『ワンフレーズ』 16話 「誘われた居酒屋で」

「今から、呑みに行かね?」
「え?」
 カズマのお父さんに挨拶を済ませ、車に乗って、真っ暗な田んぼの間道を、ガタガタと通りながら、ヨウジは僕にそう聞いて来た。
「明日は何時に帰んの」
「まだ決めてない、夕方には大学の方にいたいけど」
「じゃあ、今日呑んでも大丈夫だろ、なんか、このまま帰るの嫌じゃね?久しぶりに会ったし」
「そうだけど、お前車じゃん」
「いいとこ知ってんだ、代行呼ぶし、大丈夫」
 ヨウジはそう言って、何やら行きつけの居酒屋があるような言い方で、ハンドルをぐんと切った。なんでこのタイミングで呑みになんか行くんだよ、そう思ったけれど、カズマのお父さんの話で、変に心臓の落ち着かない僕にとって、このまま家に帰って一人になるのも、なんだか怖かった。もしかしたらヨウジも、同じ気持ちだったのかもしれない。丁度良かった。

「ここ」
「あー、ここかよ」
「もう今じゃ俺らが呑む側だからな」
 僕らはスーパーマーケットの駐車場に無断で車を留めて店の前に着いた。この居酒屋は、僕のお父さんやヨウジのお父さんが、職場の飲み会でよく使っていた場所だ。僕はいつも面白がって、酔っ払ったお父さんを迎えに行くお母さんにくっついて、この居酒屋をよく覗きに来ていた。
「仕事の人たちと来るときはいつもここなの?」
「だいたいここだな、というか、ほぼここしか知らねえ」
「まあ、他にないか、わかんねえけど」
 褪せても縒れてない暖簾を潜った。まだ開店してそこまで時間が経っていなかったから、僕らを含めて二組しか店の中にはいなかった。この、ちょっと子汚い店内の感じ、よく覚えている。そこら辺にたくさんある、ファミリーレストランくらいしか行った事がなかった僕にとって、居酒屋の、年季の入った床、椅、テーブル、台所、どれも新鮮な景色だった。こんなところになんで人なんか集まるんだと、子供ながらに鼻をつまんだ記憶がある。その景色から、ここは何も変わっていない。お酒が飲めない、ただそれだけで、場違いだったこの空間も、今ではまるで、ここに生きる人間として認められたように、「いらっしゃい」なんて言われてしまう。
 僕らは入り口に一番近いテーブル席に座った。

「とりあえず、ビールと、焼き鳥串盛り合わせで」
あいよ、と一言、煙草の煙で膜を張ったような声で返事がかえってきた。


「カズマの父さん、なんか、やばかったな」
 飲み方を覚えた喉の鳴らし方で、ヨウジはビールをかきこんだ。
「うん、何も言えなかったわ」
「俺無駄に質問とかしちゃったよ、言わないほうがよかったかな」
「いや、誰もあんな話されると思わないし、大丈夫だよ、多分」
「大丈夫かなあ」
「ん?」
「カズマの父さん」
「わかんない、心配していいのかもわかんないし」
「そうだよなあ、俺らが心配することでもないのかもしれねえよな」
 僕らが心配するような事ではない、そう言い切るのはおそらく間違っているけれど 僕らが心配していいのかどうか、実際判断できる関係性でもない。というより、僕らが今気にかけるべき事は、カズマのことでいいはずなのに、父親を心配していいかどうかなんて、考えている自分の頭が、不思議でしょうがなかった。

「俺、泣けないんだよな、カズマが死んだってのに」
「俺も」
「なんでだろ、自殺した理由が分かんないからかな」
「そんな会ってなかったからかもよ」
「え、自殺した理由?」
「違う、泣けない理由」
「お前、冷たすぎ、そんなこと言うなよ」
ヨウジは僕のジョッキを、食べ終わった何も刺さってない焼き鳥の串で小突いた。
「お前だから言ってんだよ、なんとなく分かるだろ、だってお前最後にカズマに会ったのいつ?」
「多分、まともに会ったの高二の年末くらい」
「だろ、ていうか、地元に戻って来てから、会ってないんだお前も」
「うん、高校卒業してからずっと地元いるけど、会ってないかもしんない」
「そうなんだ」
「まあ、会ってないから泣けないっていうのはなんとなく分かるけど、そうは俺は言えないわ」
「ちょっと言い過ぎたか」
「気持ちわかるけどな、別に、今ここにカズマが呑みに来たとしても、全然三人で楽しく話せる気がするんだけどな俺は、中学生の時も、ケンカとかしたことなかったじゃん?」
「ない、多分ない」
「だよな」
 おそらく僕たちは、三人でケンカをした事がない。気を知ってか知らずか、互い違いにバランスを取り合っていた。牽制し合っていた。
「俺さあ」
「ん?」
「なんで地元帰って来てカズマと会わなかったのかって、おれ、試験の辛さが全く分かんないからなんだよな、多分、おれ、高校も推薦だったし、大学行ってないし、今の会社もコネだし、試験らしい試験したことないんだよ、カズマってさ、別にわざわざ言わないけど、ちょっと人のこと比べるところあったじゃん、だから会いたくなかったっていうか、会いたくないわけでもないんだけど、よく分かんなくて会うのやめてた」
「確かに、お前はまともな試験勉強したことないよな」
「うるせえよ」
ヨウジは食べ残していた鶏皮を前歯で抑えて、ずるずると串から抜いた。甘い焦茶色のタレが葉末の露のようにテーブルに木目に沿って染み込んでいった。思わず茶化してしまったけれど、ヨウジがカズマに対してそんなことを考えていたなんて、少し意外だった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?