、僕は大学ラグビーに夢中になり同志社大学の渡邉夏燦選手に憧れて、プレースタイルをめちゃくちゃ真似てました(笑)。
とにかく10番がカッコよくて、プレースタイルは違えど、先ほど登場した白血病から見事復活したクリスチャン・リアリーファノ選手や東福岡高校出身の松尾将太朗選手などのプレーを血眼になって見ていました。



話を戻しますと、「世界から無くなってしまえばいいのに」とまで思っていたラグビーと誠心誠意向き合ってみるといつの間にか大好きになっていた。
ミスをすれば怒鳴られるという条件は全く変わっていないのに。

2003年に制定されたラグビーの精神を明文化した『ラグビー憲章』というものがありますが、高校の時の僕はそんなものがあるなんて微塵も知りませんでした。
しかし、ラグビーと誠心誠意向き合い、触れ合う中で自然と肌でそれを感じ、その強制されない文化に僕は惹かれ、強くなった。

自分を変えたい。強くなりたい。
苦しんで苦しんで、その結果として北極星を見つけた僕は、ミスをして怒られるよりも試合にも出ずに弱い自分のままでいることの方が怖いと思えるようになった。


サッカーだって野球だって、魅力的なスポーツはたくさんある。
ましてやスポーツじゃなくたって良かった。

それでも僕はラグビーを選んでよかったと心から言える。



過去の事実に新たな意味付けを

結局大学でラグビーを続けようと思えるほど上手くはならなかったけど、主将にもなり、憧れだった10番を2年生からつけさせてもらい自他共に認めるチームを引っ張る存在になっていた。

過去の僕にとって背番号とは心から無くなってほしいくらい邪魔なものだったけど、いつしかどの背番号をつけてもそれは僕の誇りになっていた。

未だに心が離れてしまった嘗てのラグビー仲間たちとの間にしこりは残っているけれど、ラグビーを再度始める決断をしてから、死に物狂いで練習してから、そして僕が強くなってから、彼らとの心の距離は段々と元の距離まで近づいて行っている気がする。
目を見て話すなんてまともにできていなかったけれど、今やっと対等になって話せるようになっている気がする。


結果として、大学やプロジェクトで物怖じせず自分の意見を発言できていることや、ダメなものはダメだと言えるようになっている今の自分を見ると強くなったと言っていいのだろう。
否、あの頃の弱い自分とはおさらばしたと胸を張って言える。
そして「ありがとう」とも言いたい。

だってあの頃の弱い自分がいなければ、今の強い自分は決して存在しえないのだから。


三度目でしつこいと思われるかもしれないが、もう一度これを。

過去は変えられない。
変えられるのは未来だけ。
多くの人はそう思っているだろう。事実、起こった出来事は変えられないのだから。 しかし、事実は事実であっても、その事実に対する意味付けが変われば思い出は変わる。 辛い過去を背負った人が後に幸せを手にしたとき、過去は重要な飛躍のタネになっていることに気づく。
そのとき、自分の中の過去は変わる。

僕は過去を変えた。
あの忌々しい事実たちに新しい意味を与えた。
あの日々があったから今自分が強くなれていると言えるようになった。
ラグビーと向き合うことで、辛い過去に「ありがとう」と言えるくらいまで成長した。



さいごに

これまでのストーリーから、
「相当追い込まれるほど嫌なことがあったとしても、逃げずに立ち向かいなさい」
と言いたいわけではないということは確認しておきたい。
自分の中の北極星も無しにいくら抗ったって、苦しみ続けることに変わりはない。

逃げたっていい。逃げた後に何をするかが大事なんだ。

自分の過去も、未来も、現在も、変えることができるのは自分だけなのだから。


少し熱くなってしまいましたが、僕のこれまでの21年間という短い人生から伝えられるメッセージは有らん限り伝えられたのではないでしょうか。

僕が兄に救われたように、理性的に、時に感情的に書いた僕の拙い文が、どこかで苦しんでいる人や何かの決断に迷っている人の背中を少しでも押してくれることを願って、そして一人でも多くの人にラグビーの魅力が伝わることを願って、ここで終わりにしたいと思います。

こんなにも長い文をここまで読んでくれた人が果たしているのかは分かりませんが、もしいらっしゃるのであれば感謝の言葉と共にこの言葉を送りたいと思います。


「ラグビーに人生を奪われてみませんか?」

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