見出し画像

本棚のスペースを埋める仕事【3000文字チャレンジ】

あなたがこれまで1番多く繰り返し読んだ本は何だろうか。

私は「ぐりとぐら」だと即答する。

「ぐりとぐら」は、中川李枝子さんと山脇(大村)百合子さんが作者の有名な絵本だ。

とはいえ、自分が幼い頃の思い出の絵本というわけではなく、子どもが生まれてから初めて読んだ絵本である。

可愛くて素朴な絵柄のファンタジーの世界観に、好奇心と思いやりが同居し、五感を震わせるストーリー、長年愛される理由がわかる不朽の名作だと感じた。

「定番だから」という理由で長女のいつかのプレゼントに購入したが、私はそれを700回以上、声に出して読むことになる。

これは、絵本を通して見えてきた、親子の絆の物語だ。

幼少期の私と絵本

小さい頃、親に絵本を読んでもらった記憶はない。

そもそも絵本自体、買ってもらった記憶すらなかった。

本を熱心に読む家族はいなかったし、それが当たり前だった。

本というのは私の人生において重要ではなく、埃をかぶり、本棚に並んで、そのスペースを埋めることを目的とされる存在だった。

そこには数冊の絵本もあったが、スペースを埋める仕事を熱心にこなしているように見え、自分で手に取る気にはならなかった。

一方で、幸せな家庭を絵に描いたような、「寝る前の絵本の読み聞かせ」には憧れていた。

例え、その幸せな家庭の絵が、誰が描いたものかわからない、絵本界隈の商業戦略だったとしても。

その「絵本を読み聞かせてもらう」という憧れは叶えられなかったけれど、自分の中には「いつか自分の子どもが生まれたら絵本を読み聞かせたい」という目標のようなものができた。

子どもに絵本を読み聞かせる習慣

月日は流れ、私にも子どもが生まれた。

マイホームに愛する妻と可愛い子ども。差し迫った危険のない日常。それでも育児には想像を超えた過酷さや負担があり、精神と肉体を追い詰めていく。

夫婦2人だったから乗り越えられたと思う。シングルの人たちは大丈夫なのだろうかと心配になる。

育児に追い詰められて起こる悲しい事件は、そのほとんどが本人ではなく環境のせいではないかと、子どもを育てて思うようになった。(車に放置とかは別として)

私は、家にいる時間は主体的に育児のタスクをこなしていた。(名前のない育児のような細かい部分もだ。)

そして、寝かしつけも毎日私が担当した。

まだまだ赤ちゃん過ぎる時期は絵本は読まず、基本的に抱っこで寝かし付けをしていた。

ただ、子どもという生き物は寝て欲しいときにはなかなか寝ない。

寝たとしてもそっと布団に寝かせると覚醒する。

「背中に起床のスイッチがある」と育児経験者は語るが、例に漏れず私の娘にもそのスイッチがついていた。

おそらく空腹でもなく、さらにオムツでもなく、何故か泣き止まない夜も多い。

そういうとき「妻なら泣き止むかも…」と思うこともあるが、「ママがいいって」という言葉だけは言えない。

それは父としての敗北宣言だからだ。

母親が命がけで子どもを産み、子どもは命がけで生まれてくる。

出産の立ち会いで、その瞬間を見た。

そのとき、私は祝福と同時に無力感に襲われた。

母と子の強い絆を目にし、命をかけていない自分への負い目のようなものを感じていたんだと思う。

父親は育児を通して子どもとの強い絆を作っていくしかない。

私には、諦めて妻に丸投げしたり、フラッと遊びに行く暇はないのだ。

そんな思いもあり、やれることは全部やった。

そんなある日、抱っこでの寝かしつけのフェーズが終わったと感じ、絵本の読み聞かせで寝かせる作戦に切り替えることにした。時には抱っこして読み聞かせることもあった。

絵本はぐりとぐら。これを毎日読んだ。

毎日ぐりとぐらを寝かしつけのときに読むことで、パブロフの犬のような感じで、ぐりとぐらを睡眠のスイッチにする作戦だった。

子どもに絵本を読み聞かせるのは、潤沢な時間を必要とする。

読んでいる途中の質疑応答が容赦なく続き、絵本に出てくるキャラクターのモノマネの披露、中断する要因を子どもはたくさん持っているからだ。

それでも妥協することなく一字一句全て読み聞かせ、電気を消す。

そこからもなかなか寝ないので、それがストレスに感じることも多かったが、夜に自分の時間を作るのはほぼ不可能と諦め、朝型の生活に切り替えた。

子どもと一緒に寝る生活になると、寝かしつけのストレスは驚くほど減った。

毎日毎日、私は長女に絵本を読んだ。

仕事で疲れていても、気がかりな悩みがあっても、夜の読み聞かせは欠かさなかった。

自分の時間がないとそのときは思っていたが、それは間違いなく、私の大切な時間だった。

読み聞かせで実感した絆

詳しく数えてはいないが、ぐりとぐらを間違いなく2年は毎日読んだ。

そのくらいになると丸暗記できているので、紙芝居のように絵を長女に向けて読むことも可能だ。

長女もすっかり絵を覚えているので、私の音読に合わせて、絵を見ずにぐりとぐらのポーズを再現できる。

私たちの読み聞かせはずいぶん先の次元まで達していた。

そんなある日、仕事で大きなトラブルがあり、その処理に追われ、帰宅がいつもより3時間ほど遅くなった。

帰宅後、バタバタと寝る準備を済ませる。

肉体労働に慣れているとはいえ、40℃近い真夏の現場で、重量のある物を1日中取り扱っていれば、嫌でも体力を消耗する。

その上、イレギュラーなトラブル対応とくれば疲労困憊だ。

だが、どれだけ疲れても、私は長女のパブロフの犬であらねばならない。

絵本を準備し、長女と布団に寝転がる。

軽い頭痛があったため「ちょっと休憩させて」と目を閉じた。

このまま寝たい…。たまには読み聞かせなしで寝てもいいんじゃないか。

そんなふうに考えていると、背中をポンポンと心地よく叩く手の温もりを感じ、同時に声が聞こえてきた。

「のねずみのぐりとぐらはおおきなかごをもってもりのおくへでかけました」(引用:ぐりとぐら より)

ハッと顔を上げると、長女が私に読み聞かせをしてくれていた。

まだ文字は読めない。しかし、長女は私の読み聞かせを聞いて、話の流れを記憶していた。

母と子のレベルまでは届かなくても、絆はちゃんと作られているんだと実感した瞬間だった。

長女の舌足らずな読み聞かせと背中に感じる温もりで、私は夢も見ないほど深く眠った。

今では、長女はもう読み聞かせを必要としなくなった。

ぐりとぐらを2人で読むことはもうないだろう。

長女にはぐりとぐらを読んで寝た記憶すらないかもしれない。

でも、それはそれでいい。

あの時間に深めた長女との絆は、間違いなく今も私たちの中にあるのだと思えるからだ。

ふと、もしかしたら私が記憶していないだけで、私の母が絵本を読み聞かせてくれていたのかもしれない可能性を考えた。

読み込まれてボロボロになったぐりとぐらは、本棚のスペースを埋めるためだけの存在のように、熱心にその仕事をこなしている。

あとがき

「幸せはすぐ近くにある」というのが私の持論です。

日常の中には幸せが溢れていてるのに、それが見えていない人が多い。

普段の生活のワンシーンにも、幸せはあります。

そんな見落としがちな幸せに気付き、明るく生きるための方法を本にしました。

⇒人生を豊かにする幸福論 今が1番幸せ

Kindleで読めます。また、Kindle Unlimitedの方は無料です。

サクッと読める内容なので、ぜひ目を通していただけると幸いです。


サポートしていただだいたり、購入していただいたお金は、今後の活動資金として有効に使わせていただきます!