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子の誕生と社会との乖離
こんにちは。
久しぶりの投稿になります。
我が子が誕生し1ヶ月半が経過。時間を見つけて投稿しようと思ってはいたものの想像以上に大変な育児に時間が取れませんでした。
今はなんとか1日の流れにも慣れてきて投稿できるに至っていますが、赤ちゃんに一貫性のある行動は求められないので、
昨日はこうだったのに、今日は全く違うということも多々あります。
そんな育児奮闘中の身で感じたことは社会との乖離です。
我が子はとても可愛いです。愛おしく、癒しの存在であることは疑いようがありません。
ただ一方で、ミルクを思うように飲まない、夜泣きによる寝不足、黄昏泣き、など大変に思うことも数えきれません。
肌感覚として「可愛さ:大変さ=1:1」。
今は育休中であり、社会からは一時的に退いている身ではありますが、それでも職場に育休申請の資料やなんやらを提出するために職場に行くこともあったり、両親や義父母、親戚が家に来てお話をする機会もあります。
そんな数少ない関わりの中で感じたことは、育児の大変さを共有することを許してくれない空気感の辛さでした。
会う人会う人に
「可愛くてしょうがないでしょう」
「いろんな表情で癒されるでしょう」
「新生児が一番可愛いよね」
といったことを言われます。
もちろんその通りだと思います。
ただ、同程度の大変さが裏にはあります。
その大変さを口にしてはいけない空気感をすごく感じました。
可愛くて当たり前、大変なのも当たり前という空気感。
弱音を吐くことが許されないようなそんな空気感。
可愛いけど大変だと思っているこちら側が、異常なのかと感じる瞬間が何回かありました。
可愛くないとか、大変だからわかってよと言いたわけではありませんが、
今後、自分の周りで赤ちゃんが生まれる知人友人がいた際には、自分が感じた疎外感を感じて欲しくないと思いました。
そのため、
「可愛いけど〇〇大変だよね」
「自分の時はこうしたよ」
といった声かけをしようと思った今日この頃でした。
うまくまとませませんが、なんとなくアウトプットしようと思い、育児の合間に文章にしてみました。
今日も我が子は可愛いですが、世話が焼けて大変です。
そんな毎日を楽しみたいと思います。
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