向き合うことで気づく心理。絵を描く私の未知の思考の話。
欲しい未来のために生きると決めるまでの7年間、私は完全に他人軸の世界の中で生きてきた。
自分の事を考える時間は殆どなく、人が心地よく暮らせる環境を作る事や、愛猫が健康に不自由なく生活できるように考えることで日々は過ぎていき、それは充実もしていたし、不満があるわけでもなかった。
ずっと自我の強さで孤独を感じていた私は、他人軸の中で生きることで、自分の事を放棄しても許される場所を得ることができて、変な不安を抱えること無く生きていける生ぬるさに浸っていたのだ。
自分の事を考えなくていいのが心地よかった。
そもそも自己肯定感が低かったのも手伝い、「こんな自分の事は置いといて、人の為に生きよう」と思う事で、自分を他人に認めてもらう安心感を優先して気持ちを安定させていた。
だがそんなものは、人の何気ない言葉や行動で簡単に崩れ、気持ちが変われば、状況だってどんどん変わっていく。
変わることに恐怖を覚え、今までと違う対応をされれば落ち込み、自分の何が悪かったのか?と自問自答をする日々。
今振り返ると恐ろしい思考だが、気づけば他人に過度の期待をすることが当たり前になっていて、そこから外れた行動をされる事に敏感に反応をして、相手を責めてしまう。
それまでの私は、完全に他人に依存した生き方をしていたのだ。
「夢見る者」F6号 アクリル画
欲しいものと欲しい未来に葛藤していた頃の作品。
思考の呪縛からの解放。本当の自分とは?
他人に依存した生き方は、自分にも相手にも良いものではない。
お互いの存在を大切と思う事は、依存関係になくても継続できる思考で、縛り付けたり、行動に制限をかけようとしたりするから息苦しくなる。
実際、私自身もそうだった。
元来の私は、絵を描いて生きていく事が何よりも大事な事だったのに、家族のためにそんな自分を封印した。
本当の自分を蔑ろにして生きるなんて、そんな歪みは長い時間放置できるものではない。
「絵を描きたい。」
そんな願望が抑え込めなくなるのは必然で、それでも人との折り合いを考えながら描ける機会を少しずつ増やしてみたりしていた。
だがその願望は、家族には受け入れられないと知り、それでは他人軸で得ていた心の安定と、自我の解放のどちらを選ぶ?という選択を迫られる。
自分の意思で自分のやりたい事をして生きていく。
私はやっと、自分軸に戻る決心をしたのだ。
とはいえ、7年間にも及ぶ思考の癖は、なかなか簡単に払拭できるものでもなく、周りでサポートをしてくれる人達には、今でも時々ご迷惑をかけていると思う。
自分で自分を幸せにしたいという気持ちを忘れないように、心理学的恒常性に負けない自分を構築する日々である。
未来を具体的に創造する。終着点の設定。
もうずっと、「絵を描いて生きていきたい」というザックリした目標の下、猪突猛進に進んできた私だが、真面目にアートでビジネスをすることに思考を巡らせることができないでいたのは事実である。
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