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迷惑をかけて生きていこうじゃないか。

ちょっと尖ったタイトルになりましたが
そう思ったのです。

小4の娘
学校が合わなくて
1年生の時からフリースクール通い。

今もフリースクールと学校の
ハイブリッドで通っているのですが

最近では
学校の中でも
かなりのハイブリッド。

保健室、相談室、特支学級と教室
4つの選択肢をもち
いつどこに行くか
毎日自分で決めています。


入学して丸3年半
切り開いてきたな〜と我ながら思う。

こんな多様な通い方、あり方、

私にとっては
こうあるべきよね、と思うくらいなのですが

先生たちからすると
異端なのだと思うのです。

私が教員側だったら
確実にそう思ってるし
めんどくさい家庭です。笑


これでいいのだ、と思いながらも
「迷惑かけてないかなー」って
気になってしまうのも、正直なところ。

なので
「こんなやり方させてもらって
 ご迷惑でないですか?」
って、つい確かめてしまいます。


先生は
「大丈夫ですよー」
って言ってくれます。
(そう言うしかないのかもしれませんが)


私たちは

「人様に迷惑をかけてはいけない」

って教わってきました。


もちろん、相手が
本当にいやだな、無理だな、
と思うことは考えないといけないけど

迷惑をかけながら
支え合いながら
生きていくほうが

「自然」
な気がします。


特に
若い人たちは
年上の人たちに迷惑をかけるもの。

そうやって
生き方を学んでいくのだから。


しかも

未来ある子どもたちのためなら
大人の側が変わる努力するのは
大人としての役割なんだと、私は思います。

変わる努力っていうか
どんなことも「生きる力」となるように変換する力

かもしれない。



若い人の言ったりやったりすることに
「迷惑だ」
なんて言っちゃいけない。

何が起ころうとも
自分に何ができるか?
を考えられる大人になりたい。


なんて言いつつ、

いやー、

そんなふうに考えられるのって
相当成熟した人だなって感じもする。



誰でも
自分の中に
子どものまま、未熟のままの部分もってますからね。

でも、おかげさまで
教員をやめて
いろいろ揉まれて
自分をちゃんと自立に向かわせてきて

私の中で熟されたものが
たくさんあるのを実感できるようになった。

守られたままだと
成長の機を逃してしまうんだなーと
今さらながら思う。


自分を熟す=成長させる努力をしながら

子どものために、未来のために、社会のために
今できることをやっていこうと思う。

ようやく、その段に立てた気がする。



子どもは
迷惑をかけて成長していけばいい。

大人が
それをちゃんと受け止められる大人に
なろう。


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