そんなんじゃゾーマは倒せねぇよっていう組織論。という名の愚痴。
「企画部に配属されたアイツ、使えないみたいだぜ」
そんな内容のヒソヒソ話を聞くことがある。
※ウチに企画部はありません。仮の設定です。
こういう時に何か会社とか組織って面倒だなと胸がチクチクする。
そんなことゆーなよ。アイツも頑張ってんだよ。
と、そんなアイツのことを考えて今晩は個人的なチーム論を個人的に思想して、この胸のチクチクをなぐさめたい。
みんな、チーム論って分かっているよね。
若かりし頃から教育されてきた我が世代(30代前後)はチーム論は基本なのである。※勝手な解釈です。
それは、RPG。
ロールプレイングゲーム。
ドラクエ。FF。
僕が考えるチームってのは、
勇者:オールラウンダー
格闘家:筋肉担当
魔法使い:遠くから攻撃担当
僧侶:回復担当
ってな感じで、役割を持って巨大な敵と戦うパーティー的なものだと思っている。そう、頭が中二である。
これってみんな当たり前だと思ってるだろうし、全員僧侶とかだとヒーラー同士の傷の舐め合い合戦だと分かると思う。
なのに、
なのに、
なんで会社ではそういうチーム論にならないことが多いんだろ。
僕的には、アイツが僧侶なのに前衛に立たされて戦っているように見える。
僧侶なのに杖じゃなくて、到底重くて使えなそうなハンマーとか持たされているように見える。
あの子は格闘家でMPがないのに、遠くから攻撃する役をやらされているように見える。
何かそれじゃゾーマは倒せねぇよな。と思う。
古い組織はオールラウンダーを好む傾向がある。ジョブ型ではなく、メンバーシップ型であることの影響かと思う。
不足している役割に、あぶれている人員を当て込むような人事が見て取れることが多い。これは若い子が標的にされがちなことだ。
その子は適正とは違うことをかもしれないが、組織には関係がない。不足しているから当てている。何でもできて当たり前。何でもできて一人前。
組織は勇者ばかりを重宝する。
勇者は、自ずと昇進していく。勇者が勇者たる所以の如く。
そして、勇者にも小間使い勇者、大将軍勇者など、勇者ランクができてくる。
なぜ、勇者ランクができるのか。
それは勇者のフリをした隠れ格闘家や、隠れ僧侶がいるからだ。
彼ら、彼女らは、会社で生きていくために自分の能力を抑え、組織に必要な能力があるように頑張って見せる。
しかし、天性ではないので勇者ランクでは低い。
僕はこのシステムが嫌いだ。
僧侶は賢者になれば良い。
魔法使いは魔法王になれば良い。
格闘家は破壊神になれば良い。
何で、組織の昇進はマネージメント部門ばかりなのだろう。
誰かを束ねることが、そんなに重要な要素なのだろうか。
そういったことを感じ、組織がサスティナブルじゃない状況って結構あって、歪みが産まれることも多々あって、最終的には崩壊してたりするよなって思っている。
みんな、固定概念がすぎる。当たり前の前提を忘れて、その会社の当たり前だったり、この社会の当たり前だったりがしっかりと身についている。
ちょっと待て、それはこの社会が良いように作った非常識だよ。
確かに、何をやらせてもうまくできない子もいるかもしれない。
でも、ダーマの神殿に行かせてやる暇もなく、転職しないまま戦わせるのは可哀想だなと思うことが多々ある。
話すのが苦手なあの子は、とても綺麗な字を書くし、文章が上手だ。
計算もろくにできないし、財務諸表も見れないアイツは、誰とでも友達になれる人たらしだ。
企画部に配属されたアイツは、
その後、社内の管理システムの構築チームに参画し、その骨格となるプログラムを一人で書き上げた。
使えねぇ奴はどこにいる?
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