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寄り道だらけの散歩のように

求めている情報に簡単にアクセスできるようになった、と言われているけど、案外そうでもないな、とぼくは思う。

ぼくが単に検索下手なだけかもしれないけど。

例えば、なんか面白い映画ないかなあ、とアマゾンプライムやネットフリックスを徘徊する。レビューを読み、その時の自分にフィットしそうな映画を探しても、結局見つからず終いで、なんだかなぁ、と思うことがよくある。

一昔前は、お気に入りの音楽を探しに、渋谷のタワレコ5階に長時間居座ったものだ。

ニッチな(と言っては失礼か)ジャズやワールドミュージックをたっぷり取り揃えたそのフロアで、片っ端から視聴してみたり、妙に惹かれるジャケットのCDを一か八かで選んで良く買っていた。(この行為をジャケ買いといいます。)

時間もお金も、浪費と言えば浪費だけど、タワレコ渋谷の5階は、まるでそこに世界が凝縮されているようで、ベタな言い方で恥ずかしいけど、音楽を通して世界を旅している気分になれた。
だから、CDを買うのが目的ではあるのだけど、そこをうろつく過程もまた目的だった。

時は流れて、結局ぼくも知りたい情報があるとGoogleや YouTubeでまずは調べる。
おかげで、情報の入り口には辿り着きやすくなった。

でも、「自分はどう生きたら良い?」とか「なんの仕事が向いてる?」とか「誰と結婚すれば良い?」とか、そんな質問にはGoogleもYouTubeも答えてくれない。当たり前だけど。答えられても嫌だけど。

自分の探している情報にたどり着くには、どうすれば良いのか?

結局、探しているのは、情報なんて言葉に収まるものじゃなくて、もっと大きな価値観や感覚や経験、そして人なんじゃないかと思う。

THE LATTE TOKYO店主さんのnoteに、こんな記事がありました。

本当に好きな仕事はどうすれば見つかるか?

という若者の質問に、アップルのティム・クックさんが、スティーブ・ジョブズさんの言葉を引用しています。

『それは、見つけた時になってようやく分かることだ。まだ見つけていないなら、探し続けなければならない』

そうだよなぁ

簡単にゴールを設定して、なるべく効率よく、そこにたどり着く、とかじゃなくて、自分がどこに行きたいのか、ワガママにああでもない、こうでもないと探し回りながら、その途中で出会うものも楽しみながら、歩いていく以外ないんだよな。

コウリツ、コウリツって得意げに言う人がたまにいるけど、効率って、やりたくないこと、早く処理してしまいたいものに対して向けられる言葉であって、そもそも目的じゃないのに、って思う。

まだ見つけていないなら、探し続けなければならない

ゆっくりでも許してね、ジョブズさん。
自分のテンポで探し続けてみるよ。

追伸
ジョブズさん、あなたの開発したiTunes、めっちゃ使いづらいよ、CDと CDラジカセの世界のほうが、ぼくは好きだったよ。

読んで頂き、ありがとうございました。
また、どこかで。

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