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2022年 東北・北海道 旅の記録(東北-復路 編) 25日目
5.15(日) 石巻、仙台 --- 震災1年後と現在
震災から1年後の2012年3月31日から4月1日に石巻と仙台を訪れました。その際の大変な状況から10年。どう変わったかを見てみたくて再び訪れました。
ここに来るまで、復興道路という真新しい奇麗に整備された無料の高速道を使ってやってきました。復興税が有効なのか疑問を感じる水門や巨大な防波堤だけでは無く、このような道に使われていたんですね。防波堤よりよっぽど意味を感じました。
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まず最初に日和山にきました。が、まだまだふっ今日途中というのか、出発前に最新にしたカーナビの地図も、Google Mapも道案内に使えず、同じところをうろうろすることになり苦労しました。
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前回息子と来たときにこの店で食べたな〜と思い出しましたが、今日は早かったので開いてませんでした。
以下は、10年前の写真があるところは比較できるように掲載していきます。
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日和山より石巻湾を見た写真です。茶色く何もなかったところが盛り土され、石巻南浜津波復興祈念公園が作られていました。
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ものすごく沢山の黒い墓石が目に入り、改めて犠牲者の多さを実感しました。
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震災前の景色を今と比べられるようになっていました。
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まずは鹿島御児神社にお参り。
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神社の参道は変わっていませんでした。
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震災時にはここを旧門脇小学校の生徒や地域の多くの人が津波から逃れるために駆け上がった階段です。
ここを降りてみました。
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当時は墓石が倒れものすごい様子になっていました。
今では全ての道や家々が真新しく、年季の入った道や民家が無い状況で、震災により門の基礎部分だけになったのを保存していることがなどしているため、ものすごい違和感と共に当時の様子が偲ばれます。
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こんなに高い堤防が川沿いに造られていました。
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旧門脇小学校が震災遺構として保存されていました。割れた窓ガラス。その隙間からはためくカーテン。焼け爛れた机や黒板など…。あまりにもそのままなので風化による破損を心配してしまいました。
続いて中を見ると、
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多くの人が避難していた体育館には津波で潰され大きく変形した消防車や乗用車の展示。
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津波火災により焼け爛れた各教室がそのときの授業の様子のまま残されています。
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焼け爛れた防火扉、灰の上にフレームだけになった机と椅子。津波によって運ばれた泥を被った靴箱などみていて辛くなるものや説明の数々。
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津波と火災から多くの人の脱出経路になった教卓の話など、校舎から隣の山へと避難に至るエピソードがあったことを教えてくれました。これは機転と幸運によって助かった例ですね。
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中にも入れますが、狭いプレハブ小屋です。
この東北の寒い冬を越えるにはあまりにも心許ない断熱に防音の建物で、家族で住むには狭い居住スペースでした。当初は仮説住宅だからと思っていたのでしょうが、何年も住むことになった方々は大変だったでしょう。
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芝が敷き詰められた広場や真新しい道路とあまり生活感が感じられない建築物と多くの墓のコントラストが心に残りました。
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2021年当時は水没して廃棄する車が山積みにされていたり、まだ打ち上げられた船がのそされていたりしていましたが奇麗な人口の巨大な公園に。
これが復興ということなのかという疑問も感じながら仙台に移動し、閖上地区へ移動。
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閖上地区の「かわまちてらす閖上」に到着。
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ここは川の堤防の上に建てられた、多くのお店が集まった施設で、イベントが行われていました。地域の復興のシンボルのようです。
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しらすの春巻きをいただきました。パリッとした皮と、たっぷり入ったしっとりしたしらすがとても美味しかったです。
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建物の基礎が残るだけの平野だったところが、新築の家が立ち並ぶところになっていました。やはり津波に見舞われることのない山よりも、リスクはあっても平地の便利なところに住むんですね。
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10年前は砂利が敷かれた堤防の上が奇麗に舗装され、立派な堤防になっていました。堤防の高さはどうなったんでしょうか?
対岸には津波時に避難するための人口の山が造られていました。巨大な堤防や要塞のような水門などよりも、自然と共存するためにリスクを受容し、最低でも人命は守るという思いを感じました。
1日でしたが、震災からの復興の様子を見ることができ、思うことはいろいろありましたが満足しました。
明日は会津若松にある面白い作りの「さざえ堂」に行くため、移動します。
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ここが今晩の宿、「道の駅猪苗代」です。
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日没まで少し時間があるので猪苗代湖まで散歩しました。
大きい湖です。
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ちょうどタイミングで、夕日に輝く田んぼと磐梯山に出会えました。
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今晩はタイミング悪く食いっぱぐれたため非常食の夕飯です。
iPadでNHK+でニュースを見ながら食べました。
まだ明日も続く車旅を楽しみにしながら、お休みなさい。😪
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