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量産型の国へようこそ

4月1日である。
新社会人らしき人達をちらほらと見かける。
駅で初々しい背広姿の男の子が、ご両親と記念写真を撮っていた。
子供を社会人まで育てるには、それはそれは語り尽くせない苦労や葛藤があったことだろう。一つの節目に対して、通りすがりの赤の他人の僕ではあるが、ご両親にお疲れ様でしたと伝えたい。

さて、一方で初々しい背広姿の息子くんは、さぞ緊張しているであろう。
職場には良い上司も悪い上司もいることだろう。親切な上司もいれば、意地悪な上司もいるだろう。退屈な人ばかりかと思いきや、破滅型の人も中にはいるだろう。

それにしても、男も女も、みんな着慣れない地味なスーツを身に纏う姿は、社会という新たな義務教育課程に進級するかのように見える。
社会人として、自立するといった逞しい佇まいがあるのではなく、月並みな表現だが、決められたレールに乗り、新たな教育課程に進級したかのようである。

多様性、寛容性が声高に叫ばれているが、その実は一体どのなのだろう。
僕が働いている職場は、いわゆるお堅い職場なので、やはりお堅い人も多い。
ちょっと平均値と違う感じのお客さんは、ひそひそ話の餌食になる。
タトゥーがバリバリに入ったお父さんとか、会社勤めの気配がなく、別の方法で生計を立てているお父さんとか、娘と同じくらいの年齢に見える美容意識の高い派手めなお母さんなどは、格好の標的になってしまう。

良い歳して〇〇、良い歳して〇〇、良い歳して〇〇と。

僕も経歴的には、平均値からは理解し難い職歴を辿っているので、そんなひそひそ話が聞こえると、変わり者で悪かったな!と心の中で思うのである。
もちろん年齢に応じて成熟していくべきだし、奇抜な佇まいが何を置いても良いと言いたいわけではない。

ただ、もっといろんな生き方を日本社会が認めてくれれば良いのに、とは思う。

行きたい学校が中々見つからないのと同じで、働きたい職場なんてものも恐らく中々見つからないだろう。
それでも、とりあえず社会のどこかに納まる為に、僕達はとりあえずレールを進むのだ。
とりあえず進んだ場所に慣れた頃、次のレールが現れる結婚、出産、マイホーム、そんな価値観なんて昭和の遺物だろうと思いきや、社会はまだまだそう動いている。
その頃には、角張っていた自分という輪郭はすっかり削られ、リクルートスーツの初々しい量産型が、使い捨て間近の量産型になる。

レールから脱落した僕は、冷やしながら量産型を笑うのだ。

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