私がやりかけた「犯罪」は”悪”か?それとも”正義”か?
世界で一番食べ物を捨てる国「日本」
ご存知の方が大半であると思うが、現代の日本では”食品ロス”という大きな問題がある。
そして、余談ではあるが…
私は昔から食べ物を残すことが嫌いである。当然残す人を目撃すると、少々言葉は汚いが、ぶん殴りたくなる。けれども、一概に「残す人」すべてを否定している訳ではない。病気だったり、体調が悪かったりと、どうしても食べきれない時もある。しかし、そうでない場合。例えるならば、お腹一杯で残すとか、不味いから残すとか、そういった理由などは腹が立つ。「お腹一杯だと?ならお前は吐く寸前まで食べる努力を最低限したのか?」といつも思ってしまう…
ここまで、こだわりを持つようになったのが小学校の時の貧困についての授業である。当時の無知な何も知らない私は、ある写真を見て衝撃を受けた。その衝撃を受けた時の写真が下記である…有名であるため知っている人がほとんどであろう…
当時の思考能力の低い私にも、悲惨な現実を容易に理解することができた。それだけこの写真一枚のメッセージ性が強く、当たり前に食べれて、そしてお腹が一杯にになれば当たり前のように残す自分に、当時の私は騒然とした。故にその日から食べ物への感謝の気持ちを心に刻んだ。
…と長々と余談を語ってしまったが…それでは本題に入っていく。
これは去年の春から冬にかけて私が、学生バイトとしてドラッグストアで半年間の間、勤務していた時の出来事である。
そもそも、ちゃんとしたバイト経験はなく、短期で1か月ほど経験したことはあっても長期でやるのは、このドラッグストアが初めてであった。入りたての頃は当然の如く礼儀から始まり、あいさつの仕方、基本的な仕事から教わった。ある程度環境に慣れだすとレジを任されるようになった。ここでは基本的にはレジがメインのバイトであった。
そんなある日、事件は起きた…
バイトも慣れてきた頃に、違う仕事も教わるようになった。これは、夕方の買い物ラッシュが終わると基本的にレジは暇になるため、閉店までの間に様々なことをやる。そして、色々少しずつ教わる中である日、バイトの先輩に食品廃棄の仕事を教わった。最近のドラッグストアは万能化しつつ、スーパーのように食品の品揃えが豊富である。そうした中で私は食品廃棄のリアルを知ってしまった…
食べ物を扱う店でのバイト経験がそもそもなくて、「廃棄」という言葉は知っていても実際、その現実は知らなかった。それ故に現実を知る前は、廃棄されるものはバイトだったり、社員の方で分けて持って帰ってもいいものだと、昔から思い込んでいたのである。
しかし現実にはそうではなく、無知な私が、バイトの先輩に「廃棄のやつって持って帰ってもいいんですか?」と聞いて「駄目だよ」と言われた。そして、その理由を聞いた時に、私は素直に意味がわからなかった。
これも後々知ったのだが、ほとんどの店というか、会社。つまり、有名な所でいうと、ローソン、ファミマが廃棄の持ち帰りを禁止しているとのことだった。
そして、その禁止の理由として先輩から「持ち帰るのは会社の利益にならないから、廃棄は買うのが決まり。それによって少しでも会社の利益になるから。」と言われた。
「結局は利益。食べ物の価値よりお金が優先。だから、食品ロスがなくならないのだ。」その時、私は心の中でそう思っていた。
そんな中で食品廃棄の仕事も、日に日にやるようになり、いつしか私の心の中である感情が芽生えていた…
どうせ捨てるなら持って帰ろう…
最初はしぶしぶ、購入していたが段々馬鹿らしくなっていた。日によって廃棄の量は違うが、だいたいいつも、ごみ袋2袋分は捨てていた。そもそも全部買えるわけがない。毎回大量の食べ物をごみ箱に捨てている自分に対しての嫌悪感からある選択が頭を過った。
「犯罪」を犯すか?犯さないか?
結局、凄まじい罪悪感から「もしも」のことを考えると、恐怖で行動できなかった。
また調べたところ、廃棄のものを無断で持ち帰るのは、横領罪に当たるらしい。
下記がその詳しい説明である。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/amp.bengo4.com/topics/2886/%3Fusqp%3Dmq331AQOKAGYAd_M38iRjaq9hAE%253D
ここでみなさんに問いたいのが、私がやろうとしたことは''悪''かそれとも''正義''か?「法律上は犯罪であり、”悪”である。」しかし、人として、昔から食べ物への感謝の気持ちをもち、大事にするという自然の摂理からしたら、私がやろうとしたことは「人として、”正義”」ではないのか?
どちらも、私は正しいと思う。しかし、現代の私たちは食への感謝が希薄化しつつあると思う。
この問題を解決するべくは、忘れかけているであろう食への感謝を国民全体が再認識することが重要であると思う。
私はこれからも「食への敬意」を忘れず生きていく。
それではまた…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?