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一人暮らしと不味すぎた唐揚げ

今から20年程前、僕は埼玉県所沢市で一人暮らしを始めた。
大学に合格し、上京して一人暮らしを始めた。
最もそこは埼玉なので、正しくは上京ではなく上玉なのかもしれないが。

昨今の大学生を見ると、大学生諸君には失礼な物言いだが、頭悪いなぁと思うことが多い。大学生なんて、いつの時代もそんなものかもしれないが、振り返ってみれば、僕が18歳の頃なんて、もっと馬鹿だったし、もっといろんなことに怯えていた。

今のようにスマホもSNSもないから、なんでもかんでも手探りだった。もちろん良くも悪くも。

父と母と兄が引っ越しを手伝ってくれた。父が運転する車に、兄のお古の冷蔵庫など一人暮らし用の家財道具を詰め込んで、一路所沢に向けて車は走った。

さっさとそれらの道具を下ろし終わると、父と母と兄はそそくさと自宅へ帰ってしまった。
実際のところは違ったかもしれないが、突然始まった一人暮らしの寂しさが、僕に余計にそう思わせたのかもしれない。

誰も僕のことを知っている人のいない土地にひとりぼっち。
馴染みのない街の風景すらも僕を拒絶しているかのようだった。

父と母は、とにかくお腹が空いたら、炊飯器でご飯を炊いて、スーパーでおかずを買えと、今思えばかなり乱暴な生活の知恵を18歳の僕に言い残した。

夜がやってきた。自宅にいる時は疎ましいと思う家族だが、いざ誰もいなくなると、ここまで寂しいものかと僕は寂しさを噛み締めていた。

そしてお腹も空いてきた。もちろん夕飯を用意してくれる母はいないし、馴染みの定食屋もなければ、ウーバーイーツもデマエカンもない。

僕は父と母の言いつけを守り、炊飯器で米を炊いた。そしてスーパーでおかずを買え、という次なる指令を実行する為に家を出た。

幸い家の近くに大きなスーパーがあった。
スーパーに入ると、店員さん達が一斉に僕によそ者がやって来たぞと視線を向けた。

スーパーの店員さん達は愛想良く僕を迎えいれてくれたはずだが、心細さのあまり、僕にはそう感じられたのだ。

突き刺さる視線を掻い潜りながら、なんとかお惣菜コーナーにたどり着いた僕は、萎びた唐揚げのパックを取り上げた。小さく、水が出て萎びた4個入りの唐揚げのパックだったと思う。

僕は唐揚げを捕獲すると、足早に家に帰った。その様は「ウォーキング・デッド」の登場人物のようだっただろう。

炊飯器で炊いたご飯とスーパーで買ったおかず

僕はそれまで育ててくれた父と母の言いつけを守った。
早春の所沢の空の下、見慣れぬ壁を見ながら、僕は一人夕食を食べた。

不味い
予想通り、不味い

一人で食事する寂しさ、初めて炊いた米、萎びた唐揚げ。
これから始まる一人暮らしを不安にさせるには充分だった。

そう言えば、東京で一人暮らし(正しくは埼玉だが)するのは家族では僕が初めてだった。
何事も先立はあらまほしきことかな、である。

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