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勝手に他人に期待しない

最近、マインドフルネスと脳科学の関係に興味を持っている。

マインドフルネスとは、瞑想から特定の宗教色を薄めて、ストレスの軽減や集中力の強化などを目的に、欧米社会で再解釈されたものをマインドフルネスと呼ぶのだそうだ。

ぼくはどちらの分野の専門家でもなく、興味を持っていくつかの本を読んでみたり、YouTubeにある誘導瞑想にしたがって瞑想してみたりしているだけなので、正誤に自信はないが、マインドフルネスによって確かに自分に変化を感じるので、それについて書いてみたいと思う。

ぼくは子供の頃から、怒りやすく、無気力で、不安に駆られやすかった。

こう文字にしてみると、改めてどうしようもない奴で悲しい。そして、それは今も恐らく本質的には変わっていない。

何故なのだろう?

「脳を鍛えるには運動しかない」という本の中で、鬱病を始めとする精神疾患を運動、特に有酸素運動によって改善するという事例が取り上げられている。

ぼく達の脳も有機的な臓器であることに変わりはなく、血液の量、血液によって運ばれる酸素量、その他の脳内物質によって、思考、感情、情緒に影響が与えられる。

例えば、狭くて暗い檻の中に一日中身動き取れずにじっとさせられているのと、森の中で走り回るのでは、気分が健やかになるのは恐らく後者だろう。光や脳に運ばれる血液や酸素が精神を安定させる働きを助けるのだろう。

そして、脳にも他の臓器同様に生まれ付き欠陥があるとするなら、後天的な方法で改善できるものもあるかもしれない。

ぼくにとっての先天的な欠陥は、先に挙げた、怒りやすい、無気力、不安に駆られやすい、だろう。もちろん他にもあるが。

さて、ここでマインドフルネスに話を戻す。

マインドフルネスでは、とにかく自分を観察することから始める。
体の状態、思考の状態、感情の状態、それらを価値判断することなく、とにかく観察し、呼吸に意識を集中する。

怠惰なぼくはそれを出勤前、通勤中の電車の中で行っている。

ぼくの仕事は接客業だ。世の中の過酷な仕事に比べれば、そこまで大変な仕事とは思わないが、ストレスがないかと問われれば、そんなことはない。

ある時、お客さんが自分の思った通りの行動をとらないことに、自分は苛立っているのだ、と気付いた。
自分がうやうやしく「ありがとうございます」と言ったのに、何も言わない人。

逆にぼくが思うサービス以上のサービスを求めてくる人。ここは三つ星ホテルじゃございません。

どちらも、自分の中で勝手に作り出した他人像と、本当の人物像が一致しないことにストレスを感じてしまっている。

こうした他人に対するある種の期待というのは、自分が勝手にこしらえたもので、現実の人物像ではない。
自分に意思と自由があるならば、他人にも意思と自由があるのだ。

だから、誰かに対して、自分はこれだけのことをしてあげたのだから、その誰かは自分にこうしてくれるだろうと考え、その誰かが自分の期待に答えてくれなかったからと、怒ったり、失望するのは、そもそもお門違いなのだ。

と、まあ頭では分かっても、その怒りやストレスをどう手放すかが実際は難しいのですが。

とりあえず、勝手な期待という色眼鏡で他者を捉えず、ありのままの他者を見る練習をすることかな。

以上、非常に個人的な、誠に勝手な推察でした。

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