大学に行った意味をいつのまにか履き違えていた気がする
窮屈で、退屈だ。
最近そう感じている。
弊社はいい会社だ、数年後には私も自分の店舗を持てるだろう。
しかし、今それ以上にやりたいことができた。
正確には、ずっとやりたかったことが形になった、というのか。
いつか、「暇が鬱をつくる」という言葉をどこかで聞いた。
本当にその通りだ。
人は暇なとき、あることないこと、余計なことまで考えてしまう。
しかしネガティブなことではなく、ポジティブな考えをすることができれば、暇な時間は一気に自分の人生を前へと進める時間になる。
実際、私は退屈な業務の時間にやりたいことを考え、頭の中で形にすることができた。
少し話が逸れたが、私が大学に行った理由は、
「地元を盛り上げるために必要なことを学ぶため」
だった。
それが気づけば、
「良い会社に良い待遇で就職する権利を得るため」
に気づかないうちにすり代わっていたような気がする。
そうではない。
私は地元を盛り上げるための勉強をしに、大学に「学びに」行ったのだ。
今、その答えが「暇な時間」に見えてきた。
あとは自分が1番ときめくことをするだけ。
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