『夜と霧』が、僕たちに問いかけるもの
遠くて近い異国で起きていることに想いを馳せる。
圧倒的な力の前に、僕たちはちっぽけな存在なのかもしれない。
愛する人たちが離ればなれになり、美しい国が蹂躙される様子を無力感とともに眺めているしかないのだろうか。
人間の本質
V.E.フランクルは第二次大戦中の強制収容所での極限体験をもとに『夜と霧』でこう書いた。
いま、この意味を噛み締める。
単純化すれば分かりやすいだろう。でもそんな簡単に世の中はできていない。コインの裏表のように、立場や状況が変わればひっくり返ってしまう。
ひとりの人間の中にも、複雑なコントラストがある。あなたの敵だと思っている人は、誰かにとってかけがえのない人でもあるかもしれない。
奪い去ることができないもの
国境・カネ・物資…権力は様々なものを奪うことができてしまうことを僕らは目の当たりにした。
それでも奪うことができないものはあるのだろうか。
フランクルは収容所のなかで、希望の世界を見出す人たちを目にした。
・労働後の移動列車内で紙に祈りを捧げる人
・食事休憩中にオペラを歌い出す人
・いかなる時もユーモアをもって励まし合う人
そしてひとつの考えを示している。
生の意味
フランクルはまた、生きる意味についても触れている。
僕たちはよく人生の意味を問う。どんな意味があるのだろう?生きていて何が良いのだろう?と。
でも同時に。人生もまた僕たちに問いかけていることを忘れてはならない。
いま、あなたは未来に何を提供できる?
じぶんのために、かけがえのない誰かのために、具体的に何をなすだろう?
大きな力を前に、ひとりひとりができることは限られているかもしれない。
それでも祈りながら、僕たちは今日できることを積み重ねるしかないのだろう。
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