何で夜に見るあの子は可愛いのかと思ったりする話
春の桜
夏の花火
秋の紅葉
冬のイルミネーション
夜を彩るライトアップされたイベントは、近年では毎日のように日本のどこかで、世界のどこかで開催されている。
そんなイベントが好きで、やはり季節感もあるし、情緒・情動もあるので足を運びたくなる。
夜に見る景色は不思議だ。
心は落ち着いているような気がするのに、不思議と高揚してたりもする。
特に夜の中でも明るい場所。
お祭りだったり、ライトアップだったり。
この心は落ち着いていて、でも何だかワクワクする感じは何だろうなと思った。
「視覚が制限された中で、光により浮かび上がる実像に焦点が絞られ、そこに意識が集中することにより、いつもよりセンシティブに実像を認識するから。」
普段、日中は明るいので様々なものが視覚に入る。これは当たり前だけど、その全てに少しの意識は向けている。よほど集中していて周りが見えていないのであれば違うのかもしれないが、少しの意識を向けていないと事故るし、死ぬ可能性もある。
意識の容量を数パーセント使っている。
大好きなあの子とデートをしていても、数パーセントは周囲に意識を向けている。
そう考えると、夜、暗いことにより視覚は光を放つもの、光が当たっているもののみ認識するので、意識の容量を無駄に使っていないことが分かる。
暗い中に写るもののみに意識を集中できるということか。
上記を考えた上で、暗いことによる意識の集中は何となくそうだと思う。
映画も集中するし、お化け屋敷も暗いから意識を集中することになる。
お化け屋敷などは、集中することにより恐怖が倍増する。
ただ、ただただ暗いだけであんなにセンシティブになれるかと言われると違う気もする。
日中に部屋を真っ暗にすると、それだけであの夜に見るライトアップの気持ちになるかと言われると少し違和感がある。
そう思うと、夜というシュチュエーションが大事なのかと思う。
日中から、徐々に周囲が暗くなり、僕らは夜になるということを認識する。
昔、夜は怖いものだったと思う。視覚が制限され、いつ誰に襲われるかわからない。生存危機さえ有り得る時代もあった。夜は怖いものだ。
僕らは火が産まれ、光が産まれて、夜の恐怖に少しばかり強くなった。
不思議と心が高揚するのは、生命の危機があった時代の名残なのかもしれない。
そして前述の意識の集中、聴覚も研ぎ澄まされるだろう。
僕らはこのような意識の集中や精神の研ぎ澄まされた中でイベントを楽しんでいる。
それはとても素敵だなと思う。
明るい世界でスマホに目を取られ、何かに集中しているけど、実は全然集中してなかったりする。ずっとチラチラ何かに気を取られている。
火や光が産まれてよかった。
夜が少し怖くない。
生命の危機よりも、
隣のあの子の顔に日中より集中してるし、
何より、集中して見たあの子はとても可愛い。
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