変われるものと変わらぬもの。絵を描く私の根源の話。
コロナの問題が完全には落ち着かない中、緊急事態宣言が解除され、ひたすら自粛するモードから、また少し世の中が変わり始めた。
様々な業種で営業形態が変わり、コロナ前と全く同じではなくなった世界で、誰もが変革を求められている。
時の流れに合わせて、もしくは逆らって、人は常に変化をしていく。
今回の出来事で、多くの人が同時に変化せざるを得ない事態になったわけだが、大きく変わった環境下で、それに対応した生き方を模索するのは、生きていく中で何度でも起こりうる事だ。
自主的にも能動的にも、環境が変わればそれに応じて自分自身も変わっていくものだし、だから敢えて環境を変えることもあると思う。
他人を変えることは難しいが、自分を変えるのは自分の意思でどうにかなる事だから、私自身もずいぶん変化をしてきたと思っている。
いや、そう思っていた。
自分で自分を見る分にはずっと同じな訳がないと、誰もが思うのではないがろうか?
変化するのは表層で根本は案外変わらぬもの
15年ぶりにある友人とオンラインで話をした。
それまでほぼ音信不通のような状態で、嫌われていないにしても、距離感を近づける事はこの先叶わないのだろうな、と思っていた。
そんな友人から突然、電話がかかってきたのだ。
『その笑い方、昔と全然変わってないね』
久しぶりに話した友人は、それこそ昔と変わらぬ優しい声でこう言った。
時空を超えてのやり取りは、懐かしさとここまでの道のりの歴史と、それぞれの生活や考え方の変化で、話は尽きなかった。
そしてわかったのは、自分ではこの15年ですごく変化をしてきたと思っていたが、根本的な人間性は変わっていないという事だ。
生きる環境で自分自身を変えていくのは、時に流れに身を任せ、時に流れに抗い、生きやすくするために、適応していくために必要なスキルだ。
そういった変化を続けてきて、自分では大きく人間が変わったように思っていたが、それは少し違っていたようだ。
考えてみれば、私は絵を描く事には自信満々で、そのためのスキルを手に入れる苦労は、苦労とも思わず楽しんできた。
だが、それ以外の事はからっきし苦手で、特に人間関係を築くことは今でも得意とは言えない。
『絵を描く以外の事に不器用な人間で、自分は曲げられないけど、他人の事も大切にしたくて踠いている』
私は昔からこういう人間に見えていたらしい。
そして15年経った今も、この本質的な部分は変わっていないように感じたと友人は言う。
愛情をもってこんな表現をしてくれた友人には、感謝の気持ちが絶えない。
そして思うのは、確固たる自分という意思や人間性は、そうそう簡単に変わるものではないという事だ。
裏を返せば、その部分は変える必要がない。
その人個人個人の愛すべき本性は大切にしながら、生きる環境に合わせて、その場その場で能動的に色んな事柄を受け入れていく。
『ありのまま』というのは、そういう事なのだと改めて気づかされた。
双極性障害になって以降、自分に自信がない時期が長かったが、そういう自分もすべて受け入れていいのだと、体感的に思えた出来事だった。
不器用故の葛藤と自分なりの対策
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