見出し画像

【隙あらば自分語り①】どうして、NPO法人FREEBOXを作ったのか?

どうも、NPO法人FREEBOXの代表理事をやっている濵村ことはまむーです。
今回は、隙あらば自分語りシリーズ第1弾として、どうしてNPO法人を設立したのか?という話をしていきたいと思います!

「隙あらば自分語りシリーズ」の目的は、つまるところ、今後、濵村に会う人達に濵村のことを効率良く知ってもらうことにあります(自己紹介の効率化)。「知りたくもねーよ」って方は遠慮なく、プラウザバックしてくださいな。

法人設立の理由を結論から言えば、「市役所以外の肩書きを持って、自分のやりたいことで社会課題の解決に関わりたかったから」です。

全ての始まりは、2019年4月の市役所の人事異動まで遡ります。もともと、伝統工芸品の支援をして、日本の国際競争力の向上に寄与したいという思いで京都市役所に入りました。にもかかわらず、実際に、配属されたのは中京区役所の生活保護担当でした(京都市役所の多くの新人は生活保護担当になるので珍しい話ではないので予想できた展開ではあります)。

この職場で多くの出会いと学びに巡り会えたのは嬉しい事実でした。一方で、自分が心からやりたいと思っていることをやっているという実感はなく、理想と現実のギャップから生まれるフラストレーションは確実に溜まっていきました。

とはいえ、愚痴ばかりを言っても事態が改善することはないと思い、最初は市役所の外でNPO法人スタッフとして活動すればいいと思いました。そして、NPO法人スタッフに無償でなれないか?とNPO法人に電話やメールをしました。後に入るNPO法人二枚目の名刺にも、参加できるプロジェクトはないか?連絡を取りました。

大学時代もNPO法人ドットジェイピーの学生スタッフをやっていたので、
僕としては自然な流れだったと思います。

ところが、びっくりするほどうまくいかず、電話しても一向に話が進まなかったり、そもそもメールの返信すらありませんでした。仕事にも少し慣れたかなと錯覚していた社会人1年目の夏でした。
※実際は全然、慣れておらずめっちゃ苦労することになります。

この営業活動から、どうやら既存のNPO法人のスタッフになることは難しい、と当時23歳の濵村は考えました。そこで、「ないものは作るしかない!自分でNPO法人をつくって、そこで何かやりたいことをやろう!」と思いました。

ここでお気づきの方はいると思いますが、本来NPO法人を作るとき
やりたい事業が先にあって法人化するはずですが、この濵村はやりたいことは後で考えて、とにかく法人化しようと考えたのです。
目的を達成する手段として法人化するのが一般ですが、
このNPO法人FERRBOXの始まりは、法人化すること自体が目的になっていたです。

「目的と手段が逆転している!!」という指摘は甘んじて受け入れます。

FREEBOXを和訳すれば「自由な箱」です。当時、本業の市役所員としては「やりたいこと」ができない自分が、自由に何かをするための場所なって、そこに同じ意志を持った人が集まれば尚よし、という思いで名付けました。

社会人1年目で法人設立を志して、二枚目の名刺へのプロジェクト参加や当時付き合っていた彼女に鴨川で振られて大泣きしている最中に少年に靴を磨かれるといった、紆余曲折を経て、社会人3年目の2021年08月06日にNPO法人FREEBOXは設立されました。「NPO法人FREEBOX代表理事」という市役所以外の肩書きを獲得し、自分のやりたいことで社会課題の解決に関わるための土台が完成したわけです。

その後、自分のやりたいことを探しながら、とりあえずの活動実績を作るためにノーコードでWEBサイトを作ったり、イラストレーターを使って非営利団体のチラシを作ったりしました。

活動実績についてはFREEBOXのWEBサイトを参照https://freebox202108.wixsite.com/website-7

そして、京都市は移住者が多い街ということに着想を得て、「移住者CONNECT」という移住者が住み良いまちを考えるワークショップを開催したりしました。

移住者CONNECTのイベントの様子①
移住者CONNECTのイベントの様子②

明確にやるべきことを決まらないまま始まった、NPO法人FERRBOXですが、活動する中で少しずつ目指すべき方向性の解像度が上がってきました。

まだまだ、解像度を上げるべきことが沢山ありますが、走りながら考えるのが僕の主義です。今後も明確に決まらないまま、いい意味での見切り発車で社会にポジティブな変化を与えていきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?