東洋経済新報社を退職してスマートニュースに転職します
昨日1月31日付で東洋経済新報社を退職し、本日2月1日からスマートニュース株式会社で仕事をします。新しい所属はスマートニュース メディア研究所とスローニュース株式会社です。
学部を卒業してから10年以上仕事をしてきて、今回が初めての転職になります。この記事では東洋経済への入社から転職までを振り返ります。
自己紹介
まず自己紹介です。データ可視化(Data visualization)とデータ報道(Data journalism)が大好きな33歳です。
最近の制作物の中で一番有名なのは東洋経済オンライン「新型コロナウイルス 国内感染の状況」だと思います。新型コロナに関する報道コンテンツの中で最もシェアされ、2020年度のグッドデザイン賞とSmartNews ベストパートナー賞を受賞しました。
コンセプトの決定やデータの選定、デザイン、実装、解説記事の執筆、日々のデータ更新など、ほぼ1人でやっていました(今は別の方に引き継いでいます)。東洋経済オンラインで発表した他のデータ可視化コンテンツも、だいたい1人でやっていました。今まで書いた記事はこちら:
入社:データの基礎を学ぶ
そもそも仕事としてデータに興味を持ったのは大学生のとき。大学では社会心理学を勉強していた。実験や調査で得られた結果を統計的に解析して、その分布や傾向を見るような卒業研究だった。
僕の指導教授は惨事ストレスや対人関係が専門だった。ともすれば主観的になりがちな議論に、データや統計を持ち込んで可能な限り客観的に/再現可能な形で検証することに面白さを覚えた。「自分の立てた仮説が数字でバチッと実証された瞬間が本当に面白い」と教授が話していたのをよく覚えている。
とはいえ当時はデータ可視化やデータ報道といった言葉は知らず、就職活動では「データに関わる仕事」くらいのざっくりとした感覚でマーケティングリサーチの会社やシンクタンクなどを受けていた。東洋経済も、出版社や報道機関という括りではなく、当時募集していた「データ編集」という職種を見て応募した。今はデータサイエンスの流行などもあって「データ」という言葉がちょっとキラキラしているけど、当時はそんなことなかったと記憶している。3回あった面接すべてで「この仕事は地味ですけど大丈夫ですか?」と聞かれたのを覚えている。
入社してからはデータ事業局という、主に上場会社の財務や大株主といったデータを扱う部署に配属された。雑誌でいうと『会社四季報』のデータ部分にあたる。僕は大株主や大量保有報告書のデータを担当して、こんなものを作ったりしていた。
一般的にデータビジネスと聞くと「秘密のデータや独自情報をこっそり教える」といったイメージになりがちだ。典型的には、スパイ映画のように「情報屋」みたいな男がいて、札束を渡すと「◯◯はCIAとソ連の二重スパイだ」みたいな情報をボソッとつぶやくようなイメージ。
しかし現実には、独自情報だけがデータビジネスにおいて価値を持つわけではない。たとえばデータ事業局が扱う中で最も規模が大きいのは財務データだが、内容の大半は有価証券報告書や決算短信といった公開情報からデータベース化したものだ。
ではなぜ顧客は公開されているデータをわざわざ買うのか。乱暴な言い方をすると「きちんと整理されているから」だ。上場会社の提出する情報は、すべてが同じフォーマットで統一されているわけではなく、そこには無数の例外や「ほんのりとした独自の味付け」みたいなものが含まれる。また法令改正や開示基準の変更などによって一貫性が失われる場合もある。そうした場合に「全社を同じ基準で、可能な限り一貫性を担保した状態で整理する」作業には膨大な手間と時間、そして扱うデータの中身(財務データでいえば企業会計など)に関する知識が求められる。特定のルールがあるというよりは、例外事象に対する個別対応が無数に積み重なったものと言ったほうが近い。ここに顧客は価値を見出している。
いま僕が本業としている「報道」についても同じことが言える。日本の報道では独自情報や速報に大きな価値が置かれることが多い。特ダネ/特オチ(特ダネとは逆に、各社が同じスクープを出している中で自社だけその情報をつかめなかった状態を指す)という言葉がその代表例だ。その価値基準で言えば、何の新規情報も入っていない「新型コロナウイルス 国内感染の状況」は著しく価値の低いコンテンツになるはずだが、ありがたいことに高く評価してくれる人が少なくない。
報道も含めた情報ビジネスは、情報そのものに価値がある場合=つまり特ダネやスクープに加えて、「あなたの代わりに情報を集めて整理する手間を負担する」というサービス業としての側面がある。たとえ扱っている情報それ自体が独自であったり最速でなくても、その組み合わせ、整理の方法、またはデザインで価値を出すことができる。この考え方はデータ可視化を本格的に活用するようになった後でも生き続けている。
技術面でもSQLをがっつり書いてRDBの基礎を学んだり、また変則決算や再上場などデータで何度も「痛い目」を見たことで、データを扱う上での「足腰」も鍛えられた。
データ可視化への興味と留学
一方で、2014年に開催された朝日新聞データジャーナリズム・ハッカソンへの参加などを通じて、データを報道や可視化によって活かす方に興味が向いていった。ちなみにこのイベントの発起人は、後にBuzzfeed Japanの創刊編集長を経て現在はメディアコラボ代表/Google New LabのTeaching Fellowである古田大輔氏だ。このイベントは日本におけるデータ報道の流行に先駆けて開催されたもので、今でも日本のデータ報道の第一線にいる人たちがけっこう参加していた。
しかし今までコードは書いたことがあっても、デザインはからっきしだったので、何かまとまって勉強する時間が欲しいと思って社内の留学制度を使うことにした。留学で休職できるのは原則1年間と言われたので、修士号が1年で取得できる(その代わりに長期休みがなく、夏休みに修士論文を書く)イギリスのTaught Masterと呼ばれるコースに出願することにした。データやデザイン関連でいくつか願書を出し、受かった5校くらいの中からエディンバラ大学に決めた。
専攻はDesign and Digital Mediaという名前で、日本にたとえると美大の情報デザイン専攻のようなコースだった。周囲ではゲームデザインや3Dアニメーション、VRなどを作る学生が多かった。当たり前だがデザインを学部でも専攻している学生が多く(ベルリンで働いている現役のグラフィックデザイナーとかもいた)、最初はとにかく自分の作品が貧相に見えて仕方がなかった。ある授業の中間課題発表で自分の作品がどうしようもなくダサいと気づいた時には、恥も外聞もなく他の学生のデザインを取り入れることにした。「配色はA君の作品を参照し、地形の3D描画部分はB君、タブ表現はCさんを…」といった具合に、周囲の作品のいいところを取り入れた(もちろん作品と一緒に提出するレポートにはその旨を書いた)。学生の時にだけ許容されることだと思うが、これによって作るスキルとともに作品を見るスキルも身についた気がする。
他にも、データ可視化のライブラリを片っ端から試してみるなど、様々な試行錯誤をできたことが大学院では大きかった。やはり報道の仕事で作品を作ることになると、炎上や最悪の場合は訴訟など様々なリスクを考える必要があるし、ブラウザ対応やパフォーマンスも重視する必要がある。いきなり実戦に投入する前に「習作」をいくつか作ってみるのは大事だと思う。
それに加えて、Creative codingやGenerative artと呼ばれる、プログラムによって視覚表現を作り出す分野のアートも勉強して(どんなイメージかは画像検索するとわかりやすい)、大きな刺激を受けた。その時に書いていたのはProcessingで、今でもそのJavaScriptオルタナティブであるP5.jsをよく使っている。
帰国、編集部での仕事
帰国した後はデータ事業局から異動して、主に東洋経済オンライン編集部で仕事をした。といっても僕はその部署では完全に新顔で、いきなり「データ可視化を報道に活かしましょう!」なんて言っても受け入れられるはずがない。最初は編集部員向けに、グラフを自動で作成するツールやアクセス状況を手早く概観できるダッシュボードなど、様々な業務効率化ツールを作りながら、少しずつ自分の理想とする形でコンテンツを作っていった。
帰国が2017年9月。東洋経済オンラインで初めてインタラクティブなコンテンツを公開できたのが2018年4月。元々は当時の編集長の発案によるものだった。
その後、7月には初めて自分で企画した記事を公開した。ここではグラフィックと一緒にJSONファイルを公開して、年内にはコンテンツのGitHub公開を始めた。その後は、記事を書く+インタラクティブなページを公開する+GitHubでソースコードを公開する、の3点セットがほぼデフォルトになっていった。
GitHubによる報道コンテンツの公開は、おそらく東洋経済オンラインが初めて&今も唯一のはずだ。「どうして東洋経済さんではこういう試みができたのか」と他のメディアから聞かれるが、おそらく自由な社風によるところが大きい。基本的に留学にしても新しい記事の公開にしても、「やりたい」と言ってしまえば比較的自由に仕事をさせてくれる会社だった。僕は人の指示を待つよりも自分で考えて行動する方が好きなので、というかほぼ後者しかできないので、その意味ではけっこう伸び伸びと仕事できていたのではないかと思う。
新型コロナへの対応
そして2020年2月末に「新型コロナウイルス 国内感染の状況」を発表した。何度か取材で答えているが、2月中旬に編集長から提案があり、データソースを決め、デザインコンセプトを考え、実装して1週間ほどで公開した。公開初日にはまったくと言っていいほど注目されていなかった(Twitterでバズったのは公開3日目だった)ので、最終的にこれほどの反響になるとは思っていなかった。
特に嬉しかったのは「こういう報道を待っていた」という声。
上述の独自情報に関する部分でも触れたが、自分自身データ可視化コンテンツを「報道と呼べるのか?」と自信がない状態だったので、こうした反応があったのは励みになった。
結果的には大手メディアの中で最も早く同種のデータダッシュボードを公開した形になったが、それはひとえに編集長の慧眼と、加えるなら編集部との距離の近さがあったように思う。僕は当時、他の記者/編集者と同じように編集部に所属しており、毎回の会議にも同様に参加していた。もし僕が「デジタル制作部」みたいな別の部署にいたら、編集長が打診するハードルや僕がコンセプトを提案するハードルも上がっていたわけで、きっと今回ほどの早さでは実現しなかっただろうと思う。
この経験から、僕はデジタルな報道コンテンツをチームで制作するなら「ジャーナリスト/エンジニア/デザイナーの距離が近く、かつ関係性がフラットであること」が重要だと思っている。おそらく多くの新聞社では記者が図表などを制作担当に「発注」する文化が残っていると思うが、エンジニア/デザイナーの意見をむしろコンテンツにフィードバックするくらい双方向に議論するほうがいいものができるだろう(もしくは僕のように全部1人で作ってしまうのも手だが、疲れるのであまりお勧めしない)。
幸運だったのは、東洋経済ではPVのノルマがまったくなかったので、純粋に「いいプロダクト」を作るのに集中できたこと。数字を上げるために煽ったり誇張したりといったプレッシャーをかけられたことが一度もなかったので、予期しないバズがあってもブレずに仕事ができたと思う。
今だから白状するが、このプロダクトで僕は生まれて初めてPull requestやIssueを受け取った。それまでもGitHubにほそぼそとデータ可視化作品や自分のポートフォリオを公開してはいたものの、まったく注目されていなかったので反応は皆無に近かった。急に受け取った沢山のPull requestにどう対応するのか考えている時に、他方ではダッシュボードを厚生労働省の公式と勘違いした海外の研究者から「ヘイKazuki、厚生労働省では◯◯のデータを公開する予定はあるのかい?」なんて問い合わせが来たりする。もう大変である。
2020年は、ほぼずっとこのコンテンツに費やされた。特に第1波が耳目を集めていた3月から5月は、データ更新や改修や問い合わせ対応などに忙殺され、正直あまり記憶がない。とにかく体力だけは維持しなくてはと、人通りの少ない深夜にマスクをしてランニングをしていたことは覚えている。
この1年で雑誌やメディアの取材を受けたり、対談やラジオ番組に出してもらったりと、得難い経験をさせてもらったが、一方でもう一度同じ体験をしたら今度こそメンタルか体調を崩すのではないかと感じていた。「もう一度このくらい話題になるコンテンツを作れ」と言われたら「絶対に無理」と答えるだろう。1人でインタラクティブな報道コンテンツを作ることの限界を感じた1年でもあった。
転職とデータ可視化/データ報道の可能性
新型コロナのダッシュボードを経て、「1人で作る」から次のステップに移る必要があると感じたことが一番の転職理由だ。
今回のダッシュボード公開から、ありがたいことに各種イベントの登壇機会を得たり、データ可視化作品の提案や相談を受ける機会も増えた。いわば個人商店として1人ですべてを切り盛りしながら作品を発表するフェーズから、次はデータ可視化/データ報道の方法論を広めたり、1人では実現できない規模のプロダクトを他のジャーナリスト・デザイナー・エンジニアと協力して作っていくフェーズに移るべきだと考えた。
社会的にも、新型コロナ禍において様々な報道機関や企業、個人がデータ可視化を公開するようになり、データ可視化=「難解なデータをわかりやすい形に翻訳すること」の価値がそれなりに浸透したのではないかと思う。報道においても、ほぼすべての新聞社やテレビ局がそれぞれのダッシュボードを公開した。最もシェアされた報道コンテンツがテレビ局の速報でも新聞社の特ダネでもなく東洋経済オンラインのダッシュボードだったことが、データ可視化への社会的な関心を示している。
個人のレベルでも社会のレベルでも、データ可視化/データ報道という分野の存在を認識してもらうフェーズ=いわゆるゼロイチ(0 → 1)のフェーズから、次はデータ可視化/データ報道を社会に広める&普及させる(1 → 10)フェーズに来ている。
いくつかのイベントでも発言しているが、僕はデジタル技術を活用した報道、特にデータ可視化を活用したデータ報道には大いに可能性があると思っている。以前の記事「なぜデータジャーナリズムは日本で普及しないのか」でも書いたが、現代においてデータ報道はもはや「欧米の先進的な報道機関が行っているもの」ではなく「世界的に実践されているが日本では普及していない」ものだ。ポケモンでいうと「のびしろしかない」というやつだ。
このような分野に身を置けたことは幸運だと思っているし、今後も日本のデータ可視化やデータ報道の発展に少しでも貢献できたらいいなと思っている。
東洋経済でもそうでしたが、スマートニュースでも外部との連携はどんどんやっていきましょうと話をしているので、今後も講義やイベント登壇などのご相談があればお気軽にTwitter、Facebookなどでご連絡ください。今までの実績は私の個人ページでご覧ください。
今後ともよろしくお願いします。