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これからの時代の生き方・働き方

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教員を退職して、地方移住して、我が子の不登校に向き合って、起業して、教育の活動をして、実際にこれまでの生き方・働き方をアップデートする行動をしながら見えてきたものを書いています。
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#小学校の先生

教育とは、何のためにあるのか?

教育は、20年後、30年後の 想像もつかない未来を生きる子どもたちのためにある これは私が教員を続けられなくなり 休職していた時に教育講演会で聞いた言葉です。 さて 教員の仕事で 一番多く時間と労力を費やすのは 何か? 決められた時間数で 決められた学習内容をこなすこと その中でできるだけみんなが成績で A判定(よくできる)がとれるようにすること それじゃないでしょうか。 (小学校しか経験がないので、それを元に書いています) それにプラスして 行事への取組やク

過小評価も過大評価もせず、自分にできることを淡々と

昨日、イベントに呼んでいただき 「教員から起業した人」 ということでお話してきました。 その話のことはまた後ほど書くとして、 登壇後の交流会でのたくさんのご縁! それがすごかったのですーー 起業を考えている現役の先生 居場所づくりされている方 子どもたちの未来のために開業された方 インクルーシブ教育に関心のある方 などなど そして、 ママさんやスタッフさん向けにお話してください とお声がけいただいたり フリースクールで運動系のワークショップ できそうですね、な

教育現場に必要なこと、それは・・・

今日は教職員組合の方との談話会だった。 退職された方も含め、教員という立場の人たちと、教育に関して何かできないか?と考える母たちとの談話。 学力状況調査の歴史や今現在、 またICT活用の実態あたりがテーマだった。 学力調査の結果が公表されることで どうしても上を目指そうとする風が起きる。 調査のための事前対策=過去問を指導する時間、 私も「やるもんだ」と思ってやってきていたけど、 これは義務でも何でもないし 今思えば、 本当に子どもたちのためだったのか? そこに

もう限界。でもまだやれることがある。

今日午前中、現役の先生とのセッションだった。 先生たちの現状、学校の現状、 もちろん進歩もしているけど やっぱり表面的な気休めなテコ入れでは もう限界だと改めて思う。 でも、やれることもあると思えた。 リアルの声を聞いたために 具体的な案も浮かんだ。 今できる一歩は本当に小さいけど、 やってやれないことはない。 できる。やれる。 やりたい。やらなきゃ。 そんな気持ちになった。 先生の人生も大切にしてほしい。 だけど、 子どもや未来を思う気持ち 今の教育を案ず

悩みの質を変えることで、人生は変わる。

元旦の投稿で、 2023年は30点のできだったけれど、 怒涛の追い込みで年末に盛り返した ことを書きました。 なぜ盛り返せたか?と考えてみると、 悩んだり迷ったりしてることに対して 「12月中に決める」ということを徹底的にやった これだと思います。 悩む時間、迷う時間にも「期限を決める」! いつまで悩むか、いつ答えを出すか、 そうしないとずっとグルグルできてしまう。 時間を使っているのに何も進まない。 「決める」と 次のステップに進むことができ、 具体的にこと

長期休みのために働く教員で、いいの?

冬休みに入りました~!バンザイ! みなさんはどんな予定を立てていますか? 私は、子どもたちと、 やることをやって(掃除、運動、自己研鑽)、 美味しいものを食べて、 アニメをたくさん見ようと思っています! 教員時代を思い返すと、 本当に、週末と長期休みが楽しみだった。 楽しみで仕方がなかった。 週末のためにがんばる。 夏休みのためにがんばる。 冬休みのためにがんばる。 仕事ってそういうんもんだよね、 って思いつつ 割り切れない思いも、実は心の奥深くにあった。

自分にピッタリの働き方って?

10月も半分過ぎましたが、 10月と言うと、人事調査の時期ですね。 来年度どうするか。 私は小学校教員でしたが、 現役で担任してた時も、育休中も、病気で休職中も、退職を検討してたときも、ソワソワしてたものです。 私は育休から復帰してすぐ、バーンアウト、うつ状態になりました。 育休中もそれ以前も、教師という仕事が自分には合っていないと薄々感じながらも、それ以外の選択肢がわからず、とりあえず復帰を選んだ。 その結果、病気休暇ということに。 もっともっと自分に向き合っ

自信がないと余計に、外に目を向けがちに。そして人と比べてまたへこむ…の悪循環から抜け出すために。

私の悩みの根本には、 何もない私 中途半端な私 っていうのが、いつもあった。 教員時代は、専門性のない自分がいやだったし、 退職してイベント運営し始めたときも、コンテンツを持っている人を招いて、私は人を集める、私は何も持ってない、そんな意識が少なからずあった。 教員時代を振り返ると、 公開した道徳の授業が評価されて、教育委員会からオファーされ道徳研究員となった。 道徳は好きだったし、研究しがいがあったけど、人に教えるほどのものとは思ってなかったし、そんな状態で指導する