すべては環境で変わる。絵を描く私を取り巻く人々の話。
「女版ピカソ」を目指そう。
誰が何と言おうと世の中にそう言わしめる存在になる。
そんな目標を立てたのは2年前の事。
それまで自分の周りの人間関係が、自分にどのような影響を与えるかなんて、考えることなく生きてきた。
どんな職業のどんな性格の人でも、面白ければ付き合うし、好きだと思えば一緒にいようとも思うし、とりたてて自分に害がなければそれでいいし、続く人は続くし、続かない人は続かない。
自分自身をそんなに良いものと思ってなかったことも手伝い、どんな環境に身を置くかなどには無頓着だった。
人間関係を築くことそのものが苦手だから、大体の場合は相手の出方に身を委ねており、好かれて毎日のように顔を合わす事もあれば、急に嫌われて連絡先をブロックされる事もあった。
理由はわからないが、離れる人間は離れていき、残る人間は残るんだな、と妙に納得したのはここ最近の事だ。
同じ付き合い方をしていても、10年、20年と交流の続く人は必ずいる。
同じ話し方をしても、誤解が誤解を生んで疎遠になる人もいる。
そんな疎遠になる人の事を考える暇あったら、今もずっと交流の続く人たちを大事にして、更に素敵な人たちに出会える余力を残しておかないと、短い人生が勿体ないと思えるようになったのだ。
心を開く人は限られる。私のちょうどよい距離感。
人間関係に不器用なのは、今に始まった事ではない。
小さな頃から人見知りで、大人になって人当たりは柔らかくなったと思うが、心を開くまでに時間がかかるのは、今も昔も変わらない。
ただし、一度心を開いた人には、デレッデレだ。
たぶん一生嫌いになる事もないし、離れていても、なかなか連絡が取れなくても、仲良くしたいとずっと思っている。
心の扉を開く人間はそう多くない。
2度も離婚をしておいて何を言っている?と思われるかもしれないが、別れた後も彼らを嫌いになったわけではないのだ。
そもそも共に生活をする上で支障が出たから別れただけであって、それぞれに幸せならそれでよいので、関わる機会があれば関わる事もあるだろうし、それがいけない事だとも思わない。
全ての別れが、必ずしも永遠の別れとは限らない。
死んだら永遠に会えないかもしれないが、そうでない限りはご縁があればまた関わる事もあるだろう。
ちょうどよい距離感。
どんなに好きでも近くにい過ぎたら傷つけてしまうハリネズミのように、私のパーソナルスペースは、ほかの人と比べても人との距離が遠いようだ。
昔から感じていた他人との距離感に対する違和感は、どうもこの辺りのようで、近すぎると自分を見失い、離れすぎると孤独に苛まれる。
程よいところで他人と関わらないと、私は自分を保てない。
双極性障害になったのも、この距離感を見誤った故の代償だったのだろう。
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