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胸を張って全部をさらけ出せるような人生じゃない

教員の退職を美化してるかのように書いてしまう時もあるけど、

それはそれは黒い過去。

だって、担任していて途中で行けなくなって、そのまま休職、そのまま退職。

あのまま子どもたちにも会ってないし、管理職以外の先生にも会わず(というか会えず)、
荷物も取りに行けないからすべて処分してもらって、教員の私はあそこで全てがストップした。

でも、自分の名前で生きていこうって決めて、こうして顔出しもしていて、怖くないかって言われたら、怖くないわけない。
 

私の投稿を当時の関係者の方が見たら、どう思うか、否定されないか、苛立たせないか、こんな私で大丈夫か、

いろんなプレッシャーがある。

 
元々自分のことを語るのが苦手で
今でも心の真実を口にすると涙が出るような人間。

さらけ出すって怖いんです。
自分の大事なものを差し出して、否定されるのって一番痛いから。

でもじゃあなんでやってるか?

今やデジタルの時代で、名前も顔も出さずに生きていけるじゃん?

自分に問うてみた。


私は「私」を生きたい。


どうしてもある「良く見られたい」という想い、その奥にある「否定されたくない」という想い、

でも本当の本当は

黒い自分を反転させたいんじゃなく
黒い自分も自分なんだって受け止めて

自分が自分を否定せずに
自分が自分を丸ごと愛する

それがしたくて
私はこうして名前と顔を出してるんだな。

と書いて自分で確かめる。

そうしないと忘れる。笑


過去に、怒りや悔しさや悲しさや恥ずかしさや、消し去りたい程の何かを持ったまま生きるのはつらい。

自分もつらいし、周りの人もつらくさせてしまう。

胸を張って、胸を開いて、真実の自分で清々しく生きたい。

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