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#3 カンボジア、沈没の日々、流れ流れて

『おい、ジャパニーズ!起きろ』
乱暴な声と焦ったような叫び声で僕は目を覚まし、ワゴンの外に出た。
「もう着いたのかな」なんて思いながら辺りを見渡してみると、
街道の真ん中にポツンと1軒だけある掘っ立て小屋の前に止まっていた。

頭の中が ”?” マークでいっぱいの僕に中国系アメリカ人の彼が笑顔でこう言った。

Broken

「・・・は?」

カンボジア沈没の日々

バックパッカーをしていると、よく耳にする言葉があります。
”沈没”という言葉。
意味は”一つの街、国に長期で滞在してしまうこと”です。
ご多分に漏れず、僕もカンボジアでは文字通り沈没していました。

予定なんて何もない。
朝起きたらホステルの店員と話をしながら面白そうなことを考えていく。
類は友を呼ぶ。
そんな奴がいるところに集まるのはそんな奴らばっかりなのです。
そんな奴らと
『今日はどうすんのー?』
「うーん、どうすっかなー」
なんて話しながら、貴重な青春の時間を無駄に浪費するわけです。

当時はパソコンを持って旅する人は極少数だったので、
ほとんどの情報源はホステルにあるノートや夜のバーでした。
旨い飯屋、安いホテル、アングラなことまで口承されていきます。

個人的に、二大カンボジアでやることといえば、
プノンペンのブラックツーリズムとシェムリアップのアンコールワットだと思っています。

①プノンペン ブラックツーリズム

ポルポト政権下で起きた悲しい出来事を、プノンペン市内では数多く垣間見ることができます。
ある程度、整備されているとはいえ当時の血糊や環境に触れると、自然と体が硬直しました。
(饒舌に尽くしがたいので、写真だけ)

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②シェムリアップ アンコールワット

アンコールワットは誰もが知ってる遺跡だと思います。
おすすめは夕方の東側。人も少なく落ち着いてみれます。
(他の旅行者ブログのほうが有意義なので写真だけ)

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そして、ある程度の観光ルートが終わると、やることがなくなり沈没していくわけです。

タイミングは突然に

ある朝、一泊$3のドミトリーを出たところで、若い白人男性に声をかけられました。

『Hey!君、乗らない?』
「あ?」

行先も告げられず、隣にあるワゴンのボディをバンバンと叩きながら勧誘してきました。

「どこ行きなの?」
『ポイペト。人数足りなくてさ、出発しないんだよ』

ポイペトかぁ。確かタイとの国境だっけ。
頭の中で、ポイペト情報を引き出しながらワゴンに目をやると、
男女10人くらいがこっちを見ていました。
まぁ、何かの縁かもしれないしな、この流れに乗るか。

「OK。乗るよ」
『いいね!荷物は後ろ、金は助手席!さっそく乗って!』

突然訪れたカンボジア最終日。
整理できない頭をそのままに、同乗者にHey~と目配せながら、ワゴンはシェムリアップを西に出発しました。

タイとの国境の街へ

カンボジアを東西に横断する国道6号。
別名メコン圏南部経済回廊は、東は首都プノンペンから西はタイ国境近くの国道5号線までを結んでいます。
当時は、大改修工事中でシェムリアップ以西の大半は砂利道でした。

前を行く車が作る砂ぼこりを車内に取り入れつつ、ワゴン車では雑談が始まっていました。

『なぁ、みんなはこの後どうするんだ?』
僕を勧誘してきたリーダー気質のアメリカ人が話題を振る。

『私たちはバンコクまで行って、列車に乗る予定よ』
ドイツから来たというカップルの彼女が答えた。
彼氏は彼女の言うことに相槌を打つくらい。

『お、それもいいな。お前は?そもそも何人だ?』
最後列に座り、サングラスをかけている青年に声をかける。

『ノープラン。俺は韓国人』
ボーダーシャツの彼はケータイをいじりながらそっけなく答える。

『ふーん。お前は?お前も韓国人?』
聞いておきながら興味がないのか、すぐに僕に振ってきた。

「同じくノープラン。日本人だよ」

それを聞いて、アメリカ人の相棒らしきアジア系の男が声を上げる。
『日本人かよ!中国・韓国・日本が揃ったな!』
長髪を後ろに縛って黒ぶちメガネ。中国系アメリカ人の彼は、道中リーダー気質のアメリカ人と意気投合し、それから2人で行動しているらしい。

『お前らはー?』
リーダー気質のアメリカ人は、体を大きく後ろにそらせながら2人組の女性に尋ねる。

『バンコクでマッサージにエステ。そんなことよりあと何時間で着くの?』
フランスから来た女性2人組は、砂ぼこりにだいぶ参っている様子だった。

『あと3時間くらいで国境ね。もう少しで舗装路だと思うわ』
アジア系の年配の女性が答える。
シンガポールから来た彼女は、バンコクからシェムリアップに陸路できたようで、この先の道程を熟知しているようだった。

1時間くらい経つと、大体の人間模様が把握できてきました。
アメリカ人男性2人、ドイツ人カップル2人、フランス人女性2人、シンガポール人女性1人、韓国人男性1人、そして日本人の僕。
9人の奇妙なパーティは、過干渉しない暗黙のルールの中、ポイペトを目指していました。

話題はシンガポール人女性によるポイペトの注意点に変わっていました。
当時のポイペトは、治安最悪の街で有名でした。
国境の街ポイペトにはカジノホテルが多く建設され、カジノを禁止しているタイをはじめ周辺国のギャンブラーたちが集まる街。
金が集まるところ人が集まる。
売春・ドラッグなんでもありの魔巣窟と呼ばれ、カジノホテルに泊まれる金持ち以外は通過する方が良いと言われました。
(※今はびっくりするほど治安が良くなりました)

問題はイミグレーションの閉まる時間。
16時30分ごろにはイミグレが閉まるらしく、最低でも16時ごろには到着しなければ、混雑次第では通過できない可能性がありました。
ただ我々は予定通りいけば、15時ごろには到着できる算段だったため、一様に安心感に包まれていました。

車窓からは東南アジアらしい田園風景と赤土のコントラストが美しく、
「この風景も最終日かー」なんて感傷に浸りながら眠りについてしまいました。

いつものトラブル

『おい、ジャパニーズ!起きろ』

街道の掘っ立て小屋の前に止まった僕たちのワゴンは、
見事に白煙を上げていました。

「壊れたって、なにがどうなったの?」

『オーバーヒートだとよ』
中国系アメリカ人が答える。

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カンボジア人ドライバーが、下に上にのぞき込みながら修理を試みていました。
それを僕たちは固唾をのんで見つめる。
30分後、ドライバーが出した答えは

Can not

僕たちは一様に”どうする~...?”と答えを求めるようにお互いを見渡しました(笑)

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ドライバー曰く、シェムリアップから代わりのバスを手配するとのこと。
シェムリアップから現在地まで約2時間、ここからポイペトまで1時間30分。
そして現在時刻は14時。計算すると17時30分にポイペト到着。

『これ、イミグレに間に合わないよね』
全員が思っていることを口にしてくれたフランス人。

進むにも戻るにも待つしかない我々。
”ま、何とかなるよね”と感じながら、ちりじりに無言で日陰に移動しはじめました。

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それから2時間後、代わりのバスは到着しポイペトを目指し始めました。
みんな、口数少なく、イミグレが開いていることを願うだけでした。

そこでリーダー気質のアメリカ人が堰を切ったように

『俺たちはチームだ!9人全員で国境を越えよう』

と熱く語り始めました(笑)

周りは、”はいはい(笑)”という感じでしたが、
車内には笑顔が溢れはじめたので、さすがだなぁと感じました。

1時間後、ポイペトに到着。
ゲートは開いていました。
全員が全員の荷物をチェックしながら走る。
無事カンボジアを出国し、タイに入国しました。
(下の写真は、今は無き国境ゲート)

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流れ流れて

無事カンボジアを出国した僕たちは、タイ側の国境の街アランヤプラテートで頭を抱えていました。
遅れに遅れた出国で、タイ側のピックアップがいなくなっていたのです。

大きめの駐車場では、僕たち以外にもピックアップを逃した旅行者たちがおり、総勢20人くらいの大所帯になっていました。

シンガポール人女性は状況を聞きにいってくれていました。
『ここで待っていれば、業者が来て地名を叫んでくれるって。行きたい地名が呼ばれたらついていけばいい』

時間はかかったがなんとかなったという安心感から、
みんなそれぞれ握手をしました。

『ところで、お前はどこにいくんだ?』
中国系アメリカ人が僕に尋ねる。

「僕は......」
正直、決まっていなかった。
朝になるまで出国するつもりもなかったし、行きたいところもなかった。
ただ、バンコクとか大都市には行くつもりはなかった。

「僕は、"知らない街” が呼ばれたら行くよ」

『そっか、それもアリだな』
中国系アメリカ人の彼はそれ以上、聞いてきませんでした。

しばらくすると、『バンコクだよー!』
と声がかかり、7割近い人たちが出発していきました。
『トラート!』『パタヤー!』など
有名どころの街が呼ばれて行き、気づいたら駐車場には2人になっていました。

僕と白人の初老の男性。
自然と目配せして、”大変だね”と言い合うように2人で待っていました。

『僕はイタリアから来たんだ。君は?』
彼から声をかけてきた。

「日本からです」

『日本か、いい国だよね。昔行ったときは~』
彼の日本旅行のプレゼンを一通り聞いた上で、彼はさらに訊ねてきました。

『ところで、君はどこにいくの?』
僕は”知らない街”が呼ばれたらそこに向かうことを伝えました。
彼は”そっかー”くらいの反応で、さらに日本の良さを僕に力説してきました(笑)

しばらくすると『ラヨーン行きだよー!』
と聞こえてきました。

初老のイタリア人は
『あ、僕の番だ』

ラヨーン...。聞いたことないな。
どんな街なんだろう。

『君はどうするの?』
心配そうに見つめる彼。

ここにいてもしょうがない。
今日は流れに任せるのも面白いかもしれないな。

「一緒に行く」

こうして初老のイタリア人と日本人の2人旅が始まった。


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